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東国三社巡りと語り継がれる神々の伝説と神秘性

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関東地方には「東国三社」と呼ばれる神社があり、三社を結ぶと三角形が出来上がるため、パワースポットとして広く知られています。
なぜ東国三社は三角形の位置に建てられたのか。どんな意味があるのか。
その理由について考察していきたいと思います。

目次

皆さんはパワースポットの力を信じますか?

私の住む関東地方には「東国三社」という有名なパワースポットがあります。
「東国三社」は「鹿島神宮・香取神宮・息栖神社」からなる神社の総称で、この三社の位置を結ぶと直角二等辺三角形が浮かび上がることでも広く知られているかもしれません。

古くから、この三社を結んだ三角形の中には強い力やご利益が宿ると言われてきました。
現在もパワースポットとしてスピリチュアル関連で根強い人気があり、この三社を巡ると強い力が授けられる。と言い伝えられています。
東国三社巡りとして親しまれ、江戸時代ではお伊勢参りと同じくらい人気があったらしいです。

バスツアーが頻繁に行われたり、お参りや御朱印を求めて列をなす観光客で日々混雑していることが、その賑わいを物語っているでしょう。
いったいなぜ、このように東国三社がパワースポットとして人気が出たのでしょうか。
その歴史を考察していきたいと思います。

鹿島神宮・香取神宮・息栖神社と神々

「鹿島神宮・香取神宮・息栖神社」は、古事記や日本書紀に登場する神々を祀っている神社です。

鹿島神宮の主祭神は「武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)」、香取神宮の主祭神は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」、この二神が葦原中国平定という「大国主命(おおくにぬしのみこと)」に国を譲ってもらうための旅に出た際、道案内をしたのが息栖神社の祭神である「久那戸神(くなどのかみ)」と、「天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)」でした。
これは国譲りの伝説として古事記および日本書紀に記されています。

このように三社の祭神は国譲りの伝説において深い繋がりがある神々ですが、当時の人々は、あえて三角形で結べる位置に三つの社を創建したのではないでしょうか。

国譲りの伝説は長い物語でありますが、「武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)」と「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」の活躍で、日本列島は高天原が治めることになったとされています。

何故3角なのか?

国譲りを成し遂げた神や、それに関わった神の権威を高めるために三角形の位置に建てたのだとしたら、東国三社を結ぶと、その形を描くのは偶然ではないと思います。
三社を繋いで結界を作り、結びつけて神の力を増強させる意味もあったかもしれません。

三種の神器にもみられるように「3」という数字は古来より、神に関わりが深い数字でもあります。
そのため国譲りに関わった神々から、特に活躍した「武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)」と「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を、それぞれ社を建てて祀り、その二神を案内し導いた重要な役を持つ「久那戸神(くなどのかみ)」と「天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)」は一緒の社で祀り、あえて三社のみという関係性にして神秘的な意味を持たせたのかもしれないと私は思いました。

その理由は?

結局のところ東国三社が生まれたのは、神々を祀り敬う当時の人々の願いや信仰が形になった結果なのだと思います。
それが現代でもパワースポットとして人々に慕われ、忘れ去られることなく信仰が息づいているのも、東国三社が生まれた目的だったのかもしれません。

三社を三角形で結べる位置に建て、神秘的な意味を付与することで、強い力が宿る場所として人々の記憶に残り長く残り続けるよう計画されたのだとしたら。
もしかすると東国三社は、こうして人々が長きに渡って訪れ、神々の威厳や神話が語られ伝えられていくように古代の人々が考えて生み出した可能性もあるかもしれないですね。

東国三社巡りをしてきました。三社とも空気が澄んでいて良い場所だったのですが、とにかく人がいっぱいで足の踏み場もないくらい混雑していました。
三社からエネルギーをもらうよりも、人のエネルギーに当てられて、ちょっとクラクラしてしまった東国三社巡りでした。

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