最初はそういうものだとは思わなかったのだ。時の流れはたまに偶然を装って悪意のある顔を見せる瞬間がある。
日曜日には神社を訪ねて、京都の奥を歩こうと思っていたので、日曜日の朝のバイトは休みとしていた。それではと、土曜日から京都に行く予定を立て、その日に何かのイベントがないか調べていると、京都市立美術館でマグリット展をやっていた。マグリットはただ若いころに何回か見ているのであまり気は進まなかったが、他に見るべきものもなかったのでそこにした。
同時に市立美術館はルーブル展も開催していたので、時間があればそこもと思っていた。三条駅からバスに乗るのもうっとおしいので、ひたひたと美術館へ向かって歩いていた。美術館の入り口ではルーブルの方はチケットを買う列が並ぶぐらい混んでいたが、マグリットの方はそうでもなかった。僕らの若い時にはシュールレアリズムの画家としてマグリットぐらいは見ておかないと、といった気風があったので、へえー今ではそうなんだと思ったくらいなのである。
それでも勝手知ったる何とかで、ちょいちょいと冷やかしてルーブルにでも廻ってみようかと中に入っていったのだ。マグリットの絵画というと、山岳に浮かぶ岩の塊や、夜空に羽ばたく鳥のシルエットに雲の浮かぶ青空が切り抜かれたように見える絵画、後は山高帽の男とかが有名だろう。本来普通にあるべきものの位置に違ったものが置換されたりしているのである。
僕はいつものようにガイダンスも借りず、見物人を飛び越しながら見るつもりであったが、絵画の下には簡単な絵画の説明があったのだ。僕はそれを読み続けながら絵画を見続けた。そうすると文字で説明されている言葉のイメージと絵画を見て言葉で翻訳しようイメージが僕の頭の中で衝突・混乱を起こした。言葉の持つ意味で僕は予習しているのに僕の頭は絵画を見ることによって大きく振れるのだ。僕はその絵の力が持つ衝撃を言葉でねじ伏せることができないのである。
僕は途中から少し説明文を読むことを躊躇しだした。絵画の持つイメージそのままに自分をゆだねた方がいいのではないかと考えだしたのだ。僕はいつしか真ん中の椅子に座って休憩していた。隣では頭を抱えた男性が俯いて座っていた。微動だにしない……何故かその俯いた見えない顔がムンクの「叫び」の顔であるような気がした。
思えば絵画の下の文章もルネ・マグリットの説明で、それは説明しているようで説明していない、これから始まる物語のプロローグのようなエピローグの様な、まるでとらえどころのない一つの文学作品のような代物であった。この説明は何を言っているのだろうかと、先ず文章で幻惑され、さらに絵画で幻惑されるのである。文章、絵画、僕の頭の中で情報がやり取りされるのであるが、一向に一つのイメージへとは収束されないのだ。いくつものイメージが交差し、分解され、不定形のとりとめもない形で流れて行く。それで後半は絵画を中心に見て、そのあと文章を参考に眺めるようにすると、幾分気分はましになってきた。
それでも「恋人たち」はその最初のイメージさえ掴みかねていた。それは二人の男女がこちらを見ている上半身のスナップ写真のような絵画。でも、二人は頭を白い布で覆われ、かすかにその輪郭が解る程度なのである。そして二枚目は二人が白い布で覆われたまま、口づけをしているのである。ガラス越しのキスなど日本の映画でもあるが、布の上からキスなどするとベタベタになるのではないかと心配してしまう。しかもその二つの絵画には何か不穏なものを感じてしまう。美術館を出た後でそれは解ったのであるが、それは忍び寄る死のイメージではなかったのだろうか。
僕はマグリットを知っているつもりであったが、こうした一連の作品に衝撃を受け、頭痛がし出した。僕は一応全てを見て回ったが、本当には見ていない気がした。でもこれ以上戻って見続けることも精神的に出来そうもないので、取り敢えず分厚い解説書を買って美術館を逃げ出した。ルーブルなど見て回る余裕は全くなかった。15分くらい歩いていると、僕はこのままではまずいと思いコンビニでレモンアイスを買い、コンビニの前の席で休みながら食べることにした。残暑というか、日射しは強くなくても歩いていると苦しくなってきたのだ。
三條駅ではBOOK OFFに寄ったが、美術館で買った本が重かったので文庫だけにした。それでも10冊ばかり買ってしまった。ビデオもついでに見ると、マリリンモンロー全集上下が夫々4500円で売っていた。20本ばかりで9000円はお得で有ったが、これ以上リュックには入らなかった。それから僕は鴨川を過ぎたところで食事をした。未だネットカフェには時間があったので、○○を過ぎて四条河原町のブックオフにも顔を出した。
何とそこでは特捜部Qの「Pからのメッセージ」があったので思わず買ってしまった。まあこれは仕方がない、作品と読者の事故みたいな遭遇なのである。見てしまった以上は不可避なのだ。
そして夜に河原町のネットカフェで漫画を読んでいると、何か眠れなくなってしまった。これも昼間のマグリットの影響なのだろうかと思ったが、ええままょ明け方には寝れるだろうとそのまま起きていた。明け方に寝ようとすると、近くで目覚ましの音。いつまでも鳴り止まず、伴奏のいびきの音が腹立たしい。すると別の目覚ましの音も――。僕は寝ることを諦めた。
日曜日は予定通り京都の山奥を散策して家に帰って来てどうも体調がおかしかった。一晩寝ていないから当然だと思っていたが、しばらくして首に赤いアザがあるのに気がついた。右肩の上にもあった。あれーちょとしんどいので風邪薬飲んだのでそれにあたったのかな、あるいは食べたものの何かにアレルギーをおこしたのかなと思ったがほっておくと、痛くて腫れ上がりヒリヒリしてきた。仕方がないのでちょうど家にあったアセモの薬を塗っておいた。数日たっても赤味は薄くなったが、痛みはあるし、腫れは治まっていなかった。
医者に行くとヘルペスと診断された。4~5日前からとアンケには書いておいたので「おかしいわね、一週間前くらいからじゃないの」と疑いの目で見られた。ドンビシャである。マグリットを見に行った日なのであった。マグリットの一連の絵画は、僕自身の絵画を見た後の脳内翻訳作業にダメージを与えたのだ。若いころなら頭は未だ柔らかくて受け入れられたかもしれない。今の僕ではこれだけの多数のマグリットを処理できず、頭は要領オーバーになってしまった。天才の作品は人の精神にも直接影響を与えるのだ。恐るべし――ルネ・マグリット。
僕のアレルギーのリストに一つ加わった。ピリン系の薬、サルファ剤、ルネ・マグリットの絵画だ。これを見て医者は笑うだろうか? 笑うやつは、笑わせておけ――真実は怪異なのである。
こうして僕は一週間程度の、養生と安静を医者から命じられた。一日薬を三回飲んで、患部には薬を二回塗らないといけない。血液検査もした。家で休んでおかないといけないのは苦痛である。5日後には経過観察の為再び診察。ああー本当にマグリットというものは恐ろしいものであることよ。
ママ(妻)に報告するとへぇーそうなんだ、と感心され十分に休むように言ってくれた。どうやら一週間程度はやさしくしてくれるのかもしれない。部屋で、ぐだぐだ、ごろごろしていても、掃除、掃除とか言われないだろう……。
※画像はイメージです。
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