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悪ふざけとしか思えない?自称国家「シーランド公国」 

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この世の中にはそれが事実であるのか、またそれが何らかの実効的な意味や意義を持つのかは別問題として、謂わばいったもん勝ち的な事象が人の営みと共に少なからず存在している。
例えばそれは日本においては自分こそが正当な天皇家の末裔であると主張する、所謂偽天皇のような類の話であり、普通の生活を送る人々とはほぼ無縁のものながら多数の事例が確認されている。

もっと大きな世界的な規模で言うならば、それは第二次世界大戦においてドイツのアドルフ・ヒトラーはベルリンで自決などしておらず、南米に逃れて第三帝国の再興を目指したなどの風説もある。
こうした話は単なるエンタメの一種として楽しむ分には何ら害悪は無いかも知れないが、2020年のアメリカ大統領選挙でのトランプの敗北がディープ・ステートの仕業だと言うような陰謀論にも繋がりかねない。

そのような危険性を孕んだデマ話ではなく、単なるネタとして純粋に楽しめる逸話として、今回は「シーランド公国」なる自称国家の存在を取り上げて見たい。

目次

二次大戦にイギリス陸軍少佐が打ち立てた「シーランド公国」

1939年9月にナチス・ドイツがポーランドに侵攻した事で、イギリスやフランスがドイツに対して宣戦を布告、ここに第二次世界大戦が勃発したが、よく知られているように緒戦はドイツが連勝を収めた。
破竹の勢いのナチス・ドイツは翌1940年6月にはフランスを降伏させ、同年8月には空軍によるイギリス本土への爆撃を開始、ドイツ軍の上陸を恐れたイギリスは沿岸に4つの海上要塞を構築して防備を固める。

結局ドイツ空軍はイギリス空軍との航空戦に敗れ、ドイツはイギリス本土への上陸作戦は果たせずに終わったが、1942年に造られた4つの海上要塞の内のひとつフォート・ラフスが後の「シーランド公国」となった。
第二次世界大戦中の最盛期には300名程のイギリス軍兵士が駐留したフォート・ラスク要塞は、戦後には無用の長物となり1956年に使用されなくなったが、撤去する手間と予算も付かずそのまま放置される。
このフォート・ラスク要塞がイギリスの領海の外にある事に気付いたのが、第二次世界大戦時にはイギリス陸軍少佐として従軍した経験を持つパディ・ロイ・ベーツで、不法にこれを占拠するに至る。

これが1965年の出来事でパディ・ロイ・ベーツは44歳、当時彼は漁業に重視する傍らで国の正式な認可を受けずラジオ放送を営んでいたが、要塞を「シーランド公国」、自らを「ロイ公殿下」と称した。
この行為に対してイギリスは直ちに裁判を起こし、パディ・ロイ・ベーツを排除しようとしたが、1968年11月に「シーランド公国」はイギリスの領海外であり、他国の領有の主張もない事から管轄外との判決が下った。
こうしてパディ・ロイ・ベーツの行為は、図らずもイギリスと言う法治国家の司法制度の不備を突く形で功を奏し、自称した「シーランド公国」と「ロイ公殿下」は世に少しだけ知られる事となった。

「シーランド公国」の概要と現状

こうして自称国家となった「シーランド公国」は、地理的にはイギリス本土の南東に位置し、サフォーク州の凡そ10キロメートル程の距離にあり、2本の円柱の支柱の上にデッキ部分が乗った構造をしている。
「シーランド公国」は面積としては207平方メートルと公称されており、日本で言えば約62.6坪ほどに相当し、広めのマンションが100平方メートルである事を思えば、凡そその2つ分と見て間違いない。

第二次世界大戦と言う戦時中とは言え、其の程度の広さに最大300名もの兵が駐留した事がある事には驚きを隠せないが、現在では少なくともライフルで武装した1名の兵士が防衛任務に重視していると言う。
「シーランド公国」を興したパディ・ロイ・ベーツ自身は晩年は認知症を患い、入居していたイギリス本土のエセックス州の福祉施設で2012年10月に息を引き取り、実子のマイケルが「ロイ公殿下」を継承した。

現在の「シーランド公国」の実質的な管理は、マイケル・ベーツの子であるリアム・ベーツが担当しているとされているが、関係者は彼らを含めても最大で4名しかいないと目されている。

何かとお騒がせな「シーランド公国」の歴史

只でさえパディ・ロイ・ベーツの独りよがりで自称国家となった「シーランド公国」だが、その歴史においては何かよくわからないお騒がせな事件を数多く引き起こしてきた事でも有名である。
先ず1987年にはパディ・ロイ・ベーツの発案でカジノ事業を手掛ける構想が打ち出され、当時の西ドイツのアレクサンダー・アッヘンバッハと言う投資家を「シーランド公国」の首相に据えた。
しかし当のアレクサンダー・アッヘンバッハは、何を思ったのか「シーランド公国」を武力を以て占拠、マイケル・ベーツを人質としてパディ・ロイ・ベーツを追放するクーデターを起こした。

パディ・ロイ・ベーツはこれに対し、凡そ20名の部隊を編成してヘリを使用した突入作戦を敢行、見事これを成功させて「シーランド公国」の支配権を取り戻し、アレクサンダー・アッヘンバッハを逆に捕らえる。
自国民であるアレクサンダー・アッヘンバッハを知らえられた西ドイツ政府は、イギリス政府に働きかけてその解放を要求したが、イギリス政府はかつて出した管轄外の判決に基づき、これを拒否する。
その為西ドイツ政府は直接「シーランド公国」に対し、駐英大使館の外交官を通して交渉に出た為、パディ・ロイ・ベーツは西ドイツと言う国が自国を法的に認めたと歓喜し、更なる勘違い助長させた。

この問題はこれだけでも満腹感でいっぱいだが、西ドイツに何とか戻れたアレクサンダー・アッヘンバッハは、自ら枢密院議長となりシーランド公国亡命政府の樹立を告げ、泥試合を重ねる事になった。
また2006年には「シーランド公国」は設置されていた発電機から火災を発生させてしまい、何とか復旧に至るも再度2012年に同様の火災に見舞われ、以後は太陽光・風力の自然エネルギーでに発電を推進しているとされる。

「シーランド公国」の今

これまでの幾多のトラブルを引き起こしてきた「シーランド公国」だが、何とか2022年の今も自称国家としては存続しており、主たる収入源は自前のウェブ・サイトで販売するサービス・物品の売上と思われる。
この自前のウェブ・サイト上では「シーランド公国」の3つの爵位や騎士の称号、そして切手やコインと言った物品が販売されており、これらに加えて寄付を受け付ける役目も同時に果たしている。
ただ父であるパディ・ロイ・ベーツから「ロイ公殿下」の地位と称号を継承した息子のマイケル・ベーツは、イギリス本土のサセックスにおいて漁業で生計を立てており、「シーランド公国」は余興の域なのだろう。

「シーランド公国」の爵位等の販売は、その存在を洒落と考える日本のテレビ番組では以外に重宝されており、西川きよしなどの少なくない日本の芸能人が購入者として名を連ねている。
その甲斐あってか2022年の今も、自称国家の「シーランド公国」はあくまでも細々とではあるものの、イギリスの司法制度の隙と言う幸運もあって、その命脈を保って存在し続けている。

featured image:Richard Lazenby, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

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