江戸城七不思議というのがあるそうで、おもしろいのでご紹介しますね。
江戸城は本丸と西ノ丸があり、広大な敷地でありました。
本丸は将軍が住み、西ノ丸は跡継ぎ、または隠居した将軍の住まいで本丸のミニチュア版です。
本丸と西ノ丸は西ノ丸のほうが少し規模が小さいが同じような作りになっていて、大名や旗本が勤務する表御殿と将軍のプライベートな住まいの中奥と男子禁制の大奥がありました。
大奥には千人とも3千人ともいわれる女性たちが居住していましたが、いまだにはっきりしたことが不明なのは、御殿に上がって奉公するときに「大奥でのことは一切口外しない」という誓紙に血判をしたからだということです。
明治の半ば過ぎになると、江戸時代を知る人も少なくなり当時を知る人を訪ねて聞き書きを残す作業が流行したので、大奥についても語られたようですが、やっぱり怖い話なんかもあったようです。
ということで、江戸城の七不思議のうち、興味深いものをご紹介しましょう。
身投げの多い井戸
大奥では井戸に身投げをする奥女中が絶えなかったために、文化文政時代に暮れ六つ(午後6時ごろ)には井戸に蓋をして錠をかける習慣となったのですが、ある日、大奥お年寄りの飛鳥井に仕えていた女中の姿が見えないので探し回ったところが、深夜になって屋外で叫ぶ声が聞こえました。
そして、中奥に務める男の役人らが確認したら消えた女中が錠をかけたはずの井戸の中で発見されて救出されたということです。
この女中は小袖を来た女性が井戸の後ろでもの言いたげに立っているので近づいたら、井戸に落ちたと話したそうで、この井戸には12人が飛び込み自殺したということで、その後埋められたという話です。
宇治の間
大奥には宇治の茶摘みの絵が描かれた襖がある宇治の間と言う開かずの間がありました。
12代将軍家慶が大奥の宇治の間近くの廊下を歩いていたところ、敷居に両手をついた黒紋付きを着た老女を見て、あれは誰かと聞いたが、誰も見えなかった、または知らなかったという話で、その後すぐに家慶は亡くなったということです。
この宇治の間では5代将軍綱吉が正室鷹司信子に殺されたという話が伝わっていて(綱吉は天然痘で死亡したということだが、正室の墓には明治後も罪人のしるしの金網がかぶせられていたそうです)、黒紋服の老女の亡霊は正室信子に仕えた御年寄と言われ、この老女は将軍家大事の際に現れるとか、見たものは亡くなるという話です。
また、この宇治の間は開かずの間なのに、江戸城が焼けた後もまた再建されるということで、もしかすると秘密の抜け穴でもあったとか、幽霊話や開かずの間で人を寄せ付けないようにしたのではと推察すると謎が深まりますよね。
他にも吹上御苑にあった馬場で丑三つ時に馬の蹄の音がすると、次の日に落馬事故があるとか、手討ちにされた男女のすすり泣きの声がする夜泣き石とか、富士見櫓の土手が壊れたときに謎の白骨死体が16体も出てきたとかいう話もありますが、宇治の間の話が圧巻だと思いますね。
※画像はイメージです。
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