2020年4月、25年四半世紀の時を越えてスーパーファミコン世代のゲームファンを驚かせた「聖剣伝説3リメイク」の発売という一大イベントがありました。
その驚きは、かつて寝食を忘れてのめり込んだあの物語が時代を越えて「新たな姿を得た」事への驚きであったのか、思い出となって久しい輝かしくも何処か遠ざかったものと再び出会えた驚きであったのか、思い返すに複雑で、曰く言い難い感傷となっているタイトルである事を改めて思い起こさせてくれたものでした。
1995年、今となっては「伝説的」・・・当時にあっては「革新」を告げるそのタイトルは、発売前の数ヶ月前から界隈を色めき立たせ、長きに渡ってその印象を燦然と輝かせ続け「現在に至った」と言えば、その凄さは今更説明の必要が無いとすら言えましょう。
その意味にあって「リメイク」とは単なる懐古を越えて「新たな挑戦」の意味合いすら持ってしまう原典の凄さを改めて辿って見たいと思う次第です。
四半世紀経っても忘れ得ぬ妙味を改めて読み解く!
始めこの世に大樹在りて・・・いわゆる「世界樹神話」とその「黄金なる枝」を巡り紡がれる物語構造を取り込んだ、スクウェアソフト(現スクウェア・エニックス)の擁する大型ナンバリングタイトルが「聖剣伝説シリーズ」であり、今回触れるのはそのナンバリング3作目となるタイトルです。
過去作から大枠として引き継がれた世界樹「マナの樹」世界を構築する元素の根源は、長い時の中でその力を失おうとしていた所から物語が始まります。
主人公となる「1人」は、それぞれの思惑によって「マナの樹」とその力の結晶たる「マナの剣」を狙う「3つの強国」と、重要な鍵を握る「3つの中立国」という6つの陣営から抜き差しならぬ動機に追い立てられて旅立つ事となります。
それは大国の野心や覇道への邁進といった、巨大な流れが作り出す「運命」と呼ばれるものに対し、いずれも10代の青少年が、そのような遠大なものと渡り合う為に全身全霊を掛けて掲げるささやかで繊細な感情…誇りであり、友情であり、名誉であり、愛情であり、恋慕であり、責任であるという、小さくも純粋な感情で以てその激流に向き合っていく物語となっています。
「完全数」と呼ばれる数が形作る運命を繊細な感情で彩る物語。
この相関性「1人」の主人公に「2人」の仲間が「3つ」の感情を持って「6つの国」の思惑を巡るという構造をそれぞれ組み替えて異なる視点での物語を作り上げて行くという緻密に組み上げられた物語の構造こそが、本作最大にして長く愛される物語となった原動力であると言えるでしょう。
男女比3:3、それぞれが年齢相応の視座と、それぞれの出自に応じた感情的動機に裏付けられ、長く苦しい先の見えない命懸けの旅にあって信頼関係を築き上げていく。
王道のストーリーラインを元としながら「攻める側」と「攻められる側」という現実的パワーバランスを「読者の視点」であるが故に何度も繰り返して柔軟に見定め、読み込む事の出来る形を提供する。
その中で各人の人間性を深く読み込み、言葉の一つ一つ・・・。
それ自体は「テキスト」として織り込まれたものであっても、その中に詰め込まれた「思い」を読み解いていく事での共感性は、何度もプレイする程に単なるストーリーという存在を越えた「実感」となってプレイヤー達に刻まれて行ったものであろうと想像出来るものです。
6という数字
6という数字は数学において「完全数」と言われるもの・・・1,2,3と並んだ数字を全て足す事で表われる、という意味で数学的美しさを示すものともされますが、本作はこうした要素が物語構造において表われている。
多視点の物語を何度も俯瞰し直す事で、その理解を深める楽しみという作り込みが、シンプルながら功名に組み立てられたものとして、何度もプレイしその物語を何度も「新鮮に」楽しむ事が出来るものとなっていました。
もちろんゲーム性としてのキャラクター性能を追求したパーティーを作り上げるも良し、ですがそれを企図して作り上げても物語は何ら遜色無い輝きを放つもの。却ってそのように物語的な好みを意図しないはずであったものが思った以上の魅力を放った時の意外性なども楽しみとなる・・・・そういった魅力もまた、本作の楽しみの内でした。
ちなみに余談ですが、本作における主人公の一人であるアマゾネスの王女「リース」は、当時から絶大な人気を誇り、「スクウェア3大ヒロイン」(個人的には~3大悪女、の方がとても印象深いです)と言われてもおかしくない屈指の人気を誇る女性キャラである事も本作が印象深い理由と言えるものです。
実を言えば筆者の琴線にはあまり触れなかった(?!)話題なので、怖い物見たさで誰か詳しい方の濃い主張なんかを聞いてみたくはあるような話題ではないかと思う次第です。
「アクションRPG」の系譜となる一作、改めてその完成された技術力に思いを馳せる。
本作「聖剣伝説3」を含んだ「聖剣伝説シリーズ」は、現在のスクウェア・エニックス体制となって尚ビッグネームとしての知名度を誇る「大型ナンバリングタイトル」と言えます。
その存在感はあまりに重く、今となっては後継作を作る事が難しいと言える程だと言えるものでしょう。
しかし元を辿ると、この「大型ナンバリングタイトル」たらしめたと言えるのは他ならぬ「~3」からであるとも言えるもので、第1作には「~FF外伝」・・・即ち「ファイナルファンタジー」の派生作である事が公式タイトルにまで銘打たれているという所からスタートした作品だった経緯もありました。
こうした下地を積み重ねつつ、第2作をスーパーファミコンという新たなプラットフォームで根付かせ、その勢いを持って正に「咲いた花芽が大樹となるように」育て上げた渾身のタイトルがこの第3作として打ち出されたもの。
「アクションロールプレイングゲーム(アクションRPG、ARPGなどとも)」呼ばれるこのサブジャンルについて、明確に差別化して呼ぶ事が難しくなった現在ですが、日本における「テレビゲーム」の爆発的発展期であった1980年代後半において購買層の差別化を図る意味から重要な意味合いを持っていたとも言われています。
その「アクションゲームのような直感(反射)的操作」で「RPGの奥深さ」を如何にして表現するかという命題で以て各社が頭を悩ませる中で、スクウェアソフトが磨きを掛けたのが「見下ろし型視点」と「スムーズな画面移動」に「プレイヤーが成長を実感出来るステータス」であったと考えられます。
「アクションゲーム」と「RPG」を端的に切り分ける「障壁」
前者の2点は特に「アクションゲーム」と「RPG」を端的に切り分ける「障壁」と言えるものであった。
「移動」に関わる部分、RPGが「広大な世界」を「旅する」という感覚に重きを置く為、広さの演出としてマップを「広域」と「施設」で区分し、その部分を「等身大のキャラクターを常に追い掛ける」というアクションゲームの感覚に近づける工夫が盛り込まれたものと言えます。
改めて言えば何と言う事も無いように思えますが、数字を用いて座標を示すという考え方が基本となるゲームの世界において、その処理を単純化する=容量を削減して、演出やストーリーを沢山詰め込みたいという発想であるRPGにおいて、「スムーズでリアルタイムの斜め移動」が実現したというだけでもかなり画期的ではなかったかと、当時のゲーム性を思い返して感じます。
そうやって作られた「アクション」の部分に「ステータス」を組み入れていくという事。
これはキャラクターの見た目が「大きく変わる」という「クラスチェンジ」を筆頭に、手も足も出なかった難敵を倒せるだけの威力が出せたり、見た目にも実感出来る大技を増やしたりという「育成」の感覚を巧みに組み込んだものでした。
パラメータが複雑化しやすく、整合性の管理などが煩雑化しやすくなる、こうした問題をゲームパッドという「構造」に落とし込む。ボタン感覚で結びつけたその合理性は今思い返してもその技術力は元より、ユーザビリティへの配慮という意味においても驚嘆するばかりです。
音楽、描写、演出、データ管理・・・そのどれを取っても驚嘆すべき精度で作り上げられた、正に技術力の粋と言える一作、可能であるならば「原典」であるスーパーファミコンカセットで楽しんで頂きたいと思うばかりの一作です。
いま「聖剣伝説」を遊ぶには?
本作を含んだ初期ナンバリング3作を一堂に会する「聖剣伝説コレクション」がNintendo Switchからリリースされており、プレイ自体の敷居は下がっています。
今回は筆者の思い入れによって「3」のみの紹介となりましたが、コアなファンを多く掴んだ1、3よりも名作という声すらある2も合せてプレイ出来るものとなっています。
筆者にとって年末年始の聖剣伝説3と言うと、子供が夜更けまでゲームをしていて許される貴重な時間にハマり込んだ「年越しタイトル」だという思い出が甦ります。
皆様も、秋の夜長にお一ついかがでしょうか。
聖剣伝説3 (C) SQUARE ENIX
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