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泉下の人

「どうした?」
朝、ベッドの中で目を覚ますと彼の顔が目に入る。
私よりも二十は上の彼。歳の差カップルと言うやつだ。
そんな彼が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「うん……」
上半身を起こし、なんとなく額に手をやる私。
何かが這うような感触があったから。
「ひどい汗だ」
そう言って、彼の手も額にあたる。どうやらはっていたのは汗らしい。
手を見ると洗ったかのように水が――汗がついていて。

「……夢を見たの。
夢の中の私はびっしょりと水にぬれていて、とても寒くて震えていた。
私を温めてくれるはずの手はなくて、必死に伸ばした私の手を掴む手はなくて……」
肌寒さを感じて自分の体に腕をまわす。
彼はすぐにエアコンのリモコンで暖房をつけてくれる。
「カーテンも開けようか。
朝日を浴びると良いよ」
「ん……ありがとう」
ベッドから降りて言った通りにカーテンを開けてくれる。
稜線から姿を見せた太陽が目に入り、少し瞼を降ろす。
太陽……そうだ太陽。

夢の中で、空には太陽があるのに、太陽は私を焼く程に輝いているのにそれでも寒くて冷たくて。
「私……は、泣いていたの。誰かに届くように精一杯泣いた。
けれども私の声に向けられる耳はなくて。
それどころか誰かは、あの人は笑っていた。
私を手放して笑っていたの」

その美しさの前に私は何も出来ずに。
私もベッドから降りて、窓から家の外を眺める。いや、外と言うよりもすぐそばにある湖を。
湖畔の一軒家。そこから見渡せる景色が気に入って買った家なのに……今は湖が怖い。
「そうだ……」
あの湖だ。あそこで夢の中の私は泣いていたんだ。
「……私、ちょっと散歩して来るね。気分転換」
「一緒に行くよ。心配だ」
「……ありがと」
寝間着から外行きの服に、カジュアルだけれど動きやすいパンツルックに着がえた。
彼も着替え終わったから靴を履いて一緒に玄関を開けて外へ。途端香ってくるのは新緑の香り。耳に入ってくるのは湖のわずかな波の音。

私と彼は横に――私が右、彼が左――並んで歩きだす。緊急時私の利き腕である右が使えるように、と言う彼のこだわりの並び方だ。
「……静かだな」
「まだ六時半だもの。みんな寝ているか料理中じゃないかな?」
「そうだな。
ボートにでも乗るかい?」
「ボート……うん」
少し怖いけれど、気分を変えるには朝の湖上も良いかもだ。
「さ」
「ん」

先にボートに乗って手を差し出してくれる彼。私はその手に自分の手を乗せて、ボートに乗りこみ腰を降ろす。
彼も座ってオールを手に取り、漕ぎだした。
ちょっとだけ霧の出ている湖はどこか幻想的ですらあって、私の心は不安から解き放たれて行く。
なのに。
「……」
言葉を失った。だって湖に映りこんだ私の顔が――赤ちゃんのそれになっていたから。
「……そうだ」
「うん?」
「私……私ここで――」
赤ちゃんのころにここで!
「――え」
体が傾いだ。傾いで、湖に落ちようとしている。
どうして……?
背中に僅かな衝撃があった。
彼が、愛する彼が背中を押したのだ。

ハッと開けられた私の目が見たのはあの人の笑顔。
誰よりも美しいその笑顔に向けて手を伸ばす。
夢から醒めた私の手を彼は優しく包んでくれて。
「ホッとしたかい?」
感じる温もりは確かにあって、確かに受け取って。
なのに、すぐにその手は離されて。
彼は笑っている。
こうして彼の笑顔に逢うのは何度目か。
体が落ちる。初夏とは言えまだまだ冷たい湖の中に。堕ちる。
そうだ……私は死んだのだ。
殺されたのだ。
「やっぱりキミは、あの子だったんだな」
 沈んで逝く私の耳に届くのは、彼の安心しきった声。

ねえ?
どうして私を沈めたの?
呪い出た私に二度目の殺人を。

ねえ?
そんなに私は貴方に似ていなかった?

貴方はママも殺したのね。
ママは愛していたのに。愛されていたのに。
私にだって。
ママを疑う必要なんてなかったんだよ。
ね、愛するパパ。

誰か、この男を殺して――

ペンネーム:星降る夜
怖い話公募コンペ参加作品です。もしよければ、評価や感想をお願いします。

※画像はイメージです。

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