MENU

死者118人!日本火災史上最悪の惨事「千日デパート火災」

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。

1972年(昭和47年)5月13日深夜、大阪ミナミに建つ千日デパートで未曾有の火災が発生する。
当時、日本の消防体制は強固なものであり、多数の死者を生むような大火災は起こるはずもないという風潮が流れていた。
そんな希望的観測を打ち崩すように千日デパート火災は死者118人という日本火災史上最悪の大惨事となってしまう。
なぜこの火災はここまでの被害を生む大惨事と化してしまったのか。

目次

火災のきっかけ

118人もの死者を出した千日デパート火災・・・この大惨事はなぜ起きてしまったのか。

千日デパートとは

その施設は大阪ミナミの繁華街の中、千日前通りに面した好立地に建っていた。
地上7階、地下1階、塔屋3階建の大型商業施設、千日デパート。
大手衣料品スーパーのニチイ(後にマイカルに社名変更し、経営破綻後はイオンリテールが吸収合併)を筆頭に200近いテナントが入居する専門店街や遊技場に催事場などあり、デパートとはいうものの今のショッピングセンターにような施設だ。
屋上には観覧車とモノレールまで備えた遊園地もあり、まさに町のランドマークといった風情の建物だった。

特に火災が発生した5月13日土曜日はちょうど母の日の前日にあたっており、同じタイミングで開催されていたお化け屋敷イベントとも相まってなかなかの盛況ぶりだったようである。
時同じくして、千日デパート館内では2つの工事が行われていた。1つは6階の旧千日劇場跡をボウリング場に改装する工事。
そしてもう1つが3階、4階に入居していた筆頭テナント、ニチイの売場改装に伴う電気配線増設工事だ。

火災直前の千日デパート

ニチイの工事は5月22日から予定されていた大規模な本工事に向けての準備工事だった。
準備工事とはいえ、営業時間中に加えてデパート閉店後の夜間も工事が行われる手筈になっており、なかなかの規模の工事であったことがうかがえる。

5月13日のその日もデパートの開店時間である10:00とほぼ同時に工事が始まり、昼休憩や店内混雑の為の中断を挟みつつも、工事自体は概ね順調に進んでいた。
21:00にはデパートの閉店時刻を迎え、各テナントや開催されていたイベントは順次営業を終了、客も従業員も施設をあとにしていく。

閉店後に実施された保安員や社員による巡回では不審な点や異常は見つからず、いつも通り千日デパートはこの日の営業を終えた。こうして閉店後に残ったのは工事業者と保安関係の施設従業員、そして年中無休で23:00まで営業予定の7階のプレイタウンのみとなった。

火災発生

22:15頃、ニチイ工事を請け負っていた工事監督は作業員達が勤しむ現場を離れた。
「常に監督がそばにいては作業員達も息が詰まるだろう」と場の長として気を利かせたらしい。
かといって特にすることもない監督はタバコを吸いつつ、照明も落とされ暗くなった3階東側フロア周辺をなんともなしに見て回っていた。

22:30頃、3階で作業をしていた工事作業員の1人が「パリパリ」という不自然な音を聞く。
音がした方向に目をやると、40mほど離れた3階東側売場で目を疑うような状況を発見する。
そこにあったのは不穏に揺らめく赤黒い炎と天井に向かい、もうもうと立ち昇る黒煙だった。
工事現場にあって常に気を付けなければならないはずの火災が発生してたのだ。

初期消火

「火事だ!!」

火災を発見した作業員は共に工事にあたっていた仲間に報せるとともに、自分たちから離れた場所にいた工事監督にも大声で火災が発生した旨を叫んだ。

作業員らの行動は速かった。
火災報知機を押し、すぐに初期消火を行うため消火器を探しに駆け出した。
火災発生の報せを聞いた工事監督は、「3階が火事や!」と叫びながらデパート1階にあった保安室に向かって階段を駆け降りていった。

一方、千日デパートの保安員2人は閉店後の館内巡回を終えて22:30頃に1階の保安室に戻ったところだった。
その直後、保安室に設置されていた火災報知機が3階の火災を検知し、けたたましくベルを鳴らす。
同時に工事監督の大声も保安室に飛び込んできた。

異常事態が発生した。
戻ってきたばかりの保安員2人は息つく間もなく3階に急行する。
そこで2人が見たものは、すでに手の付けようがないほどフロアに充満する黒煙と、煙に阻まれ火元に近づくこともできずに消火器を手にしたまま立ち尽くす作業員たちの姿だった。

保安員は消火器を持っていた作業員に消火器の使い方を教えて消火を指示。
本人たちも消火器を持たない作業員と共にまだ煙が届いていないフロアの床ギリギリを這うように進みながら消火栓がある場所を目指し、消火を試みた。
しかし、すでに炎は手の施しようがないほどに勢いを増しており、フラッシュオーバーを起こす寸前となっていた。

フラッシュオーバーとは、火災により室内の可燃物が熱分解され引火性ガスが発生し室内に充満した際に、炎が短時間で爆発的に室内全体に広がる現象のことだ。
プロである消防隊員ですら手を焼くこの現象に対し、消火器を持っただけで丸腰ともいえる素人が対処できるはずもない。

時待たずして3階でフラッシュオーバーが発生。

自身らの身の危険を感じた保安員2人と工事監督を含む作業員5人は正確な火元を確かめることも防火区画シャッターの閉鎖をすることも出来ず、元来た階段を下り1階へと避難した。

避難開始

火災発生時、3階の工事関係者以外にも千日デパートには数人の関係者がいた。
地下1階にある機械室には当直の担当者2人がいた。
彼らは火事を報せる保安員の大声と設置されていた火災報知器が鳴ったことで火事発生を認識。
すぐさま3階と4階の主電源を遮断し、消火器をもって4階へと急いだ。

駆け付けた際、従業員専用エリアにはまだ煙が流入していなかったが、売り場へと続く鉄扉を開けた途端に大量の煙が2人を襲った。
煙に阻まれため、結局この2人も消火活動を断念せざるを得なかった。
鉄扉を閉めるとデパートの外への避難を余儀なくされた。

また、6階には千日劇場跡でボウリング場改装工事が行われていた。
作業のために偶然デパートの外にいたこの工事の作業員は「火事だ!」という叫び声を聞きつけた。
驚いて周辺を見回し、ちょうどデパートを見上げると3階付近と見られる窓から煙が吹き出しているのを発見。

一方、ちょうど撤収作業中であった6階の工事現場の作業員たちもフロアを勢いよく包んでいく黒煙に気が付き、窓から外に出て、鉄骨で組んだ足場と外付けの給水配管、避雷針ケーブルを伝ってデパート南側にあった商店街のアーケード屋根へと下りなんとか避難した。

こうして3階、6階でそれぞれ作業していた工事作業員たちは無事に避難を終えることができた。
初期消火こそ行えなかったものの、保安員2人は1階保安室で待機していた保安係長に火災発生を報告し、すぐに消防に通報。
最初に3階の工事作業員が火の手を発見してから約10分後の22:40頃のことだった。
火災発生を確認した際の工事作業員からデパート関係者への連絡の流れはスムーズであったと思われる。

後から思い返せばということにはなるが、火災を確認した2人の保安員のうち1人が即座に消防へ通報していればなお良かった。しかしこのような反省以上に、千日デパート火災が日本火災史上最悪の火事になるという結末を導く致命的な2つのミスがこの時起きていた。
1つは勢いよく立ち昇る煙に阻まれ困難だったとはいえ、防火シャッターを閉鎖することができなかったこと。
そしてもう1つ、最大の失敗は火事発生のまさにその時、営業中であった7階プレイタウンに誰1人として火災が発生したことを伝えなかったことだ。

享楽の場を襲った悲劇

階下の火災に気が付くことなく、取り残された7階プレイタウン。
束の間の非現実を楽しむ場所で、多くの人々が最期の瞬間を迎えることになってしまう。

破滅前の享楽

火災発生当時の時代のサロンといえば、ステージを備えていてバンドの生演奏やダンサーのショーなどをバックに席で酒や軽食を楽しみつつ、ホステスから接待を受けるという形態が一般的で、千日デパート内のプレイサロンもほぼ同様の形態をとっていた。
だた、このプレイサロンは特に「中華風」というコンセプトで営業していたようで、店内は唐草模様の衝立や中華風の燈籠といった装飾で彩られ、なかなか凝った造りとなっていた。

そのような店内をチャイナドレスを身に纏ったホステスの女性たちが闊歩し、男性たちを接待していく。
時にはバンドの演奏に合わせて客とホステスが踊るダンスタイムにヌードショータイムなども設けられていたらしい。
店外の現実とは一線を画す非現実的な世界はいわば享楽的な桃源郷とも呼べたことだろう。

プレイタウンの客の収容可能人数は150人、ホステスも約100人ほどは在籍していた。
ホステスの多くが主婦やパート・アルバイトの素人女性であったという。
それ以外に40人ほどのボーイなどの従業員も働いており、大阪ミナミのサロンの中で中規模程度のサロンだった。
年中無休、そこそこの規模、凝った造りの店の雰囲気に加えてミナミのサロンの相場から考えると低料金で一時を楽しめたことも相まってなかなかの人気店だったようだ。

5月13日土曜日。

この日、千日デパート内にあったプレイタウンは16:00のオープン後からなかなかの賑わいを見せていた。
火災当時、日本で週休2日制を導入している企業はまだまだ少数で、土曜午前は仕事という企業が多かった。
午前中の勤務とその後の食事や軽い一杯を終え、羽を伸ばして束の間の休日を楽しもうとする男性客が多く店に集まっていたのだ。
そして浮世離れした店内で彼らを接待するチャイナドレス姿のホステスたちも多数、プレイタウン内にひしめいていた。

ガス室と化したフロア

火災発生時の22:30頃は23:00のプレイタウン閉店時間間際ということもあってか客足はやや落ち着き、店には客57人、ホステス78人、従業員やバンドマンら46人の合計181人が残っていた。
22:35頃から22:39頃、ちょうど3階の火元で初期消火に奮闘していた時、このプレイタウンでも幾人かが火事の気配を察知している。

1人はプレイタウンのボーイ。
店専用のエレベーターで地下から7階に昇る途中、エレベーターのドアのわずかな隙間から白い煙が入ってくるのを確認している。

もう1人の男性客もトイレに行く途中、エレベーターから煙が流れ出しているのを目撃していた。
また、他の客もトイレに立った際、トイレ天井の通風口から流れ出る白煙を見ている。

この他にもホステスが1人、ステージで演奏していたバンドマンの1人もホール内に漂う白煙を確認していた。
煙を見たバンドマンのみが火事を疑い、煙を見た旨をバンドのリーダーに報告し、リーダーが状況確認に向かったものの、この段階で火災発生の疑いを声高に叫ぶ者はいなかった。

プレイタウン調理場の従業員も換気ダクトから煙が濛々と噴き出しているのを発見するも、階下で大規模な火災が起こっているとは夢にも思わず、ダクト内のどこかが燃えているのだろうと思い、ダクトの吸入口に向かってバケツで水を掛けるという初期消火を行っていたが当然これで火が消えるわけはない。

努力も空しく、白煙はさらに勢いを増すばかりであった。
ほとんど誰も知らぬ間に煙の魔の手がプレイタウンに忍び寄っていた。

保安室から消防への通報が入る直前の22:39。
場内の常とは違う雰囲気を訝しんだプレイタウン支配人が確認のため事務所から出てきた。
そこで換気ダクトから勢いよく噴き出す煙に襲われる。
他の従業員らと共に事務所の西側にあったホステス更衣室に向かおうとしたものの、通路はすでに煙で覆われており、辿り着くことはできなかった。
突然現れた大量の煙に階下で火事が起きたのだ、と支配人は悟り状況確認のため場内へと向かった。

一方、煙が流れ込み続けるエレベーター前ではまだそこまでの緊迫感はなく、「エレベーターの故障によって煙が出たのだろう」と点検作業が行われていた。
にわかに騒がしくはなっていたものの、いまだやや呑気ともとれる雰囲気の中、客の1人がなにかが焦げたような異臭に勘づき、レジにいた従業員に自ら状況を確認しに行き、そこで場内に煙が漂っているのを目撃する。
また、もう1人の客も煙や異臭といった異常事態に気が付き、「火事ではないか?」とレジに詰め寄っている。

この2人はすぐに避難すべくエレベーターへと向かった。
しかし、自主避難者が出たこの段階でも未だプレイタウン内にそこまでの緊迫感は見られず、客は1人また1人と店を出ようかと重い腰をあげるような様子で、従業員の方も避難しようとする客に会計を請求するような余裕さえあった。

22:41、火災発生確認からまだ10分程しか経過していないにも関わらず、白煙はその姿を黒煙に変えプレイタウンフロア全体に流れ込み始めた。
そしてわずか1分後の22:42にはプレイタウンは火事特有の耐え難い異臭と煙に覆われ、ようやくほとんどの客とホステスらが異常事態に気が付いた。

この直後、プレイタウン店内に火事発生の報せと落ち着いた行動を促す放送が流れたが、従業員による具体的な避難誘導はなく、客やホステスの混乱を煽るだけだった。
人々が混乱に陥る最中にあっても煙の勢いは留まることない。
プレイタウン内は臭気と煙に支配され、残された者たちは目を刺すような激痛と息苦しさに襲われた。
3階での火災発生確認からわずか10分ほどでプレイタウンはガス室と化したのだ。

ガス室からの脱出と無残な終焉

煙によって視界が妨げられる中、プレイタウンに取り残された人々はパニックに陥った。
多くの人々が場内からエレベーターで避難しようとエレベーターホールに詰めかけたものの、依然として煙が流入するエレベーターホールから逃げようとする人々もおり、結局プレイタウンに押し戻されることになったことも混乱に拍車を掛けたのだろう。
明確な避難指示や誘導もないまま、客もホステスも従業員もガス室の中を逃げまとうことになる。

22:44、プレイタウンへの煙の流入量が爆発的に増え、人々の恐慌状態にさらに拍車がかかった。
ボーイ室やバンドマンらの控室といった窓際に退避できた者は窓を破り、外に向かって手当たり次第に物や身に付けていた衣服を投げ、館内に人が取り残されていることを報せて地上に助けを求めた。

終業間際だったこともあってホステスたちの更衣室にも多くの人が取り残され、迫りくる煙の恐怖に喘いでいた。
彼女らも更衣室付近の階段からなんとか避難を試みたものの、階段もすでに黒煙に包まれており、煙の流入を増やすばかりで一歩も進むことはできない状況と化していた。
逆に更衣室に至る通路もすでに煙に覆われており、更衣室にいたホステスらは完全に孤立無援の状態で煙に絞め殺されるのを待つばかりだった。
場内を逃げまとった挙句、従業員の案内でプレイタウン西側に設置されていた物置の中に到達した一団があった。

このプレイタウンは1ヵ月ほど前まで6階でも営業しており、物置のあった場所は6階と7階の連絡通路があった場所だった。
6階でのプレイタウン営業が終了し6階のボウリング場改装工事が始まると同時にこの連絡通路は封鎖されていたのだが、これがベニヤ板で仕切りを作るという簡素な封鎖だったことを思い出し、ここから脱出できると踏んで避難してきたのだ。

しかし運命の女神は無慈悲だった。

改装工事の進捗に伴い、ベニヤ板の仕切りの内側には分厚いコンクリートブロックが積み上げられ、とてもではないが素手で壊すなどできない状態に変貌していたのだ。
押し寄せる煙と脱出口を失った絶望は人としての理性を失わせるに十分だった。
一団は壊せるはずもないコンクリートの壁に向かい物を投げつけ、素手で殴りかかり、助けを求めるように壁を搔きむしった。

22:49頃、7階で停電が発生し取り残された人々の避難の拠り所であったはずの照明が消え、場内は暗闇に包まれた。
煙と闇に支配され、人々のパニックは限界に達する。

「バチャッ」

地上に集まっていた消防隊員や野次馬たちは不自然な音を耳にする。
窓際に追い詰められた人々が決死の覚悟で7階の窓から千日デパートに隣接する千日前商店街のアーケードに向かって飛び降りてきたのだ。

煙で顔が黒くなった客もあられもない恰好のホステスも、宙に浮かんだ瞬間に手足をバタバタとさせ、恐怖に叫びながら落ちていった。
運よく助かった者もいなくはない。
しかし、そのほとんどが地上やアーケードに叩きつけられ、およそ人間から出たとは思えない音を立てて無残な肉片と化したのだ。

救出作業と被害状況

もちろん消防もただ手をこまねいていたわけではない。
通報を受け、22:43頃には消防第一陣が火災現場に到着したものの、先に集まっていた通行人や野次馬たちの集団に阻まれ、はしご車やポンプ車を現場付近に付けるのに手間取ってしまった。

22:45頃には放水が開始され、22:47頃には取り残された人々の救助作業が始まった。
だが、救助を待ちきれず飛び降り始める人々が続出。

消防は必死に無謀な飛び降りをせず、設置されているはずの救助袋を使用するよう呼び掛けたものの、焦りもあってか救助袋が正確にできず、ほとんど役にたたなかった上、プレイタウンの恐慌状態から無策に飛び降りる者も続出した。

それでも消防隊員らのはしご車による決死の救助や地上の一般市民がサルベージシートでの落下する避難者を受け止めるといった行動もあり63人もの人々が救出された。
しかし、こうした活動の甲斐もなく、日本火災史上最悪の死者数となる118人もの人が命を落とした。

飛び降りによる死者が22人、プレイタウン内の死者は96人にも上った。
プレイタウン内の死者のほとんどが一酸化炭素中毒による窒息死とみられている。
亡くなった人々の多くはフロント付近や窓際、彷徨いなんとか辿り着いたものの煙が充満し避難できなかった階段付近に固まっていた。

皆、最期まで逃げ場を探しもがき続けていたのだ。

火災時の心理状況

千日デパート火災が最悪の結果となった原因は、煙の回りが速かったこと、ハード・ソフト両面での不十分な防火体制、プレイタウンに火災発生の連絡がなかったことなどが挙げられる。
しかし、煙発見から火災が発生したことを予見し、プレイタウン内の避難初動がもう少し速ければより多くの人命が助かったのではないか。
ここからは人が火事をはじめとする非常事態に遭遇した時に陥る心理状況について考えていきたい。

正常性バイアス

7階のプレイタウンに火事による煙が流入し始めたと思われる22:35頃、幾人もの人々があちこちで白煙を目撃している。
もしもこの時点で誰かが「火事だ」と叫び、周囲に避難を促していれば、まだ視界が悪くはなかった場内で落ち着いて安全なルートを見つけ出し、避難できていた可能性がある。

ではなぜ誰も火事の可能性について言及しなかったのか。
あくまで予想になるが一種の正常性バイアスが影響していたのではないだろうか。
正常性バイアスとは、自らの心理的安定を維持するために都合の悪い情報や事態を無視したり過小評価したりする認知の特性のことをいう。
平時は不安やストレスから身を守る役割があるのだが、災害や火災などの非常事態には一転、危険を回避し損ねる原因になる。

2003年、地下鉄火災が韓国で発生した。
火災発生後、車内は徐々に煙に包まれていったものの、多数の乗客がその異臭に口や鼻を押さえつつも逃げずに席に留まっており、結果として198人超の死者を出す大惨事となった。
この火災時の行動について、実際に煙を目撃し、異臭に顔をしかめつつも「まぁ大丈夫だろう」という正常性バイアスが作用した可能性が高いとされている。

プレイタウン内の人々もこれと同様の心理状況下にあり、避難が遅れる原因となったのではないだろうか。

同調性バイアス

もう1つ避難行動が出遅れた原因として考えられる心理要因が同調性バイアスだ。
同調性バイアスとは、周囲の人々と同じ行動を取ろうとする心の動きのことをいう。

7階で煙が確認された際、いち早く避難した者も数人はいた。
しかし、ほとんどの人々が場内に白煙が漂い始めても、急いで避難行動をとっている様子が見られない。
これは同調性バイアスが作用した結果、周りの様子を伺っているうちに避難が遅れてしまったのではないだろうか。
逆に従業員などが積極的に避難を促していれば、より多くの人々が早い段階で避難行動を行っていたことも考えられる。

避難行動

火災発生時の避難経路を問われ、教科書通りに回答するなら非常階段、非常口を使用するのがセオリーだろう。
だが、プレイタウン内の多くの人々がエレベーターホールへと集まってきてしまい、ここでの押し問答が避難時間のロスとパニックを引き起こしてしまったと思われる。

なぜ人はエレベーターに殺到してしまったのか。
これは人間の回帰本能によるものではないかと推察される。
人間の回帰本能(帰巣本能)とは自らの居場所に戻ろうとする本能的行動のことだ。

伝書鳩に代表される動物の回帰本能は有名だが、人間のそれは、自分の居場所に至るまでに知っている情報、つまりその場所に至るまでに通ってきたルートを辿って戻ろうとする。
客はエレベーターでプレイタウンにやって来ている。
彼らは火災という非常時にあっても、回帰本能から「いつものように」帰ろうとしたのではないだろうか。


長い年月が経過した火災であるため正確なことはわからないが、こういった人間の持つ心理特性が悪い方向に作用してしまい、千日デパート火災を大惨事にしてしまった可能性は否定できない。
逆に防火体制が整った現代であっても、これらの心理特性が働けば千日デパート火災のような惨事が生まれる可能性は過分にあるのだ。

千日デパート火災がその後に与えた影響

1972年の千日デパート火災の後の1973年。
熊本市の大洋デパートでも104人が死亡する火災が発生する。
続けざまに多数の死者を出す火災の発生を受け、1974年に消防法が改正された。

それまでスプリンクラーをはじめとする消防設備の設置が義務化されていなかった古い大規模ビルにも、設置義務が遡って適用できることになったのだ。
これに伴い日本全国の建物で消防設備の設置・整備が進むこととなり、国内の防火管理体制は飛躍的に改善することになった。

最後に

千日デパート火災の後も、私たちは幾度となく大火災を経験し多くの無辜の人々を失ってきた。
そのたびに法律が改正され、設備を見直し、火災の恐るべき脅威は私たちの記憶に教訓として刻まれていく。
だが、時代が変わり防火技術・体制、法律がいくら改善していったとしても、少しの油断が火種を生み、大きな脅威となり得ることはいつの世も変わらない。

大切なことは脅威はいつでも私たちの隣にあることを決して忘れないことだ。

※画像はイメージです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

どんな事でも感想を書いて!ネガティブも可!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次