サメが吐きだした人の腕で殺人発覚!~ある水族館の事件簿~

それは1935年の秋、シドニーのクージービーチでの出来事だった。沖合で、のんびり釣り糸を垂らしていたバート・ホブソンの目の前に、いきなり怪物が現れた。体長数メートル、体重は1トンはあろうかと思われるタイガーシャークが、今まさに獲物を仕留めようとしている。ところが、ロックオンされた小さなサメは逃げようとしない。怪物とにらみ合い、臨戦態勢に入ったのだ。
「なんだ、このチビ。なぜ逃げない? おまえじゃ無理だって、ランチにされちまうぞ!」
タイマン上等。人間界なら、あの方の言う「いつ何どき、誰の挑戦でも受ける」というやつか。

ふってわいた弱肉強食ショーに、ホブソンは熱くなった。どうみても分が悪いほうに肩入れしたくなるのは、古今東西、人間の性なのだろうか。
「がんばれ、ちっこいの! やっちまえ! ミラクルを起こせ!」
この道を行けばどうなるものか。迷わず行けよ、行けばわかるさ。

そして、ちっこいのはあっという間に怪物の餌食になった。自然の摂理なり。
「あーあ、食われた。容赦ねえな。おまえ、人も食ったことあるだろ。そういうツラしてるよ」
このときだった。ボブソンの脳裏に名案がひらめいたのは。
「……まてよ。このモンスターをシドニー観光の目玉にするってのはどうだ? こんな大物、めったにお目にかかれないからな。よし、そうとなりゃ、なんとしても浜に引き上げてやる!」
おりしも市内の水族館では、新しく建設された巨大水槽で公開する花形スターを探していた。ホブソンはクージー水族館の館長だったのだ。
しかし、このタイガーシャークが厄介な殺人ミステリーをもたらすことになろうとは、このときは知るよしもない。

目次

花形スター、見学客の前で恥ずかしい粗相

タイガーシャークは話題を呼んで、水族館には物見高い人々が押し寄せた。祝日である4月25日のアンザック・デイには大盛況となり、市民は水族館のチケットを買い求めてサメの水槽へ殺到した。
夏のあいだ、ビーチではサメによる襲撃事件が何度も起きていたため、安全な場所から間近にサメを見学するのは楽しい経験だったにちがいない。海のモンスターが見世物になっている光景は、人間が海を支配している錯覚さえ抱かせる。

ところが肝心のタイガーシャークは、巨体にもかかわらず、どこか元気がない。けだるそうにゆったりと泳ぎ、時おり水槽にぶつかったりする姿は獰猛なサメのイメージとはほど遠く、そのうちに底に沈んだまま動かなくなってしまった。
「なんか弱ってない?」
「がっかりだよ。全然迫力ないじゃん」
水槽の前から客が一人去り、二人去りしはじめたそのときに、タイガーシャークは突然激しく身をよじらせて、ゲボッとヘドロのような茶色のものを水中に吐きだした。
「なんか吐いたぞ!」
「やだあ、きったなーい! 気持ちわるっ!」
……水中でエチケット袋を使えというのか、お嬢さん。もとよりサメは誰に見られていようが食いたいときに食い、吐きたいときに吐く。それでいいじゃないか。

よく見ると、ヘドロのなかに何かの塊が見える。それは人間の腕だった。手首には、なんとロープが巻きつけられている。
「きゃああああ!」
「なんてこった。こいつ、本当に人を食ってやがったのか!」
ようやく見せてくれた怪物らしいパフォーマンスに、見学客はドン引きした。

「ぼくはむじつです」

それはマネキンの腕ではなく、本物の人間の腕だった。一部が消化されていたものの、タトゥーもはっきり判別できた。その絵柄は、二人のボクサーが拳を交えて闘っているという特徴的なもの。筆者は「野菜」という漢字のタトゥーを入れた米国人を見て吹きだしてしまい、きょとんとされたことがあるが、それにくらべれば良心的なタトゥーといえるだろう。

タイガーシャークはただちに解剖されて天に召されたが、腕以外の人間の部位は出てこなかった。首をかしげる刑事たち。
「食われたのは片腕だけか。ひょっとしたら、この腕の持ち主は生きてるかもしれないぜ」
「バーカ、普通に考えろ。とっくに死んでるよ」
唯一の証人であるタイガーシャークが状況を説明できればよかったのだが、それは無理。しかし、彼の証言がなくても持ち主を捜さなければならないのが警察だ。

その後、サメの専門家と法医学者の鑑定によって、腕は食いちぎられたのではなく、鋭利な刃物で切断されたことが判明した。つまり、腕の持ち主はサメに襲われて死んだのではなく、その前に殺害された可能性がでてきたわけだ。こうなると、俄然やかましくなるのがクージーの住民たちである。
「殺人犯が野放しなんて、冗談じゃない。人食いザメよりタチが悪いぞ。とっとと逮捕してくれよ!」
「本当に。物騒で、おちおち外出もできないわ!」

とにもかくにも、まずは被害者の特定が先決だ。さしあたって、ここ最近行方不明になった者がピックアップされた。
「ジェームズ・スミス、イギリス生まれ、グレーズヴィル在住。元ボクサー」
一人目でビンゴだった。指紋が一致。そのうえ、新聞記事を読んだジェームズの弟が、タトゥーが兄と同じだと名乗りでてきたのである。
タトゥーと指紋を未消化のまま残してくれたスターには感謝しかない。

うさんくさい男たち

この事件の重要人物はたったの三人。一人ひとりの人物像もわかりやすく、たいへん助かる。相関関係を整理すると、こうなる。

被害者のジェームズ・スミスはビリヤードバーの経営者で、前科もち。ボクシング人生に挫折してからは裏社会とも関わりをもち、地元の犯罪組織のボス、レジナルド・ホームズの下で働いていた。
ボスのホームズは麻薬の密輸・密売を生業にしていたが、表向きの顔は小型船舶の製造業者。
そして三人目は、同じくホームズの裏稼業に関わっていた前科者のパトリック・ブレイディ。
平たくいえば、チンピラ臭が半端ない男たちである。ホームズとブレイディのどちらが真犯人でも、もはや驚かない。

捜査の結果、警察の見立ては以下のようになった。
発端はホームズが企んだクルーザーの保険金詐欺だった。クルーザーに高額の保険金をかけ、のちに海に沈めるという計画をたてて、ジェームズを仲間に引き入れた。ところがジェームズが裏切り、この一件を警察にタレこんだ。その結果、保険金はおりず、二人のあいだに確執が生まれてしまう。
さらにジェームズがホームズを脅迫しはじめたことで、亀裂は決定的になる。

ジェームズが最後に目撃されたのは、4月7日の夜。彼が事件に巻き込まれたのはほぼ確実とみられ、捜査線上にはレジナルド・ホームズという容疑者もあがっていた。

そして事件は二転三転

容疑者がいて、動機がある。切断された被害者の腕もある。にもかかわらず、一件落着というわけにはいかなかった。
ホームズを逮捕するのに十分な、確たる証拠がない。警察はホームズ本人から自白を引き出すことができなかったため、内情を知るパトリック・ブレイディを別件で連行。ブレイディはあっさりと、ホームズが犯人だと証言した。
ほらみろ、やっぱり俺たちの推理は当たってた。しかし、手下にことごとく売られるボスってのも笑えるな。こうなったら、なんとしてもホームズに吐かせてやる。

ところが、ここから事件は不可解な展開をみせる。
ブレイディが証言してまもなく、何者かがホームズを銃撃した。警察は、彼が一命をとりとめたことで楽観視したのか、ここで痛恨のミスを犯す。誰かが明らかにホームズの口を封じようとしているのに、護衛をつけなかったのだ。
そして死因審問で証言する日の朝、ホームズは車の中で死んでいるところを発見された。胸と下腹部に撃ちこまれた弾丸は三発。もはや脅しのレベルではなく、目的は殺害しかない。

ホームズの口が封じられると、さらに流れが大きく変わった。
死因審問が出した結論は、切断された腕はジェームズ・スミス殺害の根拠にはなりえない、というものだった。見つかったのは片腕だけで、遺体が確認されていない以上、生存の可能性ありというわけだ。
たしかに腕一本では殺人の証拠としては苦しいし、理屈上はごもっとも。ごもっともなのだが、さすがに無理がある。
ロープが巻きついたままの、切断された腕。どの病院にも治療の記録はない。しかも本体はいまだ行方知れず。それでもジェームズはどこかで生きている?

裏取引の臭いがぷんぷんする。背後で、よこしまな力が動いている。おそらく真犯人は別にいて、その真犯人がホームズを亡き者にし、司法を買収したのだろうと誰もが思ったにちがいない。

最後に笑った男

なぜホームズは消されたか。それは真実を知っていたからにほかならない。警察は彼から自白を引き出すことができなかったが、自身が潔白ならば当然だ。そして、その際の証言こそ真相に近かったのではないだろうか。

「犯人は俺じゃない。ジェームズを殺ったのはブレイディだよ。俺は奴にゆすられた被害者なんだ。ブレイディは、タロンビ通りにある自宅でジェームズを殺してバラバラにして海に捨てた。全部、あいつ一人でやったことさ。でもあの野郎、俺をゆするためにジェームズの腕だけは残しておきやがった。それを俺の家に持ってきて、言いやがった。言うとおりにしないと、次はおまえの番だってね。要求? 金だよ。金、金、金! 俺はパニックになって、腕を海に捨てちまった。そのあとのことなんか知るもんか」

ただ一人生き残ったパトリック・ブレイディは無罪放免になった。
物的証拠が弱かったせいもあるだろうが、なによりホームズの証言が得られなかったことが大きく影響しただろう。「ジェームズ生存の可能性あり」というのなら、そもそも誰かを殺人容疑で裁くことはできない。

ブレイディは一貫して無罪を主張し続け、76年の人生をまっとうすることになる。

外伝~チビザメの呪い~

この事件にはサイドストーリーがある。冒頭でタイガーシャークにむさぼり食われた燃える闘魂を思い出してください。

じつはジェームズ・スミスの腕は、もともとチビザメの胃袋にあった可能性が高いことがわかっている。タイガーシャークの消化速度はきわめて遅く、腕はゆうに二週間は胃の中にとどまっていたらしい。
腕はホームズによって海に投げ捨てられ、最初にチビザメの腹におさまり、次にタイガーシャークへ移動するという、非常に不気味な道程をたどったと思われる。だとすれば、チビザメは憎き仇の腹の中で間接的にリベンジを果たしたことになる。

ところで、腕の持ち主であるジェームズ・スミス本体は現在に至るまで現れていない。存命なら100歳をとうに超えているはずだが、彼がクージーの街に戻る日はいつのことやら。

追記:この事件は、資料によって事実とされる事柄に揺れがあります。本稿ではパトリック・ブレイディ犯人説を採用しました。
参考文献:『死体処理法 』ブライアン・レーン著/立石光子訳

※画像はイメージです。

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