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奈良県屈指の心霊スポット「白高大神」と玉姫協会の教祖「中井シゲノ」

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みなさま、ごきげんよう。
今回紹介するのは奈良県屈指の心霊スポットと言われる廃神社「白高大神」と、玉姫協会カリスマ教祖「中井シゲノ」について解説していきます。

目次

白高大神とは?

平成3年に廃神社になった「白高大神」は奈良県奈良市大和田町から1kmほど行った山の中にひっそりと残っています。
時折手入れに来る人以外は周囲の人も近づかないとも言われていますが、首の落ちたお狐さまの像、防空壕の跡や折れて朽ちた鳥居がそのまま残っている神社は「廃墟」というだけではない、何か説明のつかない不気味さを醸し出しているようです。

稲川淳二さんの心霊DVD「稲川淳二 解明・恐怖の現場~終わらない最恐伝説~ VOL.1」や、「狩野英孝のいくと死ぬかもしれない肝試し」などに取り上げられ、奈良県屈指の心霊スポットとして有名になりました。

  • 少女が神社の最も奥にある修行場で行方不明になり、発見された時には精神に異常をきたしていた
  • 面白半分に訪れた人が、次々に大怪我をした
  • 今も丑の刻参りが行われている

など、ホラーなエピソードにも事欠くことのない「白高大神」ですが、最近は心霊スポットではなく「パワースポット」「聖地」だという人もいるのだそうです。

その背景には、「玉姫教会」の教祖であり、「白高大神」を降ろして神託を聞く「オダイ」と呼ばれる霊能力者だった「中井シゲノ」の存在があるのではないでしょうか。

中井シゲノは神をその身に降ろし神託を聞く霊能者の家系に生まれ、幼い頃から、その霊能力を見出され、「オダイ(巫女)」としての英才教育を受けて育ちます。
その後、数々の困難に見舞われながらも、宗教法人「玉姫教会」の教祖として新興宗教を運営し、1970年頃までその類まれなる霊能力で多くの人の話を聞き、悩みを解決していました。

玉姫協会のカリスマ教祖「中井シゲノ」がどのような人生を歩んだのか、少し見ていきましょう。

「オダイ」の家系に生まれた娘

ここからはシゲノがどのように「オダイ」として成長していったのか、当時の様子に思いを馳せながら解説していきたいと思います。

1903年(明治36年)中井シゲノは奈良の比較的豊かな農家に生まれました。
8歳になったある日、シゲノは母に連れられ大叔母の家を訪ねました。

「おばさん、シゲノの様子がおかしいんですわ」

そう言って、母は大叔母に深く頭を下げました。

シゲノの家は代々シャーマンの家系であり、シゲノの大叔母であるヤエは「オダイ」と呼ばれる神下ろしの巫女で、自らに神を降ろして神託を伝えたり、憑物を落としたりということを生業としていました。

大叔母は九字を切ると風呂の湯が沸き立つほどと言われるほどの高い霊力の持ち主で、ヤエの言葉は神の言葉でもあり、村では絶対的な地位を得ていました。
その反面、目に見えないものと対話し、未来を予見する力をもつ大叔母は村人たちから恐れられる存在でもあったのです。

それはシゲノも同じで、この大叔母のことを子ども心に少し恐ろしいと思っていました。

「何があったんや」

大叔母に尋ねられ、母はシゲノが突然意識を失ったかと思うと、聞いたことのない声で喋り始めたり、来客が来ることを言い当てたりすることを説明しました。

「それに・・・、なんや・・・おかしなもんを見たとも言うて・・・」

母がそこまで言い終えると、ヤエはシゲノの正面に座りその目の奥を覗き込むようにじっと見つめました。

「あの・・・、お、おばさん・・・、うち・・・」
「シゲノ、あんた何を見たんや?」

シゲノは聞かれるままに、自分が見たものを説明しました。
その時答えたのは、白い狐とも、白い蛇とも言われています。

シゲノが話終えると、ヤエはしばらく何か考えた後シゲノの母に向き直り「シゲノには素質がある。うちの元でオダイの修行をさせる」と告げ、明日からここに通ってくるよう言い渡すとまた奥の間に戻って行きました。

「お母ちゃん・・・」
「聞いた通りや。あんた明日からここに通わしてもらい」

母はそれだけを言うと、シゲノを促し家路につきました。
親族の中においてもヤエの言うことは絶対であり、拒否は許されません。
不安な気持ちを抱えながらもシゲノは翌日からヤエの元に通い、滝行や寒行など「オダイ」となるための、厳しい修行が始めました。

シゲノが13歳のとき母が亡くなり、シゲノは更にオダイとしての修行に励むのでした。

シゲノの数奇な運命

18歳で結婚したシゲノは2人の子どもを産みますが、22歳のとき、長女の足が目を直撃し失明。約2年間の入院生活を余儀なくされます。

「あんたはもう、普通の生活に戻り」

失明したシゲノへの配慮からか、大叔母が後継者に選んだのはシゲノではなく別の弟子でした。

「いいえ。うちはオダイになることしかできません」

シゲノはオダイとしての生活の目処が立たなくなりますが、それでも幼い頃大叔母とよく行った滝寺に篭り、修行を続けました。

シゲノが修行をした場所が、現在の「白高大神」と呼ばれる廃神社であると言われています。
この滝寺には、奈良時代天武天皇が眼病を患った皇子を、夢で見た滝へ連れていくと龍神が現れ、目が見えるようになったという伝説がありました。

シゲノも毎日この滝寺で修行し、目を洗い続けていると、見えないはずの目に白い狐の姿が何度も見えました。そして3ヶ月後、奇跡的に左目の視力が回復するのです。
周囲の人は喜び、神様へのお礼として護摩を焚こうとしましたが、突然シゲノは「護摩焚き不要」とつぶやいた後、手を合わせて頭上に振り上げ「シラタカ!」と絶叫しました。

シゲノはこのとき、白高大神に「オダイ」として認められたといいます。

白高大神はシゲノに

「自分は稲荷山の二之峰の眷属であった白狐である」
「白高の名の元に修行していたが、誘惑に負け雌鳥を食べ、琵琶湖の北の島に流された」
「島での修行は辛いものだったが、3年後にようやく二之峰に戻ることを許された」
「辛い思い出の地ではなく、新しい地に行こうと旅をしていたところ、奈良の滝寺にたどり着き、そこで修行をしていたシゲノに興味をもち、自らのオダイに選んだ」

と語ったそうです。

それ以来、白高大神に気に入られたシゲノは、数々の言葉を降ろしました。

「それはシゲノさんに聞いてみたらええ」
「シゲノさんが、ほんまの“オダイさん”かもしれへんな」

その日以来、村人たちがシゲノのもとに次々とやってくるようになり、シゲノは村人たちの問題を解決し、苦しみや病を癒し多くの人を救いました。

そのうち、シゲノは3人目の子どもを産みますが、その2年後夫を交通事故で亡くします。

「うちの片目が見えるようになったんも、夫が死んだんも、うちをオダイにするためにシラタカさまが導いた運命なんや」とシゲノは思っていたそうです。
昔から、片目の者はより神に近しい存在だと言われていることもあり、シゲノも白高の神の神託を授かるオダイとして整ったというところだったのでしょうか。

神託を受ける

昭和9年9月9日。シゲノは滝行をしているとき「大阪で紀伊の国の玉姫大神を求めよ」と白高の神の神託を得ます。

翌日、シゲノは子どもたちを送り出した後、なけなしの10円(今でいう1万円くらい)を持ち、大阪に向かいます。タクシーの運転手に頼み込み、帰りの電車賃のみを残して「玉姫社」を探しますが、そのうちのどこも、神託で見えた場所ではありません。

タクシーを降りると、シゲノは大阪の天王寺区にある一心寺に向かいました。疲れからか、その石段の途中でふらつき、導かれるようにたどり着いたのが「安居天神」。そこはシゲノが神託で見た景色そのままだったのです。

「あなたさまが、玉姫さまですか」と尋ねると、見えない右目からスルスルと白い蛇が現れ、足をつたって社の方に消えました。シゲノは安居天神の宮司に会い、神託のことを話し「うちを玉姫稲荷のお守り役にしてもらえへんでしょうか」と願い出ました。

宮司は玉姫稲荷が紀伊の国からやってきたものだと説明し、今は誰も管理していない、お賽銭も入らない状況だが、それでもいいならどうぞと玉姫社を譲り受けます。

昭和11年、シゲノは大阪に移り住みました。地元には亡くなった大叔母の後を継いだオダイがおり、住民からの信頼の厚いシゲノとの間に軋轢が生まれていました。

そんなことからも、大阪への移住は願ったりというところだったのではないでしょうか。

「なあ、ねえさん。あの旦那さん、また来てくれはるやろうか?」
「うちはあの人と結ばれるやろうか・・・」

場所的に芸者や料亭の女将が、ちょっと「占い」を受けるような気軽さでシゲノの元を訪れることが増えました。

そのうちシゲノは、「何も話していないのに悩みをぴたりと当てる」と花町で評判になりました。
シゲノに心酔した芸者や料亭の女将が次々に信者になると、そのつながりで政治家、官僚、会社経営者まで次々にシゲノの元に通うようになったのです。
戦争が始まると、戦況をたずねる人など、玉姫社を訪れる人はさらに増えていきました。

シゲノは誰の依頼も平等に聞き、食べることに困っている人には食料を分け与えることもあったと言います。
シゲノの才能とカリスマ性によって新たな信者が増え、大きくなっていった社は、「玉姫教会」となり、伏見稲荷大社から支部として認められるまでになりました。

シゲノは大阪に移住してからも、修行のため奈良の滝寺に頻繁に通い、神様を祀る塚の世話などもしていました。
シゲノの霊能力は衰えることなく、多くの神託を残しました。
祈祷をしている時、シゲノの体は数センチほど宙に浮いていたという逸話もあるほどです。

昭和63年。滝寺で滝行をしていたシゲノは白高大神の声を聞きます。

「オダイはあと3年。それ以上命の保証はできない」

シゲノはその言葉を受け入れ、最後まで修行を続け、白高大神に伝えられたとおり3年後、89歳で息を引き取りました。
「玉姫教会」はシゲノの死と共に自然消滅してしまったのでした。

シゲノには多くの信者や弟子がいましたが、後継者を育てることはなく、シゲノの死と共に教会は自然消滅していき、平成3年には正式に廃神社となりました。

白高大神はパワースポットなのか?

今回は奈良県屈指の心霊スポット「白高大神」と、玉姫協会の教祖「中井シゲノ」について紹介しました。
さて「白高大神」は、心霊スポットなのか?それとも神聖なパワースポットなのでしょうか?

多くの芸能人やYouTuberが白高大神を訪れていますが、芸人の1人が突然憑依されたような状態になったり、霊能力がないはずの人でも、誰かに見られているような感覚に陥ったというような報告も多数挙げられています。

もともと神社は邪気や魔を封じ込め、神を祀る場所です。廃神社は魔を封じる、社としての力がなくなっていたり、そこを守ってくれる神がいない状態です。信仰が失われた神社には、悪い気が集まりやすいとも言われているため、白高大神にもよからぬモノが棲みついている可能性は十分あります。

面白半分で行くことはおすすめしません。

シゲノが幼い頃から修行し、神に気に入られてその不思議な力を開花させた場所である白高大神は、ある意味パワースポットと呼ぶことができるのかもしれません。
シゲノの「オダイ」としての能力は、伏見稲荷の神官の1人が「中井シゲノのようなオダイはもういない」と語るほどでした。

自分の身に降りかかったことを全て信仰のためと受け入れ、「オダイ」として人々のために神の声を聞き続けたシゲノは、神に愛された1人だったのかもしれません。

その魂は、今もなお白高大神に守られているのではないでしょうか。

※画像はイメージです。

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