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捕鳥部万と忠犬シロの伝説

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日本の忠犬といえば渋谷の秋田犬ハチ公の話が有名で、人間に深い情愛を示す動物の存在に驚きと行為に涙を誘います。

西暦587年7月の丁未の乱において物部氏宗家が滅亡したとき、家臣であり弓の名手でもあった捕鳥部万(ととりべのよろず)も討たれ、捕鳥部万の忠犬が亡骸を護った話が日本書紀に残っています。
この忠犬は「シロ」と呼ばれているようです。

目次

捕鳥部万

弓の名手であった捕鳥部万はその戦闘力をかわれ、非常事態のときは100人程度の部下を統率する権限を物部氏宗家から与えられていました。
丁未の乱で物部守屋が戦死したことを知った捕鳥部万、竹が生い茂った山に隠れ追討軍が近づくと、竹に縛り付けた綱で竹藪をゆすって自分の存在する場所を欺き、近づいてきた追討軍を次から次へと射倒していったのです。
捕鳥部万の戦闘力は追討軍側にとっては脅威、しかし多勢の追討軍によって捕鳥部万は傷つき自害してしまいました。

大和朝廷は捕鳥部万の奮戦に驚き、物部氏の残存勢力への影響を心配し、捕鳥部万の死骸を分割して幾つかの地域にさらすことを命じます。
しかしシロは主の亡骸を護って人が近づくのを許しません。主の首を咥えて旧墓所の中へ入れると、その上に自分の身体を横たえて動かず、やがて餓死してしまったのです。

この話を聞いた朝廷はシロの行為に感銘を受け、新たに捕鳥部万の墓とシロの墓とを造り、別々に埋葬しなおしたのでした。
そして日本書紀に記載されることとなったのです。

捕鳥部万の忠犬

このような昔、渋谷のハチ公のような忠犬が実在したのは驚きです。
捕鳥部は「鳥」の狩りを行うことを主たる業務の一族で、シロは猟犬としての役目をしていたのでしょう。
捕鳥部万はシロにとって、自分を育て上げかわいがってくれた飼い主であるとともに、共に狩りして時には互いに命を託した戦友のような存在であったのだと思います。

※画像はイメージです。

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