故小沢昭一といえば、俳優であるとか、大道芸、放浪芸など忘れられそうな芸を記録、発掘、実践したことで知られています。
テレビ出演されると必ず、戦前の話や戦争中、戦後の物のない時代の話をされて笑いをとっていたような思い出があります。
小沢昭一というタレント
昭和の頃、小沢昭一というタレントさんがいました。
昭和ひとケタ生まれで、テレビで少し年下の黒柳徹子さんと対談したりすると、必ず戦争中とか戦後の食べ物のない時代の話になっていました。
同世代のうちの家族は、小沢さんを見ては、まだ後を引いてるんだねえ、忘れられないんだねえと、お腹を抱えて笑っていました。
うちの家族は、悲惨な戦争体験というほどでもないせいか、明るく前向きな性格のせいか、そんなに深刻に戦争中の話をすることはなかったのです。
小沢昭一さんが、かなりこだわりをもって、みんなが忘れたいと思っているような、戦前や戦争中や戦後の話を伝えようとされているのは、よくわかりました。
例えば戦後、小沢氏が早稲田大学の学生の頃、食べる物がない時代、田舎で白いご飯が食べ放題と聞いて(たぶん、大学の落語研究会として)行ったときの話です。
小沢さんたち学生さんは、顔だけ演壇で話されている方を見て、拍手する振りをしつつ、机の下で出されたご飯をおみやげに持って帰るために、おにぎりを必死で握っていたそうです。
また、ゲスト出演したスタジオにお米の袋が置いてあったとき、小沢さんが担いで持って帰ろうとするんです。
その後ろ姿に向かって黒柳徹子さんが、「小沢さんは物のない時代だったから、お米が大事なのよね」と言うと、うちの家族は抱腹絶倒したものでした。
NHKの番組
極めつけなのは、NHKでの「わたしがこどもだったころ」という番組でした。
小沢さんの子供の頃の話が再現ドラマと、ご本人が登場して、若い女性アナと今現在の小沢さんの出身小学校を幼馴染と一緒に訪ねる場面などで
構成されていたと思います。
この再現ドラマが、私など戦争体験のない素人が見ても、小沢昭一の厳しい監修の目が行き届いている、妥協を許さないような凝り方でした。
例えば、小沢氏は、映画の撮影所もあった蒲田の写真館のハイカラな坊ちゃん(麻布中学のご出身)でした。
そのおうちの戦前の夕飯シーンでは、お坊ちゃんらしい服装で食卓にもトンカツとかのご馳走が並んでいました。
それが戦争が始まって、戦争中になると、食卓の夕飯のおかずもだんだんと質素なものに変わっているのです。
そして、外壁にはでっかく「パーマネントはやめませう」と書いたポスターが貼ってありました。
うちの家族は、最初は笑ってみていましたが、ふと見ると笑顔が消えて、あまりに生々しすぎると、イヤーな顔をして席を立ってしまいました。
小沢さん、やりすぎです。
体験者にとって笑うどころではない、嫌な記憶がよみがえるところまで再現していたのですね。
教育勅語
若い女性アナと出身の小学校の教育勅語が置いてあったという場所を同級生と訪ねたときも、女性アナが教育勅語とか知らないって、幼馴染と一緒にべらんめえ口調でまくしたておられたのも印象的でした。
女性アナ、下調べくらいして来なさいよと思いました。
でも、小沢さんも亡くなり、こういう戦前や戦中、戦後のことの体験者が少なくなってきています。
そうなれば逆に、ここまでこだわった再現ドキュメンタリーは、大変貴重なものと言えるのではないでしょうか。
eyecatch source:キネマ旬報社 撮影者不明, Public domain, via Wikimedia Commons
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