上野恩賜公園の奥にある不忍池(しのばずのいけ)は、古くから人々に親しまれた美しい池。
昼間は広々とした水面にカモや水鳥たちが戯れ、ボートを楽しむ人々、春から夏にかけては蓮の花も咲き誇り心を和ませる。
しかし夜になると別の顔を見せる。
都内でも知られる心霊スポットのひとつなのをご存知だろうか?
祖母の代から近辺に住まう私の、不忍の池についての戯言を聞いてほしい。
不忍池の歴史
不忍池(しのばずのいけ)は、もともと湧水と湿地が入り混じった天然の沼だった。
その形を整え、現在のような姿に造り替えたのは江戸初期。天海僧正が徳川家康の命を受け、上野の山に寛永寺を建立した際に、風水思想に基づいて都市の守護としてこの池を設けた。
天海は、江戸城の北東、すなわち鬼門にあたる方角に「比叡山」を模した上野の山を置き、不忍池を「琵琶湖」に見立て、その中央に浮かぶ小島を「竹生島」として築き、そこに弁財天(弁才天)を祀る弁天堂を建てた。
弁財天は水の神であり、芸能・学問・財運を司る女神として古くから信仰を集めている。こうして不忍池は、江戸の結界であり、水神信仰と霊的な都市防衛を兼ねた装置として機能することになったとも言える。
江戸後期になると、弁天堂の祭礼には屋台や見世物小屋が並び、池では舟遊びが盛んに行われた。
この様子は「江戸名所図会」にも描かれ、花見の季節には庶民が酒を持って集まり、池の周りは笑い声に包まれたようで、この頃の不忍池は「江戸の娯楽空間」として繁栄を極めていた。
だが、明治元年の上野戦争では一変し、この一帯は激しい戦火に包まれる。彰義隊と新政府軍の衝突により、寛永寺は焼け、池の周囲には数多くの死体が転がり、”池の水が血で赤く染まった”という話も伝わる。
のちに不忍池は一時期埋め立てられ、競馬場や博覧会場として使われたが、明治末期に再整備されて現在の姿に戻った。昭和になるとボート遊びや蓮の花の名所として知られるようになり、戦後の混乱期には浮浪者や日雇い労働者の溜まり場にでもあった。
その名の由来については諸説あるが、最も有力とされるのは、上野の高台がかつて「忍ヶ岡(しのぶがおか)」と呼ばれていたことに由来し、そこにある池を「不忍池」と命名したという説がある。
これは、上野の高台と池の関係性を反映しているので、私個人としてもこの説を支持する。
あくまでも祖母によると、江戸時代、賭博師や山師が集まり、賭け事や怪しい商売が行われて賑わっていた事から、世を忍びの者たちが集う場所とされ、これが「不忍池」の名の由来であると聞いた事がある。
現代の不忍池は明るく整備された観光地となったが、夜、弁天堂の朱色が水面に映る光景には、どこか現世と異界の境を感じさせる不気味さを感じるのであった。
不忍池に伝わる怪談
私が子供の頃から、大人や子どもたちの間で聞き伝えられてきた、不忍池の怪談の数々をまとめる。
弁天堂の幽霊
これは有名な話で不忍池の中央に浮かぶ弁天堂には、夜になると女の幽霊が現れるという話がある。
朱色の小島にひっそりと立ち、昼間は見えないが、夜、池の水面に映る光や波の揺らぎに紛れて、まるで誰かが立っているかのように見えるという。
江戸戦乱の犠牲者の魂や、かつてここで亡くなった人々が弁財天の下でさまよっていると言われる。
池の周囲に現れる幽霊
池のほとりや橋の上で、夜中に人影が歩いているのを見たという話がある。よくあるのは、白い衣服を着た女性や、顔の見えない男性。
周辺では、子どもの笑い声や泣き声が聞こえたり、白い影が灯籠や茂みの中に映るという報告もある。
他にも水死した者の霊が出るがあり、特に夜間、霧がかかると入水自殺した者の姿や亡くなった者の声が聞こえると言われる。この池で自殺をすると、水草が多くて溺死者が表面に浮かびにくいというのだ。
私は以前、夜間に池の直ぐ側を通って帰宅している時、背後からコツコツと特徴のある足音が聞こえたので、なにがなく振り返ってみると誰もいなかった。
幽霊の仕業かどうかは解らないが、確かに聞こえた。
兵士の亡霊
夜になると、戦装束の人影が見えるという。
それに水面を見つめると赤い光のようなものが揺れ、魂を吸われるなどといった噂もある。
明治元年、旧幕府軍vs新政府軍の上野戦争が起こり、近辺で激戦を繰り広げて兵士の流れた血で池の水が赤く染まったという伝承がある。
真偽は別として歴史を見れば、こういった噂の可能性はゼロとは言えない。
ボートにまつわる不思議
ボート遊びが盛んな不忍池。
夜間にボートに乗ると、足元から冷たい水が湧き上がる感覚や、漕いでも前に進まない現象に遭遇することがある、という怪談がある。
「池の底で何かが手を引っ張っている」かららしい。
不忍の池の怖い体験
上野で生まれ、上野で育った私にとって、不忍の池は身近な場所だ。
いくつかの心霊現象と思うことにも遭遇したことがあるが、物理的にも「怖い」場所でもあった。
昭和の時代、日雇いや浮浪者が片手に競馬新聞を持つ姿が見られ、人さらいが現れたという話もあり、昼間でさえ危ないので、親には女、子どもだけでは行くなと言われた事もある。
池の裏にある映画館は今やR指定のポルノ専門だが、昔は子ども向けの映画も上映されていた。
幼児期にドラえもんを見に行った際、R指定の映画に入り損なった異様な大人たちが溢れていてかなり怖ろしい。
映画を鑑賞していると母からトイレに行くなと言われて、半泣きで我慢したこともあった。
ここ最近では祖母が根津の病院に入院し、毎週のように見舞いに通っていた時のこと。
夜七時ごろ夏の夜風が心地よく散歩気分で帰宅している途中、池之端にさしかかると夕涼みがてら池の脇をあるいて行く事にした。
幼少の頃から恐ろしい体験をしているけれど、もう大人だし、人通りもあるから大丈夫だと思った。
ところが池の周りには、異様な人影がいくつもあり慌てた。
それはどうやら客引きの外国人の女性で、ボウと立つ姿は幽霊かと見間違えるほどで怖ろしい。
日が沈んで辺りは暗くなっていく、半グレ外国の姿も目立つようになり、ここで何かあっても助かるだろうか?と思い立って、小走りになる。
そこを抜けて、上野松坂屋の看板が見えると安堵した。
不忍の池と言う場所
不忍の池は軽い気持ちでの肝試しをすれば、恐ろしいことになるかもしれない。
霊的な怖ろしい伝承、それを裏付ける歴史がある故に怖ろしい何かが潜んでいるように思えてしまう。
不忍池という名前の由来は古い地名からだが、私としては忍ぶ場所もないと意味として捉え、ヤツラが隠れるのに最適である。
それらの標的は私たちで、魂も金も吸い取られるかのような、底知れぬ恐怖を感じる事がある。
歴史の痕跡と現代の雑踏が重なる池の周囲には、見えない存在の気配が漂っているかのように思えてしまうのだ。
※画像はイメージです。


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