男も女も去勢をして禁欲主義を実践することで神になれると説いた、帝政ロシア時代の異端の宗教スコプチ派について考えてみたいと思います。
驚異のスコプチ派
スコプチ派は、18世紀末のロシアで生まれたキリスト教の教派で去勢教とも呼ばれていました。
逃亡農奴(当時ロシアの農奴制により領主により隷属させられていた農民)のコンドラティ・セリワノフという人物が創始し、自らの性器を切除するという過激な禁欲主義を実践していたのです。
彼は自分がイエス・キリストの再来だと主張し「マタイによる福音書」の「人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる」という一説を曲解。自ら去勢した後に多くの信者を集め、信者たちにも去勢を強制し、1797年に逮捕されますが、100歳で死ぬまで獄中で布教を続けた。
セリワノフの死後もスコプチ派は秘密裏に活動を続け、性的欲望を捨てることで神に近づくと信じており、最終的には全人類の去勢を目指していました。彼らは自分たちを「白い鳩」と呼び、去勢されていない者たちを「黒い鴉」と蔑んでいたのです。
スコプチ派の教義では、去勢された信者が14万4000人になった時、キリストが降臨し、スコプチ派の王国、すなわち千年王国ができると信じていた。そのために去勢された信者の数は、それを超えていた可能性もあるとか。
スコプチ派と農奴
スコプチ派は、なぜ多くの信者を集めることができたのでしょう?
それは、当時のロシアの苛酷な時代に生きる農民や下層階級の人々にとって、去勢することで苦しみから解放され、神の元に行けるという教えが魅力的に映ったのかもしれません。
信者同士の結びつきがかなり強く、互助や貸付などの経済的な支援を行っていたため、社会的に孤立していた人々にも安心感を与えていたと考えられます。
去勢をしたら子孫が残せないのではとおもいますが、そこは逃げ道と言うのでしょうか?解釈の違いなのか?
信者間での結婚も禁じられてはおらず、子供を作ってから去勢するということが許されていたので、信者の減少で教団が無くなるという恐れはなかったようです。
スコプチ派の最盛期と終焉
スコプチ派の最盛期は19世紀から20世紀初頭。1861年、ロシアで農奴解放令が出されました。しかしこれで農民の生活が楽になったわけでは無く、今度は所有する土地や税金に悩まされていたのです。
農民ばかりではなく、産業革命により労働者階級の不満も徐々に噴出している時期でもありました。
そんな時代背景もあったのでしょう、農民以外にも、貴族や比較的地位の高い人たち、軍人なども入信し、信者の数は10万人もいたとも言われています。彼らは商業や金融などで成功し、ロシア社会にも徐々にではありますが、影響力を持つようになりました。
当然のことながらロシア正教会や政府から弾圧され、流刑や逮捕、投獄などの迫害にあいました。
スコプチ派の信者数は、20世紀初頭にロシア革命で弾圧されて以降は激減し、現在の信者数は不明です。しかし、いまでもロシアの極々限られた地域では、少数ではありますが、去勢という教義を実践している集団があるそうなのです。
信じる物は救われる?
「何々すれば救われる」という甘言は昔も今も常套句、21世紀になった今もカルトは存在し、それによって苦しめられている方々が大勢います。
本当に悩んでいる人や苦しんでいる人の心の隙間をぬって、弁舌さわやかに聞こえのいい声で言葉巧みに囁かれると、人は丸め込まれ、魔がさしてしまうのでしょうか?
社会主義思想の生みの親でもある、哲学者カール・マルクスは「宗教は民衆のアヘンである」と言ったそうですが、どうやらその言葉は本当なのかもしれないと思ってしまいます。
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