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奈良県藤ノ木古墳の遺体に隠されて蘇我氏の恐るべきメッセージ

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藤ノ木古墳に葬られた2体の遺体、いまだ不明のこの遺体の謎について大胆な仮説を考えてみました。

目次

奈良県 藤ノ木古墳で見つかった2体の遺体

1985年9月、奈良県は法隆寺の近くにある藤ノ木古墳が発掘されました。
6世紀後半の遺跡、アジアでも珍しい壁画と馬具、金銅製装身具の数々が発見され、遺跡の東西南北の壁に男女の壁画が描かれていました。
この遺跡から、2人の遺体が発見。一体は筋骨たくましい男性と思しきもの、もう一体は非常に華奢な遺体でした。

2体は誰の遺体?

遺体に関しては、崇峻天皇説と穴穂部皇子説があります。
歴史家の井沢正彦氏や法隆寺の長老は、一方は崇峻天皇の遺体だと唱えます。

しかし遺体を調べると、死んですぐに埋葬した後があり、当時は一定期間は埋葬しなかった風習から崇峻天皇の埋葬ではなく、同時期に暗殺された穴穂部皇子と考える方が筋は通ります。

穴穂部皇子はかなりの野心家で、天皇の地位に就きたがっていました。
当時、朝廷では蘇我氏と物部氏が権力争いをしており、皇子は物部氏側でした。

用明天皇が崩御し、物部氏は穴穂部皇子を天皇にしようと企みましたが、蘇我氏が先手を打って彼を暗殺、仲が良かった宅部皇子も暗殺したのです。

蘇我氏は、2人を合同に葬ったと日本書紀にあります。この記述が穴穂部皇子説の決め手となったのです。
そして、穴穂部皇子説をとる歴史学者や考古学者は、もう一体は宅部皇子と主張しています。

もう一体は女性ではないか?

宅部皇子はもちろん男性ですが、実は遺体に奇妙な点が見られました。
というのも、もう一体は女性の遺体なのではないかと。

考古学者の一部が華奢な遺体の副葬品に女性の物のアクセサリーが含まれること、馬具も手すりが付いており女性用のものに一致することから、女性ではないかと主張しました。

これに対し、かかとの骨を調べれば男性だったと言う考古学者もおり、議論は紛糾しています。

もう一方の遺体には蘇我氏からの政敵へのメッセージが含まれていた!

ここで、宅部皇子は女装させられて埋葬されたのではないかという仮説を立ててみます。
まず、穴穂部皇子は蘇我氏と物部氏の権力争いに巻き込まれ暗殺されました。
蘇我氏のターゲットは、政敵である物部氏の一掃にあったわけです。

宅部皇子に女装させたのは、蘇我氏が次はお前たちの番だという物部氏に対するメッセージだったのです。
というのも、宅部皇子の后は、物部氏の娘だったので、宅部皇子の女装は物部氏を示すものだと解釈できるからです。
歴史学者と考古学者を巻き込んだ埋葬者の性別問題も、政治的なメッセージを踏まえて考えれば、筋の通った答えを導けるのではないでしょうか?

いかがでしたか?

今回は藤ノ木古墳の遺体に隠された蘇我氏のメッセージについて、仮説を考えてみました。
文献と遺跡の間の結論の食い違い、それは当時の権力者たちのメッセージだったのかもしれませんね。

※画像はイメージです。

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