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即身仏はなぜ?~長く苦しい修行の果てに~

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ミイラと聞くとエジプトを思い浮かべる人が多いでしょう。しかしこの日本にも、ミイラ的なものが存在していることをご存じでしょうか?
そのミイラとは「即身仏」。即身仏は、自らに過酷な修行を課して、生きながら仏に近づいていった僧や行者たちの姿です。彼らは人々を救うため苦行に身を投じ、今も昔と変わらぬ篤い信仰を集めています

この記事ではそんな即身仏について、深く探っていきたいと思います。

目次

生きながら仏になる「即身仏」

即身仏とは、想像を絶するような苦行を自らに課し、自身の体をミイラ化させた行者のことです。その体は「仏」そのものと考えられており、現存する数は少ないながらも、今もなお篤い信仰心を集めています。

即身仏はエジプトのミイラと同一視されることが多いものの、その成り立ちは少し違います。エジプトでは死後に内臓の処理や防腐作業を行うことでミイラを作り上げますが、即身仏では、生きながら体をミイラに近づけていくからです。

一人の人間が即身仏になる、その過程を見ていきましょう。

即身仏になる過程とは、苦行・荒行の連続です。まず、即身仏を目指す行者は「木食行(もくじきぎょう)」というものを行うことになります。

木食行は、稗・粟・麦・米といった穀物を絶つ修行です。この過程で口にできるのは、木の実や木の皮、きのこ等といったものだけ。断食ではないものの、究極の食事制限です。木食行を行うことで、腐敗しやすい脂肪を落とすことが目的です。脂肪や筋肉、体内の水分を極限まで減らし、生きながらミイラのような状態を目指すのです。

また、即身仏を目指す行者は、木食行と同時にさまざまな苦行をつみました。漆を飲む・手の平の上でろうそくを燃やし、身動きを取らずにいる・千日以上の間、深い山に籠る……

こうした苦行の果てに、即身仏となる最後の修行「土中入定」がありました。土中入定では、行者の入った木棺が地中に埋められます。この中で、行者は鐘を鳴らしながら読経をすることになります。木棺には竹筒が通されており、水の確保や生死確認はこの筒を通じてなされていました。

地中から読経の声や鐘の音がしなくなると、一定期間を経て、行者は地中から掘り出されます。その遺体を乾燥させ、即身仏の完成です。

つまり、即身仏とは行者が死ぬことで完遂できる究極の苦行なのです。

山形県に多く残る即身仏

即身仏の伝承は全国に残るものの、現存する17体の即身仏のうち、8体が山形県で見つかっています。これは明らかに、即身仏に地域性があることを表しています。

では、なぜ即身仏が山形県に集中しているのでしょうか。

これには、いくつかの理由が考えられます。主なものとしては、「空海入定伝説」と「飢饉が深刻な地域性」が挙げられるでしょう。1つずつ説明していきます。

空海入定伝説

「空海入定伝説」とは、弥勒信仰(遠い未来に弥勒菩薩が現世に現れ、人々を救済してくれるという考え方)の一端であり、空海が高野山奥の院で即身仏となり入定(瞑想)を続け、弥勒菩薩の顕現を待っているというものです。

山形で即身仏となった僧や行者の名前を見てみると、「海」という文字が使われていることに気が付くはずです。また、彼らが属した寺院の宗派は真言宗(空海が起こした宗派)がほとんどであり、空海と即身仏の関わりを明示していると言えるでしょう。

飢饉が深刻な地域性

また、即身仏が盛んに行われた江戸時代は、飢饉が酷かった時代でもありました。特に山形県を含む東北地方は飢饉による被害が大きく、多くの人が亡くなったとされています。

そんな中で行われた即身仏の修行。それは、生きるために必要な食物を絶ち、自らを極限の空腹状態に置くものです。自分自身のために即身仏となった行者もいたでしょうが、その修行を志す根底には、飢えに苦しむ人々を救済したいという気持ちがあったことでしょう。つまり、「飢饉を解消するための人柱になる」ということです。

山形県に即身仏が多い理由は、弥勒信仰の救済並びに空海入定伝説と当時の状況が、複雑に絡んだためと言えるかもしれません。

即身仏に失敗はあるのか?

即身仏になる過程は食べ物を極限まで絶ち、自ら死に向かう過酷なもの。どれだけ強い意思で臨んでいたとしても、途中で挫折してしまうこともあったと言います。

ここでは、即身仏を志したものの失敗してしまった場合について解説していきます。

即身仏の失敗。これには、大きくわけて2つのパターンがあります。一つ目は、修行の過程で挫折してしまった場合。そして2つめは、土中入定したものの、うまくミイラ化できなかった場合です。

挫折してしまった場合

修行の過程で挫折してしまった場合。これは、即身仏になることの辛さから考えると理解できますし、実際に多数の人々が挫折したと考えられています。そして、即身仏になることを挫折した人に待ち受けるのは、「処刑」という結末です。処刑にまで至らずとも、弟子たちに抱えられて無理やり土中入定した僧の話も残っています。

失敗しても、成功しても死が待っている。
即身仏になるには、到底考えられないほどの強い意志が必要だったのです。

ミイラ化できない場合

そして、2つ目の失敗事例である、土中入定したもののミイラ化ができなかった場合。これは、死体が腐ってしまったり、原型を留めていなかったり、といった事例が考えられます。即身仏として祀る体がないため、失敗として数えられてしまうのです。

この場合、ミイラ化できなかった僧や行者は、無縁仏として埋葬されます。とはいえ、過酷な修行を立派にこなした身。ぞんざいな扱いを受けることはなかったようです。

現代における即身仏

江戸時代に盛んだった即身仏ですが、現代で行われることはありません。現代の考え方では、即身仏になることは自殺行為であり、それを助ける弟子や周囲の人々が、自殺ほう助や死体損壊などの罪に問われる可能性があるからです。

日本最後の即身仏は、明治36年に新潟の観音寺で行われました。即身仏になったのは仏海上人という方で、現在でも参拝することが可能です。

仏海上人が入定したとき、すでに日本では、即身仏になることが認められていませんでした。それが自殺行為であると認識されていたからです。そのため、仏海上人は死後に木棺に入れられ、埋められたとされています。また、3年後に掘り出すことを遺言として残していたものの、明治政府が発令していた法律により叶いませんでした。結局、仏海上人が即身仏として祀られることになったのは、昭和になってからのことでした。

まとめ

厳しい修行の果てに、即身仏となった僧や行者たち。その歴史を紐解いてみると、即身仏を志した僧や行者の思いに胸を打たれます。

現存している17体の即身仏たち。彼らはミイラではあるものの、少しも恐ろしくありません。むしろ穏やかな表情をして、私たちを見守ってくれているように感じます。

もし、即身仏の歴史に興味を持ったのであれば、お寺に参拝してみましょう。その独特の雰囲気や彼らの思いの一端を、感じ取ることができるはずです。

※画像はイメージです。

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