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ヒトラーに挑み、断頭台に散った女子大生 ゾフィー・ショル

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1943年2月22日17時、ミュンヘン、シュターデルハイム執行刑務所。
巨大な権力と闘った彼女は断頭台に立っていた。
罪状は国家反逆罪。
ドイツ国民がナチスに熱狂するなかで、冷静に現実を見つめ、ナチス政権の犯罪と人間が生きるための自由を訴えつづけたゾフィー・ショル。

「近い将来、今度はあなたがここに立つわ」

ただ自由のために信念を貫いた彼女の言葉が胸に刺さる。

目次

正義の白バラ抵抗運動

第二次大戦下のドイツ。
ナチスに反旗を翻し、戦争の早期終結を願って、剣ではなくペンで抵抗した若者たちがいた。
学生たちによる白バラ抵抗運動である。
目的は戦争を終わらせること、人間の権利と自由を取り戻すこと。彼らは公然とナチス政権を批判し、ガリ版で作成した抵抗ビラを各地にばらまいて、ドイツ国民に呼びかけた。
ゾフィー・ショルは、この白バラ抵抗運動のメンバーだった。
 
1943年2月、彼女は兄ハンスとミュンヘン大学でビラをまいたところをナチス党員の大学職員に見つかり、ゲシュタポに逮捕される。
4日後に死刑判決を受け、その日のうちに兄らとともに斬首された。

わずか21歳で命を散らすまでの彼女の行動を振り返る。

■ 右側の女性が「ゾフィー・ショル」
Hans Scholl, Public domain, via Wikimedia Commons

自由への渇望

世界恐慌で未曽有の経済不況を味わったドイツ国民にとって、ナチス党の台頭は革命的だった。
ゾフィーも当初は「新しいドイツ」に魅了され、期待に胸を躍らせた一人である。多様性を尊重し、リベラルな考えをもつ両親は子どもたちがナチスの思想に染まることに良い顔はしなかった。が、ゾフィーはそんな両親の心配をよそにドイツ女子同盟に入団して活動をはじめる。

ところがナチス組織の一員として活動をつづけるうちに、しだいに彼女はナチスの思想に疑問を抱くようになっていった。

「なぜユダヤ人の友だちだけ活動に参加できないのか」
「なぜユダヤ人作家の本を読んではいけないのか」

だんだんと見えてきたナチスの正体。思想教育・軍事訓練の強制、服従への圧力の恐ろしさ。精神的な自由を奪われたゾフィーは日記にこう吐露している。

「心が飢えてしまう」

戦禍が進むにつれて、個人の尊厳を置きざりにしたナチスの残虐行為は激化した。
自由の剥奪が当たり前となった日常は、ゾフィーにとってやり過ごせるものではなかった。彼女は戦争の狂気を憎み、ヒトラーと闘うことを決意する。同じ気持ちでいたのがドイツ兵士として前線に送られていた兄ハンスや大学の友人クリストフ・プロープストだった。

白バラ抵抗運動への参加

ナチス政権下では、その非人道的行為を受け入れがたく感じていたとしても、ほとんどの人間は声をあげようとしなかった。それは死を意味したからだ。
闘うという選択肢を多くの人が放棄するなかで、ゾフィーは兄が立ち上げた白バラ抵抗運動への参加を決意する。そこには、かつてナチスの組織で活動に寄与したことに対する罪悪感もあっただろう。そしてそれは、おそらく彼女の良心を苛んでいたにちがいない。

白バラ抵抗運動のメンバーは、ミュンヘン大学の学生だったハンスとゾフィーのショル兄妹、クリストフ・プロープスト、ヴィリ・グラフ、アレクサンダー・シュモレル、そして同大学教授のクルト・フーバーの6名のみ。
ゲーテの言葉やキリスト教の教えを引用したメッセージは手作業で1枚ずつ封筒に入れられ、電話帳から住所を割りだして、作家、教授、学生たちに郵送された。一連の作業はゲシュタポに密告されないよう、細心の注意を払いながら行われた。しかし彼らが作成したビラは6号で途絶えることになる。

■ビラを模した記念碑
Gryffindor, Public domain, via Wikimedia Commons

運命の2月18日

スターリングラード攻防戦で、かつてない劣勢に追いやられたドイツ軍に国民が不安を募らせていた1943年1月。
これをチャンスとみた白バラのメンバーは、第6号のビラを学生たちの自宅周辺に配布する。

「清算するときがきた。ドイツの若者たちよ、今までわれわれを苦しめてきた忌まわしい残虐行為を、テロ支配を打ち破ろう!」

そして運命の2月18日。
兄妹は残りのビラを大学構内でばら撒くことを決める。階段を上がり、3階からホール吹き抜けにばらまいたのがゾフィーの最後の活動となった。
ビラをまいたところを大学の職員に目撃され、ハンスとともに拘束されて、ゲシュタポに引き渡されたのだ。
同じくビラを作成したとしてクリストフ・プロープストも逮捕。
4日後の22日、3人は国家反逆罪によるギロチンでの斬首刑を言い渡され、刑は即日に執行された。

のちに司法テロと揶揄されるほど理不尽だったナチス政権下の法廷においても、毅然とした態度をくずさなかったゾフィー・ショル。
ナチスが犯した過ちは必ず裁かれるときがくると確信していたのだろうか。
彼女の勇気と良心が、戦後を生きるドイツ国民の救いになったことはまちがいない。

参考文献:『白バラが紅く散るとき』ヘルマン・フィンケ著/若林ひとみ訳

featured image:Hans Scholl, Public domain, via Wikimedia Commons

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