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ナチスによって開発された現代アサルトライフルの原型「Stg44」

第二次世界大戦下の1941年、時のナチス・ドイツでは歩兵の主力小銃にボルトアクション式のモーゼルKar98を採用していたが、同銃の使用弾薬であった7.92x57mm弾を切り詰めた7.92x33mm弾を開発した。
この7.92x33mm弾を使用する新型の小銃としてヘーネル社が試作したものがMKb42(H)であり、後に改良版がStg44(シュトルムゲヴェーア44)として1944年に正式採用される事になる画期的な自動小銃だ。

Stg44の名称を示す「シュトルムゲヴェーア」とはドイツ語で「突撃銃」を意味しており、これを英語に訳したものが「アサルト・ライフル」の語源とも言われ、名実共にその原型であると語られる事が多い。
但し「アサルト・ライフル」と言う括りに厳密な数値上の定義が存在する訳ではない為、一般的にはフルサイズの小銃弾より低威力の銃弾を使用し、セミ・フルの切り替え射撃が可能な自動小銃だと言える。

その意味においてStg44は軍に正式採用・実用化され、凡そ42万丁と生産総数こそそこまで多数とは言えないものの、現代を代表するM-16・AR-15系やAK系のアサルト・ライフルに通じる外観と機能を有した銃である。

目次

「Stg44」の仕様

「Stg44」は全長940mm、銃身長419mm、重量約5.2kgで前述のように新開発の7.92x33mm弾を使用し、フルオート時毎分500~600発の発射速度と当時の主力小銃と短機関銃の中間的な約300メートル程の有効射程を持つ。
7.92x33mm弾自体はもっと遠くの約800メートル前後でも殺傷力を有すると考えられているが、それまでのフルサイズ・ライフル弾と異なり、フルオート時の反動制御等を考慮した場合、実用射程は短いと言えよう。

「Stg44」の作動方式にはガス圧式が採用されており、30発のバナナタイプ・ボックスマガジンやピストル・グリップ、そして直銃床を備えたデザインは現在のM-16・AR-15系やAK系と多くの類似点を持つことが見て取れる。

不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

「Stg44」の開発経緯

ドイツが「Stg44」を生み出した背景には当時の同国軍の歩兵部隊において、主力となるMG34汎用機関銃とその運用者を他の歩兵達がモーゼルKar98小銃やMP38/40短機関銃等で援護する困難さがあったとされている。
当然当時の主力小銃のモーゼルKar98はボルトアクション式であり、当然連射は望めず装弾数も5発に過ぎず、また近接戦闘には7.92x57mm弾は威力過剰であった事、連射が可能なMP38/40は拳銃弾故にその逆であった。

そのためこのモーゼルKar98小銃とMP38/40のギャップを埋める新種の銃火器を指向した結果、連射時でも反動の少ない7.92x33mm弾を使用すべくヘーネル社が試作したものがMKb42(H)となって世に送り出された。
但しこうした歩兵部隊の銃火器の火力に関しては、主力小銃を半自動式で8発の装弾数を持つM1ガーランドを1936年に採用していたアメリカ軍を除き、ドイツも含め世界的にはほぼ同様の状態だったと思われる。

ドイツ軍を支えた万能な汎用機関銃MG34はその分野における名銃ではあるものの、汎用性を重視した造りから他国が兵士1人が携行可能な軽機関銃を採用していた事に比べ、ドイツ軍は総合的な火力に劣っていたとも言えそうだ。
こうした点からヘーネル社のMKb42(H)が試作されたが、後の「Stg44」とは異なり、この銃はMG34等の機関銃と同じくオープンボルト式の機関部を持ち、その意味でも機関銃を補完する意図が大きかったのだろう。

MKb42(H)から「Stg44」へと至る過程

現在では歩兵用の主力小銃としてすっかり定着しているのがアサルト・ライフルという存在だが、軍に正式採用されて実用化・量産化されたその最初の銃である「Stg44」も、そこに至る過程は決して平坦な道程ではなかった。

ヘーネル社のMKb42(H)は1942年後半から1943年前半にかけて約12,000丁弱が対ソ連の東部戦線に試験的に配備されたが、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはこれを知ると中止を命じ、代わりに従来の7.92x57mm弾を使用する半自動小銃の開発を指示する。しかし当時の軍需大臣アルベルト・シュペーアはMKb42(H)の将来性に着目、密かに開発を継続させ、オープンボルト式からクローズド・ボルト式に変更された同銃は短機関銃を示すMP43の名称を与えられて命脈を保った。

こうして1943年の夏頃までにMP43は約15,000丁程がドイツ国内の予備部隊に装備されて現場から高い評価を受け、それを知ったヒトラーも追認せざるを得なくなり、翌1944年に遂に「Stg44」として正式採用に至る。

Wolfmann, CC BY-SA 4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

「Stg44」としての実戦投入の結果

一説には何事にも大仰な表現を好むヒトラー自身が、この銃の先進性・革新性を知らしめようと「シュトルムゲヴェーア」と名付けたとも言われており、そこから1945年5月のドイツの敗戦まで凡そ42万丁が製造された。
「Stg44」は前述したようにMP43と呼ばれていた時期から先ず隊ソ連軍との東部戦線の実戦に投入され、当初の想定通りモーゼルKar98とMP38/40の間を埋める連射性能と威力を発揮し、特に市街地での運用で高評価を得たようだ。

1944年6月のアメリカ軍を始めとするノルマンディー上陸作戦以後は、その西部戦線にも「Stg44」は投入されており、同年12月に行われたドイツ軍最後のアルデンヌ攻勢(通称バルジ戦)でも使用されている。
「Stg44」の取り回しの良さは敵であるアメリカ兵にも認識された様子で、兵士の中には鹵獲した同銃を好んで使用するものもおり、映画「フューリー」でも主人公ら戦車兵が同銃を愛用するシーンが描かれていた。

但し軍艦や戦闘機・戦車などと異なり、銃火器自体は華々しい戦果が記録として残るものでは無い上、約42万丁と言う生産数も全てのドイツ歩兵に行きわたる数量でもなく、戦局に変化をもたらすとまではいかなかった。

第二次世界大戦後、旧ソ連・AKシーリズに受け継がれた「Stg44」の概念

前述のように東部戦線でソ連軍、西部戦線ではアメリカ軍を始めとする連合軍との戦いに投入された「Stg44」だったが、そのフルサイズ小銃弾より低威力の銃弾でセミ・フルの切り替え射撃が可能と言う概念は前者がいち早く受け継いだ。
ソ連では軍人上がりの銃器設計者、ミハエル・カラシニコフが7.62x39mm弾を使用するAK-47を設計し、1949年に歩兵の主力小銃として採用され、今に続くAKシリーズのアサルト・ライフルとしてその有用性が認められたと言える。

AK-47はアサルト・ライフルの概念を「Stg44」から継承すると同時に、第二次世界大戦で最大の犠牲者を出したソ連が、戦時下の極限状態でも生産が可能で銃そのもの堅牢製を重視した事でその地位を確立したものだ。
これとは対照的にアメリカは1961年にそれまでのM1ガーランドに変えてM-14を正式小銃とするが、同銃はセミ・フルの切り替え射撃は可能だったが弾薬はフルサイズの7.62×51mmNATO弾であり、反動制御には難があった。

アメリカが5.56x45mm弾を使用するM-16を正式採用したのは1962年に空軍が最初であり、基地警備の兵士の装備品としてだったが、ベトナム戦争の至近距離でのジャングル戦で連射時の制御の容易さからM-14を代替する事になる。

Armémuseum (The Swedish Army Museum) (StG44)USFG (AK), CC BY-SA 4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

今更ながらに偉大な名銃「Stg44」

「Stg44」が示したフルサイズ小銃弾より低威力の銃弾でセミ・フルの切り替え射撃が可能と言う概念、運用思想はまさに近代的アサルト・ライフルのそれと同義であり、第二次世界大戦初期にそれを指向した慧眼は特筆に値するだろう。
そもそもアメリカ軍以外はほとんどの国で主力小銃がボルトアクション式だったこの頃、技術的に難があったと言う点はあるにせよ、そもそも歩兵個人は弾薬を無駄に消費しないようにと敢えてそれを由とする風潮もあったようだ。

そうした中でアメリカが1962年にM-16を正式採用する13年も前に、ソ連がAK-47を主力小銃とした事は第二次世界大戦の戦訓を活かそうとしたと言えそうで、なまじ半自動小銃を採用していたアメリカより合理的だったように思える。
第一次政界大戦の名残と火力保持の為、第二次世界大戦までは使用された短機関銃だったが、アサルト・ライフルがその役割を兼ねることで、軍からは姿を消した事を思うと中々に感慨深いものがある。

featured image:不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

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