ストックホルム症候群~事件の人質が犯人を好きになる心理

誘拐・監禁・人質立てこもり事件の被害者が、憎むべき犯人になぜか親近感や連帯感を抱いてしまう・・・ドラマや映画でこのような光景を目にしたことはないだろうか。

過去には実際に犯人を守るために警察に銃を向けたり、逃げだせる状況でもその場にとどまったり、犯人と結婚に至った事例もある。敵に加勢し、味方を攻撃して何がしたいのかとツッコミたくなるが、極限状態におかれた人間の心理は深そうだ。

 ストックホルム症候群の由来となった歴史的事件

ストックホルム症候群(Stockholm syndrome)なるものを世に知らしめたのは、1973年にストックホルムで起きた銀行強盗事件だった。犯人は行員4名を人質にとって銀行に篭城、「さあ、パーティーのはじまりだ」という有名な言葉を残す。
ノルマルム広場強盗事件と呼ばれるこの事件は生中継され、5日間にわたる警察と犯人の攻防に国民は釘づけになった。

最初はおびえていた人質たちは、時間がたつにつれて様子が変化していく。
初めて人質の声が公開された時、人々は耳を疑った。電話口に出た人質の女性行員は、「犯人は全然こわくない。こっちでは仲よくやってるわ。こわいのは警察よ」と発言したのだ。もちろん、犯人に銃を突きつけられての言葉ではなかった。

さらに人質は首相に電話をかけて犯人を擁護し、警察を非難。
犯人が逮捕され、全員が解放されたあとも彼らは犯人をかばい、警察に敵対する姿勢を貫いた。監禁中も犯人が狙撃されないように守っていたことが明らかになっている。

極限状態で起こる特殊な心理変化

米国の精神科医であり、「ストックホルム症候群」という言葉の生みの親でもあるフランク・オッシュバーグ氏によると、ストックホルム症候群には三つのポイントがあるらしい。
まず、人質は犯人に共感や、時には愛情さえも抱く場合があること。つぎに、それに応える形で犯人も人質を気遣うこと。最後に、両者がともに外界を軽蔑するようになること。

通常、人質は拘束された時点で非日常の空間におかれてしまい、死の恐怖にさらされる。そこでは「話す」「動く」「食べる」「トイレに行く」といった自由も奪われてしまう。そうしたなかで「話す」「動く」「食べる」「トイレに行く」というご褒美が与えられると、あたかも幼児が母親に抱く感情に似た感覚が生まれるのだそうだ。
このプロセスについては、犯人の支配下におかれた恐怖のなかで生存本能が選択する心理操作と説明されることもある。

ノルマルム広場強盗事件の犯人の一人であるジャンエリック・オルソンは出所後、タイに移住した。かつての人質がタイまで訪ねてきたというから、彼らに芽生えた奇妙な連帯感は日常の生活に戻っても変わらなかったことがわかる。

ストックホルム症候群が確認された有名な事件

ストックホルム症候群は、ほかにも多くの事件で確認されている。警察にとっては迷惑な話だ。

有名なものでは日本初のハイジャック事件である1970年のよど号ハイジャック事件。乗客のなかには犯人にアドバイスをしたり、『北帰行』を歌って激励する者がいた。人質解放の際は「元気でな」「がんばれよ」と声をかけ、多くの者が手を振り続けていたという。

アメリカの新聞王ハーストの孫娘が誘拐された1974年のパトリシア・ハースト事件では、誘拐されたはずのパトリシアが犯人グループと結託して銀行を襲撃。組織の同志になったことを宣言した。

映画「TATTOO<刺青>あり」のモチーフとなった1979年の三菱銀行人質事件では、見張り役をまかされた行員が警察の動向を積極的に犯人に報告し、協力する姿勢を示していた。

ストックホルム症候群と似て非なるリマ症候群とは?

ストックホルム症候群とは逆に、犯人が被害者の心に寄り添い、攻撃的態度が軟化する現象もある。これは1996年にペルーのリマで発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件にちなみ、リマ症候群と呼ばれる。警察にとってはありがたい話だ。

犯人であるテロリストたちは人質の日本人に日本語を教えてもらい、彼らを「さん」づけで呼んだり、「人質対犯人グループ」でサッカーに興じていたといわれる。
テロリストたちは「もし武力突入があれば、ともに死んでもらう」と宣言していたにもかかわらず、人質を道連れにしなかった。

人間の心理というものは理屈や常識では説明できないとつくづく思う。ストックホルム症候群は、極限の閉塞状況におかれた人間の心理が複雑に絡み合って生じるものなのだろう。人間のサバイバル本能を考えるうえで、興味深い現象であることはまちがいない。
※画像はイメージです。

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