奇妙な問答

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自動車や鉄道など、リアルの交通網はもちろんのこと、インターネットのような仮想の交通網も整備されて久しい。

今となってはこの事実に拒絶反応を起こす人はほとんどいないだろうが、ここであえてネガティブなことを言えば、これによって地域ごとの文化的多様性はほとんど失われてしまったのである。

かつて、日本の文化は実に多様であり、中には解釈に困る奇妙な風習もあった。
民俗学者の柳田国男が監修した『年中行事図説』(岩崎美術社)には「成木責(なりきぜめ)」という風習が紹介されている。石川県能美郡などでは、1月15日(小正月)に子供が2人で屋敷内の柿・栗・桃などの果樹の下に行くと、1人が斧か鎌で果樹の皮に小さな切り目をつけて、

「なるか ならぬか ならにや鎌をもつて ぶち切るぞ」
と言うと、もう1人が
「なります なります 千とつぴやくなります」

と言いながら切り目のところに小豆粥を塗るという行事を行っていたという。

これは一見すると奇妙だ。しかし、実際はこれは豊かな実りを期待する呪法である。果樹に対するこのような威嚇は、願いの切実さを伝えるための、ある種のパフォーマンスであり、地蔵を縄でぐるぐる巻きにする「しばられ地蔵」と性格的には似ていると思われる。2人1組の問答形式である点が特徴的であるが、内容自体はそこまで不思議ではない。

しかし、中には大変奇妙で、しかも内実がよくわかっていない問答の習俗がある。その一つが「床入り問答」と呼ばれる問答である。少々センシティブな内容になるが、昔の農村などでは、初夜の床において、嫁と聟が次のような問答を行うことがあったという。

聟 あなたの家には、柿の木があるか
嫁 はい、あります
聟 それに、よく柿がなるか
嫁 よくなります
聟 では、それに私があがって、取って食べてもよいか
嫁 どうぞ食べてください

民俗学者の赤松啓介は、『性・差別・民俗』(河出書房新社)において、このような問答の意味として、「こうした羞恥と恐惑の一瞬を乗り越えるには、何か一定の形式を作って自然に進行させる方法をとるのが良い」と述べている。

つまり、初夜の緊張をほぐすための定型的なマニュアルが、この問答なのである。しかし、藤林貞雄(1985)は、この説明では柿の木にまつわる問答をする理由の説明にはなっていないとしている。

実は、この問答には柿の木以外のバリエーションがあり、秋田県では便所問答と言われる問答も行われていた。

聟 んがだえの便所にコモさがってえるが (お前の家の便所には、コモが下がっているか)
嫁 える (います)
聟 んだら便所さ、繩こ吊さえてえるが (そんなら便所に繩がつるさがっているか)
嫁 えねァ (いません)
聟 んだば危ねァな (それじゃぁ、あぶないね)

最初に紹介した柿の木であれば、性的で直接的な表現をぼかしている形跡がある程度見えなくもないが、これに至ってはそれすら感じられないのである。もちろんなぜこの題材なのかも判然としない。

これらの問答は地域差はあったものの、全国的に行われていた。その理由は、赤松啓介が指摘するような実用的な意味があったのかもしれないが、文章として記録されず、ましてや大っぴらに他人に話すことのできないであろう初夜の奇妙な問答が、なぜ似通った形式で全国的に行われていたのか。また、問答がどのように生まれ、どのように変化して、引用したような形になったのかは、もはや推測を行うことしかできない。

私は、この問答には何らかの原型となるものがあるのではないかと考えている。その本来の意味が失われ(いわば零落して)、形だけになってしまったのではないだろうか。ただ、それが何なのか。確かめる手段は失われてしまったと言えるだろう。

このように、文章として記録されない文化の中に奇妙な世界が広がっていることがある。目で見えることだけがすべてではないというのは、決して宗教や哲学に限った話ではない。

東有朋

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