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成功する籠城戦、失敗する籠城戦。

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籠城戦にはどのようなイメージがあるでしょう。
おそらくは、負ける寸前の状態というものが多いのではないでしょうか。

籠城戦=必ず負けというものが常識的となるのは、日本でいうなら戦国時代の後半のことです。
それまでは、籠城戦を通じて勝利した事例はたくさんあります。

目次

籠城戦の成功例

籠城戦の成功例の一つは、毛利元就による安芸(吉田)郡山城攻防戦です。
尼子家から大内家に鞍替えした元就を討つため、毛利軍に数倍する尼子軍が安芸(吉田)郡山城に攻め寄せます。

城を攻めるときの定石の一つに、攻者3倍の法則があります。これは、城攻めには3倍の兵力が居るというものです。
これに照らし合わせると、毛利勢は尼子の数分の一と伝えられ、負けてもおかしくない戦いでした。

■吉田郡山城跡の遠景
TT mk2 [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

元就は籠城一辺倒の策は取りません。
何度も城から出撃し、尼子軍に対して小さな勝利を積み重ねます。

籠城戦を戦い抜くには、士気を高い状態で保つことが絶対条件です。元就はそのことをよくわかっていたのでしょう。
決定打を与えられず、しかも、小さな敗北を繰り返した尼子軍の士気は目に見えて落ちます。

そこに、大内家の援軍が到着しました。籠城戦でかつ条件のもう一つは、粘れば援軍が来るという希望です。

籠城戦の失敗例

これに対して、籠城一辺倒に陥ってしまったのが大坂冬の陣・夏の陣です。

冬の陣において真田幸村は積極的に打って出て戦うことを主張しますが、大野兄弟ら首脳陣はこれを退けます。
幸村は出丸の真田丸で徳川方を散々に打ち破り、士気をかろうじて保ちました。

これに対して徳川家康は大砲をつかい、大坂城天守閣を砲撃させたり、夜間の空鉄砲により大坂方の戦意をそいでいきました。
加えて、全国の大名は徳川方についてしまい大坂方、豊臣家に味方する大名はだれ一人現れませんでした。

士気が低下し、援軍がない状態で外堀を埋めるという不利な和睦を受け入れざるを得なかったのです。

夏の陣では濠を埋められ防御力を失った大坂城に立てこもることは不可能なため、全軍をもって野戦に打って出ます。
幸村はあわやというところまで家康を追い詰めましたが力尽きます。

しっかりとした防御力がある大坂城を背景に出撃を繰り返せば、わずかながらでも勝算が高まったかもしれません。
守るときでも、攻めの姿勢を忘れないことこそ籠城戦を勝ち抜くコツといえるでしょう。

※画像はイメージです。

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