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使われてしまった核の恐ろしさを直視する一作「五月の晴れた日」

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核兵器については、肯定、否定様々な考えがあるところです。しかし、あるラインを超え、無分別に使われた核は、人間という存在にとっては害悪でしかないのは間違いないところでしょう。
そんな「最悪」が起きた場合、一体何が起こるかが描かれているのが本作「五月の晴れた日に」です。

目次

偶然が重なり、滅び行く人類

作中舞台は1980年代初頭、一見するとごく平和な都市の日常。しかし全人類は滅びようとしていました。
あまりに多くの戦略核が同時に使用され、生き残った地域でも、その放射能を含んだ風からの影響を逃れることができず、誰もがなすすべなく死んでいったのです。

きっかけはサウジアラビアの革命に米国が攻撃を仕掛け、サウジが核で応戦したからですが、そうした危険な状況下に中国の原発が事故を起こしてしまい、NASAの衛星がそれを核攻撃だと誤ってシグナルを送ってしまったことで、半ば自動的かつ破滅的なミサイルによる核戦争が起こってしまったわけです。

残された人類はどう最期を迎えるか

つまり直接的には誰が悪いというのではく、事故に事故が重なった不幸と言えるわけですが、残された人たちにとって確かなのは、風が吹いたら自分たちも死ぬということでした。
しかし空自の梶一等空尉を筆頭に、誰も泣き叫んだりはしません。あるいは絶望をし過ぎたのかも知れませんが、自殺する人はいても冷静さを失っている人はもはや皆無です。

バーを営業する人、演劇をする人、通信の仕事をする人、皆普通の日常を普通に行っていますが、じっくりと読んでいけば、それがいかに異様で悲しい光景かが理解できることでしょう。
この作品に出てくる生き残った、そして間もなく死んでしまう人たちには、悲しむことすら許されていないのかも知れません。

悪意なき、の怖さ

殺気や敵意に反応していち早く敵を倒す達人の姿が描かれることもありますが、つまりそれはミスにはどんな人も対応できず、やられるのを待つしかない、かも知れないことを意味しています。
核戦争後の世界を描いた本作ですが、少なくとも皆人類の滅亡を考えていたわけじゃなく、核戦争を起こす「意思」も薄かったという点で極めて珍しいものとも言えるでしょう。しかし、害意に関係なく事故は起こる以上、現実的なシナリオ、という部分も含まれています。

思想的な側面はありませんが、「使ってはならない武器」を事故なく管理できるのかという点で、本作は私たち読者に鋭い疑問を突きつけていると言えます。
核問題と言うと、とかく指導者や上層部の「理性」が問われますが、事故の有無という観点も極めて重要だと思えましたね。

著:小松 左京
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(C)五月の晴れた日に 小松 左京 集英社文庫

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