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迷信とバチに関する考察

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迷信といわれてどんなものを想像するだろうか。国や地域、ひいては家庭によって、様々な内容が存在する迷信だが、果たしてそれらはなぜ生まれ、存在し、語り継がれていくのか。ふと湧いた問いを整理すべく紙面を広げる。

目次

バチが当たる

幼い頃、大人から「これをするとバチが当たる(故にしてはいけない)」と言いつけられた経験が少なからずあると思う。バチが当たると言われれば、そのバチを当てにくる存在を酷く怖がったりしたものだ。

しかし大人になり迷信を子供に吹き込む立場になると、「何故この迷信は言い伝えられてきたか」を考察する余裕が生まれ、同時に、『バチ』と『迷信』が持つ別の一面や役割が見えてきたりする。

迷信の根拠と存在意義

例を挙げて触れていこう。筆者が幼少期を過ごした実家では、「夜の蜘蛛は殺すと呪われる」「朝の蜘蛛は縁起がいいから殺してはいけない」という迷信が同時に存在した。ゆえに実家では種類に関わらず蜘蛛の殺生はご法度で、縁起物といって追い払うこともなかった。

・・・といっても、田舎にあった実家に出没する蜘蛛といえば大人の手のひらサイズはあったので、筆者は迷信以前に怖くてとても近づけなかったが。当時の筆者が蜘蛛の殺生を行わなかった動機には確かに大人から聞いた迷信の中で語られる『蜘蛛の呪い=バチ』の存在もあった。

迷信とは、「根拠は無いが信じられている言い伝え」であるといわれている。ともすれば、「なぜ蜘蛛を殺してはいけないのか」「蜘蛛がかける呪い、ひいては『バチ』の正体」に根拠がないことになり、もっと言えば「なぜ大人たちはこの迷信を語り継いでるのか」もわからないままになる。

『バチ』の深層

迷信が纏っている『根拠不明』をそのまま享受するも、含有している『バチ』の正体を掘り下げて考察するも、迷信を語り継ぐ立場である大人になれば選べると気付く。前章の蜘蛛の殺生に関しては、毒をもつ種も混在し、どこを這いどんな菌を持つかわからない蜘蛛に衛生面上容易に子供が触れないように、『バチ=触れることで及ぶ病的影響』を忌避して広めたかと仮説を立てたが、実家で見かけた大型の蜘蛛の生態を調べると違う見方も生まれる。

蜘蛛、特に今回の手のひらほどある大きな種は、見た目こそ恐怖感や不快感を煽るが、その実、家にいる他の害虫を食べて駆除してくれる益虫の面を持っている。もう少し調べると、この種に限っては大きい図体とは裏腹にひどく臆病な一面があり、防衛のため噛む事も稀にあるが基本人間を襲うことはないという。

これを踏まえて、どうだろう、蜘蛛を殺さず他の害虫が湧かない家から見ると、蜘蛛を殺し他の害虫が湧いた結果家屋や食料に被害が出た家は、
「蜘蛛を殺したから『バチ』が当たった」「殺した蜘蛛の呪いを受けて被害が出た」ように見えないだろうか。

迷信とは

迷信の根拠とバチに関しては、今回取り上げた蜘蛛の迷信がたまたま仮説の筋が通ったように見えただけで、世間に広まっている迷信の中にはやはり根拠がない、もしくは説明できる仮説が立っていない、ものが多くある。
それでも解明の有無に関わらず、迷信が含むのは『戒め』や『教訓』であり、迷信が広まることによって『特定の行動の制限・抑制、あるいは推進』を狙っている。

親よりはるか昔の先人たちが蜘蛛の持つ益虫の面に着目し、『呪い=バチ』を用いて「殺してはならない、しかし家から追い出すものでもない」と伝えたように。
読者諸君も、自分だけが先人から伝えられた迷信があれば、『根拠不明』と『バチ』を浪漫として享受するのもいいが、その『バチ』が孕む深層に焦点を当ててみると、存外興味深いものが見えるかもしれない。

※画像はイメージです。

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