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最後のT字戦法で負けた国は実は日本だった

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海戦でよく出てくるT字戦法ですが、日本海軍のお家芸というわけではありませんでした。
近代海戦で最もT字戦法に成功した日本海軍ですが、実は意外な敗北も喫しているのです。

目次

T字戦法とは

T字戦法とは前進などしている敵艦に対して、側面から横切るように迎撃する事によって、射撃可能な砲塔が増え火力を集中させることが可能とされ、近代以降、旋回砲や側面備砲を装備した近代艦艇によるT字戦法は理想的な決戦体型として認識されてきました。

図では緑が迎撃可能な砲塔です、黒い矢印の艦は進行方向の後ろ側についている砲塔は前方を向く事ができません。

T字戦法の代表的事例

■5月27日早朝、バルチック艦隊との決戦に出撃する連合艦隊(「朝日」艦上より)
関 重忠(東京:博文館) [Public domain]

代表的な事例は1904年の日本海海戦、1916年のユトランド沖海戦などが挙げられます。
また、代表的失敗事例としてイタリア海軍がオーストリア海軍にリッサ海戦で敗れていたりと効果的であることは認識されながらもリスクを伴う作戦として認知されていたようです。

最後のT字戦=最後の戦艦同士の戦い

歴史上、T字戦法が取られた最後の戦いは1944年10月25日レイテ沖海戦の中で行われたスリガオ海峡海戦になります。
この戦いは皮肉にも、海戦史上最も戦果を出したT字戦法の海戦と記録されているのです。

近代海戦史上、最初の勝利を飾った日本海軍が最後の戦いでやられる側になってしまったというのは何という歴史の皮肉でしょう。

圧倒的ワンサイドゲーム

■空襲を受ける扶桑
United States Navy [Public domain]

レイテ湾を目指す西村艦隊は、戦艦「扶桑」「山城」を基軸に重巡「最上」などを単縦陣(一説には三列縦隊)でスリガオ海峡に送り込みます。
夜間とはいえ、米軍の魚雷艇や駆逐艦の攻撃も数度にわたり、その最中「扶桑」は不運な形で防御力の脆弱さで総員戦死の沈没を遂げてしまいました。

残った艦隊はなおも前進を続けますが、海峡で待ち構えるオルデンドルフ少将以下戦艦部隊が西村艦隊を文字通り、理想的なT字戦法で迎え撃ちます。
約20分の砲撃で、戦艦の主砲弾や巡洋艦の砲弾4300発以上が西村艦隊に降り注ぎました。

西村艦隊は西村中将以下、ほとんどすべての幹部が戦死。
唯一生き残った駆逐艦「時雨」のみがブルネイに帰還しています。

まとめ

艦隊決戦を企図していた日本海軍ですが、制空権、制海権を奪われ右往左往しているうちに自分たちが望んだ艦隊決戦で決定的な敗北を喫してしまいます。
残念ながら、この戦訓は後世に活かされることはありませんでした。

戦後の海戦は有視界戦闘ではなく、レーダーやミサイルを駆使した戦闘に変貌してしまったからです。
皮肉にも、この戦いを最後に戦艦同士の艦隊決戦は行われていません…

eyecatch source: U.S. Navy [Public domain]

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