1998年に公開された社会現象を巻き起こした中田秀夫監督のホラー映画「リング」。
本作に登場する貞子はそのエキセントリックな見た目とショッキングな登場の仕方で、多くの視聴者を戦慄させました。ところでこの貞子、明治時代に実在した超能力者がモデルなのはご存じですか?
千里眼の能力を持って生まれた故に数奇な生涯を辿った高橋貞子とは一体どんな人物なんでしょうか?
徹底解説します。
明治の千里眼能力者・高橋貞子の生い立ち
高橋貞子は1868年に岡山県和気郡和気町で産声を上げました。幼少時は平凡な少女と見なされていましたが、やがて不思議な力に覚醒します。
貞子が超能力を自覚したのは1910年頃。当時貞子は高橋宮二と結婚していました。夫の宮二は独自の呼吸法を確立しており、それを真似ているうちに超能力が芽生えたと言われています。
ちなみに宮二は心理学の専門家ではありません。
精神鍛錬の為我流で会得した呼吸法を信者に教えていたので、少し胡散臭いですね。
妻の超能力に気付いたきっかけは火箸
宮二が貞子の超能力を知ったのは1910年(明治43年)11月12日と言われています。当時宮二と貞子は東京の千駄ヶ谷で暮らしていました。宮二と貞子が家にいる時、貞子が持った火箸が勝手に火鉢の上を移動し「清」の一字を記す現象が起きます。もちろん貞子には心当たりがなく、彼女が操作したわけではありません。そこで宮二が持ちだしたのが欧米の交霊術に用いられるウィジャボードです。
貞子にウィジャボードをさせた所、母・御船千鶴子に匹敵する千里眼が備わっていると判明します。以降宮二は二十回以上に及ぶ透視や念写の実験を行い、妻の超能力を実証しました。
貞子は会場に集った観衆や有識者の面前で見事透視を成功させ、明治の世に降臨した千里眼と話題を呼びます。
有識者の反発を招き……貞子の哀しい末路
当時宮二と貞子は鵜澤總明の敷地に曲がりしており、鵜澤の知人の福来友吉に公開実験の主催者が引き継がれます。
福来監視下の実験において、貞子は別人格に憑依されて念写や透視を行いました。貞子はこの人格を霊格と称しています。その後高橋家の近所の医者の家で、福来が用意した写真乾板に念写が試みられたものの失敗。同じ家にあった別の乾板に念写が施されました。有識者は方向性を誤った貞子の能力に疑義を呈し、実験に学術的価値はないと判断を下します。
以降も実験は続き、貞子は「妙法」、「天」、自分の指三本の念写に成功。しかしトリックを疑われ世間の風当たりが厳しくなり始めます。さらに福来が著した「透視と念写」を非科学的と見なし、学者たちは実験への関心を失っていきました。
宮二と貞子は福来の社会的地位の失墜の責任を感じ、故郷の岡山へ帰っていきます。晩年の貞子の消息は定かではありませんが、一説によると心霊治療を営んでいたのでは、と言われています。
余談ですが貞子の実母・千鶴子も義兄の催眠術がきっかけで超能力が開花しており、娘に遺伝したのかもしれません。
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