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作曲家「滝廉太郎」の陰謀説を考察

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昔から歌われ続けている童謡はたくさんあり、多くは明治時代から日本に広がったとされています。
光あれば影がある、童謡にも影の部分がある・・・それは滝廉太郎。
「国家によって闇に葬られた」と言われているとすれば・・・なぜかを知ってみたくないですか?

目次

日本を代表する作曲家

滝廉太郎は「荒城の月」や「花」など、現代の教科書にも載っている名曲を残した作曲家。23年という短い生涯の中で残した数々の曲は、西洋文化が花開いた明治時代、西洋音楽を広めたという功績から日本の代表的な音楽家の一人として知られています。

実家である瀧家は、江戸時代に豊後の国、現在の大分県で家老職を歴任してきた上流武士家柄でした。しかも彼の代表作である「荒城の月」や「箱根八里」は当時の文部省が編纂した「中学唱歌」にも選ばれ、国への貢献からすれば暗殺の対象になるとは考えにくいでしょう。
しかし、国家により殺されたとささやかれるようになったのには、いくつかの不可解な要因があるのです。

「鳩」と「雪」

一つ目は、文部省が発表した曲の中に、滝廉太郎が作曲したものと酷似する作品があることです。それは、現代でも歌われている童謡として「鳩」と「雪」。
これは1911年に文科省が発行した「尋常小学唱歌」に初めて掲載されて以来、「ポッポッポ、ハトポッポ」、「雪やこんこ」と、誰しも耳にしたことある曲だと思います。

しかし滝廉太郎は「鳩」や「雪」が発表する10年前の1901年、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」という題名の曲を作曲しているのでした。
題名からもわかるように「鳩ぽっぽ」というフレーズが使われていること、「雪」でも「こんこん」と「こんこ」の違いという点からしても、不自然なくらいに酷似していることがわかります。さらに文部省が作った「鳩」「雪」ともに作詞家は明記されているにもかかわらず、作曲者については「不明」とかかれているのです。

国が作った曲なのにこんなことがあり得るでしょうか?
滝廉太郎はなぜ抗議しなかったのか?と思うでしょうが、抗議することができなかったのです。なぜなら1903年に肺結核により亡くなっている。文部省が曲を発表したのは、滝が亡くなって約8年後だった。

ドイツ留学の謎

もう一つの要因は死因にまつわる事。
滝廉太郎は1901年に、文部省外国留学生としてドイツに海外留学をしました。日本人の音楽家としては3人目という非常に栄誉なことと思うかもしれません。しかし、当時のドイツは結核が流行していました。

現在であれば、結核は原因が判明しており治療すれば完治しますが、当時は治療法がまだ確立されておらず、感染すればほぼ間違いなく亡くなる死の病とされていました。
滝廉太郎自身、ドイツに留学した5ヵ月後に結核を発症、帰国を余儀なくされたのです。

確かにドイツ留学は念願であったのですが、3人を留学させる予定だったはずが滝廉太郎だけ一人となり、国際情勢を把握しているはずの国が、将来有望な若者を無謀にもこのような危険な状況のドイツへの留学を推し進めたのでしょうか?

考えられる訳

当時の文部省はいくつもの楽曲を発表していたが、当時の人々からは受け入れられるものが作れずにいました。そんな時に若干二十歳の若者が作る曲が次々とヒットし、「荒城の月」に至っては文部省が発行する教科書にも採用されたとなれば、文部省としてはメンツを潰されたと感じても仕方ありません。

これらを総括すると、あえて結核が流行しているドイツに滝廉太郎を行かせることで病死させたと思わざるを得ないでしょう。そして亡くなった後に滝廉太郎の音楽構成を利用すれば人々の政府に対する求心力に繋がり、文部省の威信が保てると考えられます。

もしかしたら滝廉太郎は、西洋音楽に精通していたようなのでドイツの状況を知っていたのかもしれません。ですが事情を知らない世間の人々の後押しや日本人3人目という名誉なことから、断れずに国からの要請を受諾したのかもしれませんし、知っていてもドイツへ留学の魅力に打ち勝てなかったのかもしれません。

人生終盤の曲

ドイツから帰国すると感染リスクの観点から多くの楽譜は焼却処分され、その中には未発表曲も多数あったようです。そして無念と絶望の中で亡くなるまでに作られた曲は、これまで作ってきた明るいイメージとは違い、低音で暗い印象の曲が多く、その中でも印象深いのが「憾」。

この「憾(うらみ)」と名付けられた曲に、滝廉太郎はなにを込めたのでしょう?
この言葉は未練や無念の意味合いが強いようですが、曲の悲壮な旋律からすれば、壮絶な恨みをなにかにぶつけているようにも取れるのです。
それは病気へなのか、自分自身へなのか・・・国の企てがほんとだとして、それを感じとり殺されることへの無念なのか?
その真意は今となっては誰も知ることは出来ません。

偉大なアーチストのご冥福を祈ります。

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