交戦した米艦隊の司令官が最後まで阿賀野型巡洋艦だと主張して譲らなかった、日本海軍の「月型」防空駆逐艦。その主砲の威力とは?
月型駆逐艦
日本海軍の月型駆逐艦は昭和17(1942)年6月に一番艦の「秋月」が竣工、それ以後「照月」「初月」「涼月」など合計12隻が就役している。
要目は排水量3500トン、最大速力33ノット、主砲は長10センチ連装高角砲4基8門、61センチ魚雷発射管が4門、その他25ミリ機関砲多数と、兵装から見ても明らかに従来の夜戦重視の日本駆逐艦とは一線を画す防空駆逐艦であった。
一番艦の「秋月」は竣工後すぐにソロモン戦域に投入されたが、その3か月後の昭和17年9月に米軍のB17爆撃機3機の襲撃を受け、なんと前後の2基ずつの砲塔がそれぞれ別の目標に対して同時に対空射撃を行い、3機のうちの2機を一撃で撃ち落としてしまった。
当初米軍はこの新型艦を巡洋艦ではないかとしていたが、写真撮影をして判定した結果強力な防空駆逐艦であるとして、作戦中の全航空部隊に対してこのクラスの艦艇を発見したら不用意に接近しないように警告を出している。
主砲10センチ高角砲
その主砲の長10センチ高角砲は、まさに当時の日本の技術の粋を結集したとも言える卓越した性能で、「秋月」のみならず前線で活躍した「月型」駆逐艦で勤務した方々の証言は例外なくこの砲の優秀さを挙げ、バタバタと敵機を撃ち落とした事が多く語られている。
最大射高15000メートル。(有効13000メートル)、初速1000メートル/秒、最大仰角90度。発射速度毎分15発、砲身俯仰速度16度/秒、砲塔旋回速度11度/秒。
この性能は当時の日本海軍の高角砲としては群を抜いたもので、アメリカ海軍でさえもこれを上回る性能を持つ高角砲が出現したのは戦後8年たってからだと言われている。
発射速度と射程距離だけでなく大事なのは命中精度であるが、この長10センチ高角砲はレーダーで捕捉した敵機のデータを射撃盤に入力し、射撃盤から出た諸元が信管秒時として砲側に伝わり、装填の度に砲弾の信管調節が自動的に行なわれる仕組みになっていた。
この仕組みによって早い発射速度と高い命中精度が得られたのである。
もっとも、当時のレーダーは甚だ信頼性に劣っていたため、レーダー測的と砲側が直結されていなかったのはむしろ幸いだったとも言える。また、秒速1000メートルと言う高初速ゆえに砲身の寿命が短いと言う欠点もあった。
優れた対空戦闘力
「月型」駆逐艦はその優れた対空戦闘力のせいで、作戦時の臨時の旗艦にされることが多くなり、そのせいもあってか敵機には警戒されながらも常に攻撃目標ともなり、初期から就役した「月型」駆逐艦はその多くが非常に激しい戦闘の末に沈没あるいは大破すると言う、波乱に満ちた経歴のものばかりである。
昭和19(1944)年10月にエンガノ岬沖で「初月」を2時間にわたる砲戦の末にやっと撃沈したアメリカ艦隊のデュポーズ少将などは、このハリネズミの様な強靭な艦艇を駆逐艦とは認めようとはせず、最後まで阿賀野型巡洋艦だと主張したほどである。
「月型」駆逐艦12隻の内、大戦末期に竣工したものはすでに護衛するべき艦隊そのものが壊滅状態であったため、菊水作戦で戦艦「大和」を護衛する以外に目立った作戦には参加せず、5隻がほぼ無傷なまま終戦を迎え、賠償としてソ連や中華民国に引き渡されている。中でもソ連に引き渡された「春月」は練習艦として昭和44(1969)年まで長命を保った。
image credit: 作者 日本語: 米国海軍English: United States Navy [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由
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