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伊勢神宮の六芒星はダビデの星?日ユ同祖論を考える!

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数ある同祖論のなかでも、ひときわ注目度の高い日ユ同祖論。

日本人とユダヤ人は兄弟民族であり、いずれも預言者アブラハムの孫・ヤコブの末裔であるという学説だ。科学的な事実に照らして考えれば、地球上の人類はみな共通の祖先を持つことになるのだがそういう話ではない。
日本人はどこから来たのか。はるかな古代、失われた10支族が流浪の果てにたどり着いた新天地が日本だったとしたら・・・

目次

失われた10支族はどこへ?

ヤコブには12人の息子がいた。ヤコブの死後、一人ひとりが一族の長となり、12の支族が誕生した。ただし、レビ族は祭祀を受け持つ支族であるため、通常はイスラエル12支族には加えない。レビ族を除いて数える場合、11男ヨセフの息子であるエフライムとマナセを独立させて、エフライム族、マナセ族として12支族。

彼らは約束の地カナン(パレスチナ)へやってきて、王国の基礎を築いた。やがてダビデが大王となり、イスラエル統一王国が誕生する。しかしソロモン王の死後、10支族による北のイスラエル王国と、2支族による南のユダ王国に分裂。紀元前722年、北の王国はアッシリアに侵略され、民はアッシリアへ連行される(ニネベ捕囚)。

その後、南の王国も新バビロニア王国に滅ぼされ、2支族はバビロンへ捕囚された。新バビロニア王国滅亡後、南の2支族はようやくパレスチナへ帰還。ところが、すでにアッシリアが滅んでいたにもかかわらず、北の10支族は戻ってこなかった。彼らはそのまま歴史から忽然と姿を消す。その行方は世界史最大の謎のひとつになった。この失われた10支族のうち、いずれかが日本へ渡来したというのが日ユ同祖論だ。

日本とユダヤの類似点

失われた10支族の行方を調査する「アミシャーブ」という特務機関がある。

10支族の痕跡は世界各地から報告されているという。特にシルクロード付近に多いらしい。シルクロードの終着点といえる日本もまた調査対象国だ。遺伝子の調査も進められている。

『日本・ユダヤ封印の古代史』の著者であり、日本ユダヤ教団のラビとして日本に長く居住したマーヴィン・トケイヤー氏は、日本と古代イスラエルのさまざまな類似点を指摘する。例えば、神社の御神輿とイスラエルの契約の箱。神主の衣装とイスラエルの祭司の衣装。神社の構造とイスラエルの幕屋の構造。お清めに塩や水を使うこと。

日本三大祭りのひとつである祗園祭にも、シオン祭との類似性がみられる。さらに、エルサレム旧市街にあるヘロデ門の16菊花紋。伊勢神宮の菊花紋の下の六芒星。古代ヘブライ語と日本語の共通点も驚くほど多い。

三種の神器もユダヤルーツだった?

わが国の三種の神器がユダヤルーツではないかという声は古くからあったようだ。イスラエル神宝は十戒の石板、アロンの杖、マナの壺をさす。
明治時代の文部大臣、森有礼(もりありのり)氏は、八咫鏡(やたのかがみ)の裏にはヘブライ語が書かれていると主張した。

青山学院の左近義弼博士も実物を見て確認したといわれている。三笠宮殿下による調査が行われることが報じられたが、その後音沙汰はない。神に選ばれた民・ユダヤ人は、1948年にイスラエルが再び建国されるまで、およそ2000年にわたり流浪の民として歴史を歩んできた。

日本書紀の記述を信じるならば、北の王国滅亡からおよそ60年後、東の果ての日本では新たな歴史が始まることになる。

※画像はイメージです。

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