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ヒトとケモノの境界を考える~月ヶ瀬村女子中学生殺人事件~

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神戸市須磨区在住の「SHOOLL KILLER」 (犯行声明・原文ママ)、別名「学校殺死の酒鬼薔薇」(原文ママ)がワイドショーを席巻していたころ、ひっそりと幕を閉じた哀しい殺人事件があった。
同じ鬼でも、こちらの殺人者は「悲しき鬼」こと丘崎誠人(まさと)。

その凶行に酌量の余地はないが、この事件にあっては殺した者も殺された者もただ痛ましく、文字に起こす作業もむなしい。
今回は忘れたくない事件のひとつ、奈良・月ヶ瀬村女子中学生殺人事件を取り上げる。

目次

事件のあらまし

奈良県の北東に、かつて存在した月ヶ瀬村。美しい梅林と茶畑が広がる、のどかな山渓の村落である。

事件は平成9年5月4日に起きた。
村の中心部から川をひとつ越えた山あいの集落で、卓球大会から帰宅途中の中学2年・Mさん(13)が消息を絶った。

2か月後に逮捕されたのは、近所に住む無職の丘崎誠人(25)。自供から、三重県伊賀上野の峠で白骨化したMさんの遺体も見つかった。奈良地裁の一審判決は懲役18年。しかし検察側はこれを不服として控訴。その後、大阪高裁により無期懲役の判決が下された。

丘崎被告は判決を聞いた際も動揺をみせず、弁護団のすすめに抗い、上告しないまま刑が確定。そして彼は、収監先の大分刑務所の独居房で獄中自殺した。遺書はなかった。15分おきに行われる刑務官の巡回の隙をみての自死だった。

事件は当初、落ちこぼれ&ロリコン趣味の青年による性的いたずら目的の犯行というニュアンスで報じられたのを覚えている。けれど、そこに真実はなかった。この事件は、前時代的な村社会の旧弊によって起こるべくして起きたのだ。

修羅の人生

平成9年8月1日、捜査本部取調室。
「では聞こうか。なぜやった?」
「……」
丘崎誠人、放心のテイ。

事件後に手放した愛車の三菱ストラーダ。その後部座席から検出された血痕が被害者のDNAと一致。
被害者の体操着についていたタイヤ痕と、現場に残っていた塗料がストラーダと一致。
ダウンベストに付着した毛髪の血液型が丘崎容疑者と一致。
これらの証拠を突きつけて厳しく追及した結果、「テンゴ(いたずら)しようと思いました」という言葉はかろうじて引き出せた。

それにしても、なんとおとなしい男だろう。逮捕・連行のときに報道陣の前で暴れまくった人間とは思えない。
そういえば、職場の元同僚も口をそろえて「おとなしい人」「物静かな人」と言っていたっけ。影が薄い。生きる力が弱い。そんな空気がただよう。そのうえ悪人のようにもみえない。犯行とのギャップがありすぎて、どうにも違和感がぬぐえなかった。取調官はもう少し、この男のことを知りたくなった。
「なあ、丘崎。ひとまずテンゴはおいとこう。ほかに理由があるんやないか? そこんとこ聞かせてえな」
「……」
「ほんなら、もう一度聞くで。なぜやった?」

丘崎は重い口を開いて、話しはじめた。生まれたときから定まっていた修羅の人生を。

縁者は一代、与力は末代、三時の与力は文明堂

奈良盆地の東には、豊かな自然をいただく山間部が広がる。このエリアは、柳生十兵衛ゆかりの柳生の里を基点に、土葬の村が集中する日本有数の土葬文化圏である。月ヶ瀬(現・奈良市)も、ごく最近まで土葬の風習が残っていた。

丘崎誠人の両親がふらりとこの村に流れてきたのは、30年以上も前のこと。ともに在日朝鮮人・被差別部落のバックグラウンドをもつ、あやしげなよそ者。
住みついたはいいものの、村には与力制度があった。与力とは、地区の代表者たちのこと。与力2名の承認がなければ区入りはできず、村の一員として認められない。個々の家庭は冠婚葬祭を与力に相談しなければならず、指示に従わなければコミュニティで暮らしにくくなった。与力が権威ある存在だったことは『月ヶ瀬村史』でも明らかである。

のちに丘崎の母親は、「火事と葬式だけは村でやってやるが、それ以外はつきあわないと言われた」と法廷で証言した。
成人式、結婚式、出産、法要、病気、家の新改築、水害、旅行、火事、葬式。この十のうち、最後の二を除いた八つのことに、コミュニティは一切関わらない。これが村八分である。火事と葬式の面倒をみてやるのは、もらい火と疫病の伝染を防ぐためだ。
江戸時代の話ではなく、平成日本の話である。あちらこちらの時計の針が、ここでは止まっている。こうした制度は、もちろん地域生活における相互扶助の知恵であり、与力は頼れる相談役だったには違いないのだが。

地区の与力&民生委員を務める、丘崎がその命を奪った少女の祖父のすすめで、一家は村はずれの陽当たりの悪い傾斜地の小屋に住むことになった。区入りは認めんぞ。が、住むことは許してやる。アンタ何様? 与力様。

小屋はトタン屋根とベニヤ板。風呂は薪。室内をいつもネズミが走りまわり、「下水道の分担金が払えなかった」ために、屋外に掘った穴をトイレ代わりにした。茶摘み農家が大半を占める月ヶ瀬村にあって、田畑をもたない両親ができるのは日雇いや行商の仕事。
旧態依然とした集落で、丘崎一家を「この朝鮮が!」とののしる者も少なくなかった。

父は愛人をつくり、文盲の母は子どもたちを放任。料理をなんとか覚えた長女が毎日おかずをつくりおきして、それを各々が好きな時間に食べた。
会話すらない、ばらばらの家族だった。

「丘崎のセガレやさけ」

封建時代の名残のような村社会。それでもコミュニティの内側で疑問をもたずに生きられるなら、帰属意識に包まれて、そこそこ平和に暮らせるだろう。けれど、その輪からはじかれた者にとっては生き地獄。
村八分は、なにも田舎だけのものとはかぎらない。たとえば、ママ友グループの集団無視なども村八分のひとつだろう。ただ田舎では生活も全人生も一元支配されてしまうため、場合によっては生きるか死ぬかの切実な問題にまで発展する。だから、なおさら罪深い。

そのうち丘崎家では、父が不在のときに母のもとに男たちが通ってくるようになった。狭い家のなかで、幼い誠人はそれを聞きながら育った。姉が年頃になると、今度は姉のもとにも男たちがやってきた。姉は未婚のまま出産。父親、不明。
その昔、地方の一部の集落では、娘を慰安婦として提供する因習があった。身内の女性を差し出すことで居住を許してもらったり、便宜をはかってもらったりするのである。よくいえば取引、悪くいえば枕営業。これを世間に知らしめたのも月ヶ瀬村事件である。

誠人少年が小3のとき、村の公民館で放火騒ぎ。「丘崎のセガレが犯人や」と誰もが言った。理由は「丘崎のセガレやさけ」。
ビニールハウスでボヤ。青年団の祭りで現金が紛失。
「丘崎のセガレが犯人や」。理由は「丘崎のセガレやさけ」。
「あんたたち、あの子と遊ぶんやないよ!」「なんで?」「丘崎のセガレやさけ」。
すべて「丘崎のセガレやさけ」。

これで心が蝕まれないほうがおかしい。
学校では理不尽な体罰を受けつづけた。中2で不登校。卒業式すら行かなかった。担任に命じられたクラスメイトがしぶしぶ届けにきた卒業証書は、悔しくて悔しくて破り捨てて燃やした。

裁判では、村人も教師も「そんな差別はなかった」と口をそろえて否定している。

その日

その日──。
ここでも地獄は、のどかな日常の風景から突然その首をもたげる。うららかな5月の陽射しのなか、愛車を駆る丘崎。あとでわかったことだが、じつはこのとき、よりによってソープ帰り。この事実が、のちのち彼の心証をめっぽう悪くする。いろんな方面で。

すると、前方に帰宅途中のMさんを見つけた。小さい頃は人なつこく彼の車に乗り込んできた少女。
お、Mちゃんやないか。ジャージ着て、部活かな。ええなあ、俺は部活なんて縁がなかったからな。けど、家までまだかなりあるぞ。途中にきつい坂もあるし。よし、送ってってやろ。
ふとそんな親切心が生まれた。丘崎はMさんに近づいて、声をかけた。
「Mちゃん、乗ってくか?」
──運命の歯車が狂った。

彼女はチラリと一瞥しただけで、逃げるようにその場を去った。このときの丘崎の心情を供述調書から引く。
「顔見知りの私が声をかけているのですから、せめて『もうすぐ家やからいい』とか、『歩いて帰る』とか返事をしてほしかった。でもMさんが私を完全に無視し、背を向けて足早に歩きはじめたことで、この村の人間は私を毛嫌いしていて、この子も同じなんやと……。それまで受けてきた差別の悔しさが爆発寸前になったのです」
「許せない。車を当てて連れ去ってやる。村の者が行方不明になれば、村中が心配する。いい気味やと考えて」
「キレてしまった。あと先のことなんて考える余裕はありませんでした」

丘崎は、歩いているMさんに時速30キロのスピードで近づいて車をぶつけたあと、我に返って動転。病院へ運ぼうと考えたが、そうすれば家族まで村にいられなくなると思い、石で殴打して殺害。その後、隣接する三重県の峠に遺体を捨てた。

検察側は、「本人が差別を感じていたとは認められない」と主張し、あくまでロリコン変態殺人を争点とした。「差別を感じていたとは認められない」とはどういうことか。
そもそも供述調書を作成するのは捜査官である。奈良県警の供述調書は、逮捕容疑の未成年者略取とつじつまを合わせるために「連れ去り」という言葉を挿入させようとしており、それゆえ不自然さがみられるのは否めない。しかし取調官は、丘崎が明かした差別についても調書にきっちりと盛り込んでいたのである。

犯行の動機、心情、殺害に至る経緯について、この供述調書の大筋は信用に足ると筆者は思う。

「酒鬼薔薇、逮捕やさけ」

6月28日、嵐の夜。
メディアを見事に出し抜いた兵庫県警がゲーム(原文ママ)に勝利。殺しが愉快でたまらない(原文ママ)、困った少年が逮捕された。

「被疑者は神戸市須磨区居住の中学3年生、A少年。男性14歳です」 by 兵庫県警捜査一課長・山下征士

酒鬼薔薇聖斗ショーの電撃的解決で、報道陣がふたたび奈良の田舎に大集合。ところで、月ヶ瀬はどうなった?
奈良県警は、兵庫県警と同じくメディアに情報を流さずに粛々と裏をとっていた。村人の誰に聞いても、返ってくるのは「丘崎のセガレがあやしい」という言葉。
「あいつな、ガキのときに公民館に火ィつけたっちゅう話や」
「仕事も続かん。ブラブラ遊んどる不良やで」
「親もアレやしな」
「なにしろ丘崎のセガレやさけ」
ご名答。犯人は丘崎だった。けれど仮に彼が無関係だったとしても、みんなは同じことを言っただろう。これまでと同じように。

殺されたMさんは、月ヶ瀬でいちばん偉い名士の孫娘だった。小学生の頃は何度も車に乗せてあげた少女。無邪気だった少女が、ある時点から「世間」という得体の知れない仮面をかぶり、大人たちに染まって冷たく背を向ける。このときの彼女の反応こそ、村人の丘崎一家への接し方を端的に表したものだった。丘崎は、第三者には量りようのない絶望のどん底に突き落とされたにちがいない。

一方でMさんの視点に立てば、たとえ幼いときからの顔見知りとはいえ、丘崎は大人たちに評判の悪い無職の若者。車に乗らなかったのも理解できる。

ヒトとケモノを分かつもの

奈良と兵庫で同時期に起きたふたつの事件。ヒトとケモノを隔てる一線はどこにあるのだろう。

丘崎誠人の弁護団の高野嘉雄弁護士は、丘崎の自死を受けて、千辛万苦の胸中を明かした。
「被告人が罪を深く悔いていたことは接見してわかった。彼は最後まで心を閉ざし続け、弁護団さえも信用していなかった。私たちが彼の心をこじ開けられなかったことは、弁護士として慚愧(ざんき)にたえない」

「誠人くんは、刑事責任を軽くするための弁解や責任転嫁を一切しなかった。彼は事実を供述したのであり、償わねばならない責は引き受けるべきと考えていたことに留意すべきである」

たとえ虐げられた者の鬱積が根底にあったとしても、それは人を殺害する理由として、なんら酌むべき事由にはならない。
丘崎誠人は罪のない女子中学生を殺した。
けれど彼を壊したのは? 
中学生に「邪険にするのがあたりまえ」と認識させた村社会の体質は? 
人は法的には裁かれる。では道義的には?

丘崎には、少なくとも罪を悔いる心があった。彼は自らを断罪したのではなかったか。

「──乗ってくか?」
「あー、びっくりした。なんだ、誠やんか。驚かさんといて。けど助かったあ、今日な、部活の大会でな、ヘロヘロなんよ」
「それでジャージか」
「ありがと、誠やん」
「……ふふっ」
「やだ、思い出し笑いしとる」
「じつはな、こないだ変な夢を見てな」
「どんな夢?」
「俺がMちゃんを送ってやろうとしたら、シカトされるんじゃ」
「はあ? あたし無視しとらんし。乗せてもらっとるし」
「だから、夢にでてきたMちゃんの話よ。返事もせんと、俺を汚いもんみたいに見て、逃げてくんや。だから俺は──」
「俺はどうしたの?」
「あー、忘れた。まあええやんか、夢の話や」
「そういえば誠やん、しばらく姿を見んかったけど」
「ま、いろいろあってな」
「そっか。いろいろあったんや。大人は大変やね」
「あのな。俺、また仕事さがすつもりや。いつまでもブラブラできんしな」
「ええ心がけや。がんばれ」
「はは。自分でもそう思うわ。情けないけど」
「あ、ここでいい。ほんと助かった」
「ほんなら、気をつけて帰れよ」
「うん」
「あ、それとな、Mちゃんな……」
「なあに?」
「ありがとな。その……乗ってくれて」
「変なの。お礼言うんは、あたしやろ?」
「そっか。そうやな。じゃあな」
「うん、またね!」
「……さーて、帰るか。職さがしもせなあかんし。……ああ、ええ天気やなあ。あれ、この村ってこんなにキレイやったっけ。今まで気づかんかったわ。なんか今日は気分がええな。よっしゃ、明日からがんばってみるか!」

丘崎誠人は独房で首をくくる瞬間まで、暗く冷たい孤独の底で光を求めていたはずだ。
その日は少女の月命日だった。

参考文献:『土葬の村』高橋繁行著

※画像はイメージです。

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