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瀬戸内のジャンヌ・ダルク!鶴姫伝説

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河野水軍の姫大将黒髪をたなびかせ陣頭指揮!
瀬戸内のジャンヌ・ダルクや姫大将といわれる鶴姫です。

尾道市の沖、芸予諸島中で最も大きい島、大三島に伊予最古の神社、大山祇神社があります。
源頼朝が奉納した紫綾威鎧(むらさきあやおどしよろい)等々の国宝を収める神社の宝物館には、日本で唯一といわれる女性用の鎧が伝えられています。

正式には「紺絲裾素懸威胴丸(こんいとすそすがけおどしどうまる)」といいます。
胸の膨らみ、ウエストがくびれ、腰から下の草摺(くさずり)部分が普通は八間なのに十一間に分かれスカートのひだのように見えます。説明によれば、天文10年(1541年)に周防の大内義隆との大三島合戦で兄安房が戦死したあと、鶴姫がこれを着用して采配をふるったとあります。

鶴姫は大山祇神社の大宮司大祝安用(おおふりやすもち)の娘に生まれ、代々河野水軍の一族で、父の鍛練により鶴姫は女ながら武芸に長じ、その怪力は三島明神の再来といわれました。

当時、大内氏の勢力が瀬戸内まで伸びて、たびたび大三島も襲われ、河野水軍と村上水軍は協力して防戦に当たりましたが、激戦の中、次兄安房は戦死しました。すると16歳の鶴姫は漆黒の髪をたなびかせて陣頭指揮を取り、見事に敵を撃退しました。また、あるときは遊女にやつして大内軍の船内に乗り込み、酒を飲んでいた敵将を抱きかかえ、脇腹を刺して殺しました。

2年後の天文12年(1543年)大内義隆の重臣陶晴賢の大軍が3度の決戦を挑んできました。この戦いで大三島軍は敗北し、鶴姫は最愛の恋人の越智安成を失います。

大山祇神社の子孫の三島安精氏が著した「海と女と鎧」によれば、その八月、大内軍に最後の一戦を華々しくしかけたのち、「わが恋は三島の浦のうつせ貝むなしくなりて名をぞわづらふ」という歌を遺して海へ漕ぎでた鶴姫は、再び帰ることはなかったといいます。

一説には生き延びた鶴姫は神官に嫁ぎ大祝職を守ったとも言い伝えられています。ですが何より戦い続きの血で血を洗う戦国乱世の世、男でも足がすくむのではないかという戦場にて陣頭指揮を取り、激戦を駆ける女戦士鶴姫の胆のすわりかたは半端ではないです。

著:土田 よしこ
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