ある年の年末。土曜日の夜に友人宅で開かれた「鍋パーティ」の誘いを受けたわたしは、福岡県大牟田市あった友人のアパートにおもむいた。
友人たちと鍋を囲み、したたかに酔ったわたしたちは、気分の赴くまま馬鹿話に興じていたのであった。そのひとりが、何気なく勤務先である工場での体験を語ったのだ。
謎の地下施設?!
大牟田市には戦前から広大な化学工場が存在しており、当然ながら戦時中は軍の兵器製造の分野で重要な役割を担っていた。現在もなお関連施設の跡が点在しているが、そのひとつの地下施設に仕事のために入ったという。
敗戦後の混乱や関連施設の破壊、書類の破棄などが相次いで、現在となっては何が何処にあったのか会社側も把握していない。
そんな地下施設の一部に入ってみると、ガビの臭いが充満した暗闇のなか、朽ち果てた戦車のような車両やら、崩れかけた大きな棚には沢山の部品や薬品の瓶が懐中電灯の明かりに浮かぶ。目的であった電気設備の調整を終えた友人と上司は、作業を終えるとさっさと地上に戻った。
彼の上司が言うには、地下施設はここだけではない。戦時中、粗製乱造された地下の軍事施設は街の地下全体におよんでいるが、敗戦直後の乱雑な解体や埋立て、書類の破棄のせいで全貌が分からない。
その中には爆発物がゴロゴロしていて、下手に処分しようものなら街の半分が吹っ飛んでしまうかもしれない。
東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所
その話題は酒の席のネタとして楽しまれ、大いに盛り上がった。
帰宅後、何気なく関連書籍を調べてみると、確かに隣接する熊本県荒尾市には「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」が存在した。
その施設は荒尾市の5%ちかくを占める敷地で火薬と爆薬を製造していた。山中にトンネルのように建造された変電所が戦跡として今でも残っているのだ。
友人の話は事実なのかは分からない、おそらくホラ話だろう。しかし、その「東京第二陸軍造兵廠 荒尾製造所の変電所跡」の前を通るたび、友人の話が脳裏をよぎる。
なぜなら友人は件の席で、意味を理解しないまま「第二陸軍造兵なんとか」と言っていたのだから。
その陸軍がどうという意味はなんだよと・・・訊ねたわたしに、友人は「いや、地下の出入り口にそんな看板っていうか、ネームプレートがあったっちゃんねぇ。漢字が難し過ぎて読めんかったばってんさ」と、笑いながら話していたのだ。
※画像はイメージです。
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