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古くも新しい怪異譚「裏S区」をキーワードから考察

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怪異譚とは、恐ろしくも面白いもの。昔から残る多くの怪異譚を読んでいると、一つの特徴に気が付きます。それは、得体が知れない「身近な」怪異こそ、一番恐ろしいということ。

こうした特徴を持つ物語は、今もなお語り継がれています。その代表格が、「裏S区」と呼ばれる怪異譚。これが事実にせよ創作にせよ、その背筋が凍るような感覚や、思わず興味をそそられる語り口は本物です。

今回は、そんな『裏S区』に散らばるキーワードから、その内容を考えていきましょう。

目次

『裏S区』とは?

『裏S区』とは、2007年ごろにインターネット掲示板・2chの「洒落怖(死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?)」に投稿された怪異譚の1つです。とある地区に古くから伝わる怪異や差別と、それに巻き込まれる一般人の「俺」という構成を持ち、古くからある怪談の要素と都市伝説の要素が混ぜ合わさったものとなっています。

様々な怖い話が語られる「洒落怖」の中で、『裏S区』は殿堂入りを果たしているものの、他の物語に比べ強い恐怖を人に抱かせるものではありません。この話は「怖い」と言うよりも「不気味」なのです。

以下で『裏S区』の大まかな内容を見ていきましょう。

あらすじ

「俺」は九州のどこかにあるS区という地域で暮らしていました。そして、S区の山を越えた所には、「裏S区」と呼ばれる町がありました。「裏」という言葉は差別的な意味を持ち、良いものではありません。

「俺」には、同じ高校に通う裏S区出身の友人・Aがいました。しかし、Aは変わってしまいます。笑いながら「俺」を殴り蹴るいじめっ子となってしまいます。

しかし、先に学校に来なくなったのはAの方でした。教師に呼び出された「俺」は意外な話を聞きます。Aはいじめていたはずの「俺」を怖がっていたというのです。「俺」はAに対して強い怒りを抱き、不登校となってしまいました。

不登校となった「俺」は、とてつもなく嫌なものを見てしまいます。それは、自宅マンションで起こった飛び降り自殺。下にある死体と、そっくり同じ姿をした「何か」。それ以来「俺」は、飛び降り自殺の際に響いた「ドーン!」という音を聞き続けることになりました。

ようやく学校に通えるようになった「俺」は、Aのおじさんと出会います。おじさんは「俺」を見るなりお経を唱えたり、笑ったりとおかしな行動をしてきました。「俺」はそれに怒り、おじさんに暴力を振るってしまいます。しかし、そんな「俺」の耳に、あの「ドーン!」と言う音が聴こえたのでした。音がする方向を見ると、血だらけの、半分だけの顔がそこにありました。

気が付くと「俺」は自宅にいました。両親とAのおじさん、おばさんがそこにいたのです。殴りかかろうとした「俺」を両親は制止し、おじさんとおばさんの話を聞くことになりました。

2人によると、Aが怖がっていたのは「俺」に憑いていた何か。Aが笑いながら暴力を振るったのは、その何かを祓おうとしたため。Aの出身である「裏S区」には霊感が強い人が多く、「笑う」ことで悪いものを祓うという風習があったということ。そして、「俺」についているのは飛び降り自殺をした霊と、「××××」と呼ばれるものであること。

そうして、おじさんは「俺」に憑いたものを祓ってくれました。

学校に復帰した「俺」は、Aの自殺を知ります。そして、Aが自殺した丁度その時、「俺」の耳に「ドーン!」という音が響きました。
後に、Aの葬式に招かれた「俺」は、その異様な葬式風景と「××××」について、おじさんから聞くことになるのです。

『裏S区』をキーワードから考察

『裏S区』の中には、特徴的ないくつかのキーワードを見て取ることができます。ここでは、ピックアップした2つのキーワードを用いて、この怪異譚について考察していきます。

発狂する集団

タイトルにもなっている「裏S区」という言葉。この「裏」という文言には、本文中でも触れられている通り、良い意味はありません。その地域の特殊性と差別の歴史を含んだ呼び方だからです。

裏S区がその名で呼ばれることになった理由。それには、いくつかの要素が挙げられます。一つ目は、裏S区は同族が集まる地域であり、家系的に霊感の強い人物が多かったということ。次に、裏S区が「ナメ〇〇〇」と呼ばれる、霊道であったこと。そして、この2つが絡み合ったことによって、数多くの人が発狂してきたという歴史。

かつて、日本や世界問わずに、ある種の集団に属する人々が同時期に(もしくはある程度の短期間で)恐慌状態を呈することがありました。代表的な例でいえば中世ヨーロッパの魔女狩りですし、少し前、コロナウイルスの流行初期に起こった、SNS上のデマの連鎖などもその一つです。

裏S区で起こった集団の発狂もまた、このヒステリー状態の一種ということができるでしょう。

問題なのは、裏S区で集団ヒステリーが起こった背景です。霊道(「ナメ〇〇〇」はおそらく「ナメラスジ」を表す)に霊感が強い人が住めば、何等かの障りが起こることは当然です。見たくないもの、感じてはいけないものを嫌でも見て感じてしまう訳ですから、精神的に脆くなってしまうでしょう。そしてそれが集団になれば、何等かの連鎖反応が起こるのはどうしようもありません。

また、裏S区に住む人々の中で、発狂したのは同族が多かったことが読み取れます。同族であれば、大まかな体質は似ているでしょうし(霊感もその一つ)、付き合い自体も密だったことでしょう。

ここで、本文中に登場する怪異「××××」を考えてみましょう。『裏S区』後半でこの怪異の正体について触れているシーンがありますが、それもまた、裏S区の住人でありAの親族の1人でした。

かつて、古代中国には蟲毒というものがありました。これを簡単に説明するならば、多くの毒虫たちを互いに殺し合わせることで創り上げる、呪いの一つです。

裏S区でも、この蟲毒のようなことが起ったのはないでしょうか。「××××」というのは、蟲毒で生き残った最後の一匹。つまり、発狂した中で一番霊感の強い人物だったのかもしれません。毒は強ければ強いほど、自分を陥れる危険性を持つからです。

また「呪い」は、呪われた本人だけではなく、呪いの儀式を見た人にも影響を及ぼすことがあります。これが、「××××」がうつる理由なのかもしれません。

集団ヒステリーと蟲毒。こじつけかもしれませんが、『裏S区』を考察する鍵がここにある気がしてなりません。

名前を書いた札

『裏S区』の本文中に、棺に故人の名前を書いた札をびっしりと貼り付ける、裏S区特有の葬式の儀式について触れた部分があります。この風習は故人が「××××」ではないと証明するものだといいます。

ここで「名前」そのものについて考えてみましょう。

現在の感覚でいえば名前とは、その人物が誰かを表す「記号」にすぎません。不特定多数に知られることは避けるにしても、名前を明かすことそのものに忌避感を抱く人は少ないはずです。

しかし、昔の人はそうではありませんでした。名前とは、その人の本質を指す表すものだとして、本名を人に明かさない習慣があったのです。本名とは、その人を「その人たらしめる」ものであり、本質を知られるということは、「他人に操られる・呪いをかけられる」危険性があると考えられたからです。

一番身近な呪い&祝いの言葉が「名前」だと考えると分かりやすいでしょう。

こうした文化をふまえてみると、『裏S区』で書かれた葬式のシーンは、深い意味を持ちます。「××××」に乗っ取られそうな故人を、無理やりにでも、名前という呪いで縛り付けたと考えたことができるからです。反対に、「××××」の名前を呼ぶことを避けるのも、その存在の本質に触れないようにするためなのでしょう。

この行動は、悪あがきだったのかもしれません。しかし、人を人として葬るためには、必要な儀式だったのでしょう。

人の名前には、意味が込められていることが多々あります。一度その意味を考え直してみましょう。名前を読んでもらえない「××××」との違いが、そこに現れているかもしれません。

裏S区とは何だったのだろう?

2chで話題になった『裏S区』という物語。これには、他の怪異譚が持つような派手な恐怖感はありません。しかし、闇の奥で得体のしれないものがうごめいているような、一種耐えがたいような不快感が、本文全体を覆っています。

インターネット上では、『裏S区』の内容や地域を考察したものが公開されています。今回の記事では、これらのものとは別の観点から、この怪異譚を考察するよう努めました。

納得できるもの、理解できないものがあることでしょう。しかし、自分なりの着地点を見つけることで、読む楽しみはより深まることでしょう。

是非この記事を、『裏S区』を読む際の参考書の1つにしてみてください。

※画像はイメージです。

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