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宇佐八幡宮神託事件~下半身で大出世?女帝の愛人が皇位に王手!万世一系最大の危機!

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万葉集にこのような歌がある。

いざ子ども 狂行(たはわざ)なせそ 天地(あめつち)の 堅めし国ぞ 大和島根は
(おい、おまえたち。ふざけたまねをするんじゃないぞ。この大和島根は、天地の神々が造り固めた国なのだから)

あらためて、すごい歌だと思う。わずか31文字にこめた渾身の思い。詠み人は藤原仲麻呂、奈良時代の熱きナショナリストである。
仲麻呂は、この歌を誰に向けて詠んだのか。

天平文化華やかなりし8世紀。
藤原・南家(なんけ)に生まれた仲麻呂は早くから頭角をあらわし、政界の頂点に君臨する。天皇から賜った「恵美押勝」(えみのおしかつ)の名は、人民を「恵む美」と、乱を防いで「押し勝つ」ことを讃えた尊称だ。
権力闘争の熾烈な時代の朝堂にあって、政敵を封じこみ、非皇族で初の太政大臣にのぼりつめ、内政や外交に力を尽くした仲麻呂。
実力者とは、こういう人間のことをいうのだろう。

しかし、そんな彼にも落日がやってくる。
仲麻呂に厚い信任を寄せた叔母・光明皇太后の崩御。加えて、かつては良好な関係にあった従妹・孝謙上皇(のちの称徳天皇)との対立。謎の僧・道鏡とのお戯れをいさめたのが彼女の逆鱗に触れたのだ。
上皇を敵に回した仲麻呂は朝敵となり、戦い、敗れ、一族もろとも惨殺された。

天国と地獄の両極を駆け抜けたジェットコースターの人生。なんたる犬死に。なんたる浪費。南家の藤原仲麻呂たる者が、古代史最大の下ネタ野郎に負けるとは。

しかし仲麻呂の死は、国体を揺るがす前代未聞の騒動の序章にすぎなかった。

目次

鑑真の予言

唐の僧・鑑真が数度の失敗の果てに来日し、唐招提寺を創建した時期は、まさに仲麻呂の全盛期だった。
仲麻呂の娘たちもまた、「将来は皇后や国母になられる方だ」ともてはやされて、この世の春を謳歌していた。
娘のなかに一人、絶世の美少女がいた。おそらく東子(とうし/ひがしこ/あずまこ)か額(ひたい)のどちらかだろう。

ある日、その美少女が鑑真に訊ねた。盲目の鑑真には予知能力があったとされる。
「わたしの将来があなたに見える?」
鑑真は答えた。
「・・・おそれながら、あなたはいずれ1000人の男と交わるでしょう」
美少女は、ぷっとふきだした。
「まさか! いくらわたしがきれいでも、そんなにモテないわ!」
しかし、この予見は的中する。

天平宝字8年(764)9月、父・仲麻呂は孝謙上皇の追討軍に敗れ、近江高島にて首をはねられた。
その際、件の美少女は官軍1000人に輪姦されて絶命したと『水鏡』は伝えている。

美少女の最期を聞いた孝謙上皇は恐怖に身を震わせた。二人は面識があったにちがいない。仲麻呂との関係が良好だったころは、一緒に遊んだこともあったかもしれない。

「もし官軍が負けていたら、あの子の運命は朕の運命だったのよ」
おびえる孝謙上皇を道鏡が励ました。
「あなたさまは負けませぬ! たとえどんなことになろうとも、この道鏡が指一本触れさせませぬ! 命をかけてあなたさまを守り通してみせましょう!」
孝謙上皇は道鏡にすがりついた。
「おまえだけが頼りだわ」

道鏡の秘宝

その年、孝謙上皇は淳仁天皇を廃し、称徳天皇として皇位に返り咲く。そして寵愛する道鏡を大臣禅師、太政大臣禅師と昇進させ、ついには天皇に準ずる地位・法王に任命する。
当然、道鏡の一族も優遇された。弟の弓削浄人(ゆげのきよひと)は多くの役職をごぼう抜きして大納言に躍進。朝堂に道鏡旋風が吹き荒れる。

一方、こちらは天皇家の外戚・藤原氏。
藤原・北家(ほっけ)当主の藤原永手(ながて)も、式家(しきけ)当主の藤原良継も、女帝の暴走に物申すことはできなかった。なにしろ、あの仲麻呂ですら彼女には勝てなかったのだ。

「逆らっても利はありませんよ。今は長いものに巻かれるのが上策かと」
そう言うのは良継の弟で稀代の策士、藤原百川(ももかわ)。百川さえも道鏡に取り入って官職をたくさんもらい、おいしい思いをしていた。
「兄者も永手どのも深く考えなさるな。わたしのようにうまく立ち回ればよいのです。仲麻呂どのもそうすべきだった」
しかし永手は百川のようには割り切れない。おもしろくない。
「なあ、百川。女帝の狙いはなんだと思う? 道鏡をどうするつもりなんだろう?」
百川は平然と言った。
「夫にしたいんでしょう。そのうち皇太子さまが生まれたりして」
「バカな! その皇太子とやらが皇位につけば、道鏡の男系天皇になるではないか。庶民天皇など言語道断! 神国日本を冒涜する気か!」
「ごもっとも。ですが、なにしろ法王は女帝の命の恩人ですからね」

道鏡の出自は弓削(ゆげ)氏の傍流とされている。名前の通り弓を作る一族で、高貴な血筋ではない。
看病禅師として朝廷デビューを果たしたのも遅かった。看病禅師とは、医学・薬学に精通した僧のこと。百川の言う、「女帝の命の恩人」というのは本当だ。病に倒れた上皇を道鏡が治療したことで、彼女は元気になった。その献身的な看病に心を打たれた上皇は、以降道鏡を寵愛するようになる。一介の僧侶が上皇・天皇の寵を受けて、にわかに大出世をとげ、権力を握るという不可解な状況。

二人はただならぬ関係にあるらしいということで、道鏡の下半身事情をめぐる下世話な憶測も飛び交った。
称徳天皇が孝謙上皇だったころから、彼に対して特別な感情を抱いていたのまちがいない。そのことは、仲麻呂と淳仁天皇を破滅に追いこみ、道鏡を次々と昇進させたことからもうかがえる。

しかし、皇位継承は男系が絶対。したがって、女性皇族は天皇即位こそ許されているけれど、生涯未婚である必要があった。独身の称徳天皇には子がなかったため、将来、深刻な皇位継承問題が起こるであろうことに心を悩ませていただろう。
そんな彼女の前に現れた一筋の光が道鏡だったのだ。

さて、余談になるが、彼女は立場を忘れてまで、なぜ道鏡に夢中になってしまったのか。有名な道鏡巨根伝説は後世の妄想の産物と思いたいが、彼の秘宝に関する江戸時代の川柳をご紹介しておく。

道鏡は 座ると膝が 三つでき
道鏡に 根まで入れろと 詔(みことのり)

ともあれ、称徳天皇とその愛人は大それた陰謀を画策していたのである。

男と女の陰謀劇

現行の皇室典範第一条にはこうある。

「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」

宇佐八幡宮神託事件は、皇統に属さない庶民が本気で玉座を狙った唯一の事件として異彩を放っている。
この事件によって道鏡は女帝をたぶらかして天皇になろうとした不届き者として、平将門・足利尊氏とともに「日本三大悪人」に数えられるようになった。どうやら日本では、天皇家に無礼をはたらくと大悪人認定されるらしい。
一歩まちがえば万世一系(正史上は)が崩壊していたのだから、皇位継承に関する日本史上最大の事件といっていいだろう。

神護景雲3年(769)、豊前国(現在の大分県・福岡県)の宇佐八幡宮から驚くべき神託がもたらされた。神託を天皇に奏上したのは道鏡の息がかかった者たち。

「道鏡を天位につけよ。さすれば天下太平なり」

ちなみに、神護景雲3年の称徳天皇&道鏡政権のおもな閣僚は以下のとおり。

  • 天皇
    称徳天皇
  • 法王
    道鏡
  • 左大臣
    藤原永手 藤原・北家当主 反称徳天皇&道鏡派
  • 右大臣
    吉備真備 人間百科事典  称徳天皇&道鏡派
  • 大納言
    弓削浄人 道鏡の弟
  • 大納言
    白壁王  次代の光仁天皇 天智系皇族 称徳天皇の恐怖政治にビビり、バカを装う

このほか、参議に永手の弟・藤原魚名、仲麻呂の甥で南家当主の藤原継縄、同じく南家の藤原縄麻呂らが名を連ねる。

「そなた、今なんと申した?」
閣僚たちの前でわざとらしく大げさに驚いてみせた称徳天皇は、もう一度使者に訊ねた。
「ははーっ! 八幡大神は、『道鏡を天皇にすれば天下は安泰であろう』と仰せられました!」

ざわざわ、ざわ。
「なんてことだ・・・」
「法王陛下の御威光を神がお認めになられたのだ。法王陛下万歳!」
「まて!  法王は皇族ではない。これは天皇家、すなわち王朝存亡の危機ではないか? このようなことを認めてよいのか?」
「そのとおり。こんな怪しげな託宣、信じられるわけがない!」
「そうだ、そうだ!」
「静まれ!  静まるのだ!」
みなを制す道鏡。そして、わざとらしく咳払いをひとつして、称徳天皇におうかがいをたてた。
「まずは神託の真偽を確かめる必要がありますな。今一度、宇佐に使者を遣わしてはいかがでしょう?」
すかさず左大臣の永手がくちばしをはさむ。
「であれば、誰もが納得する者を派遣せねばなりますまい。神託の確認役にふさわしい、清廉潔白な人間を」
「いかにも。明日、おのおの方に適任者を推挙してもらい。そのなかから協議して決めようではないか」
この日はこれで解散。ところが翌日、またしても称徳&道鏡コンビにしてやられた。宇佐使いを選ぶ朝議で、称徳天皇がこうきりだしたのだ。

「昨晩、夢をみました。八幡大神が夢に現れ、『使者は法均尼(ほうきんに)とせよ』と仰せられたのです。これは神のお告げでしょうか?」
「まさしく神夢でしょうな。神のお告げとあらば、法均尼に行ってもらうしかありますまい」

永手は唇をかみしめた。このバカップルにこんな妙案が思いつくはずがない。何者かが入れ知恵したのだ。あの人間百科事典。あの男にきまってる。右大臣・吉備真備(きびのまきび)は永手をチラリとみて、フフッと笑った。

法均尼は若い頃から女官として称徳天皇に仕えてきた、偉大なるイエスマンだった。俗名を和気広虫(わけのひろむし)という。
しかも都合が悪いことに、彼女は人格者だった。「法均尼は不適格」などとは誰も言えない。
ところが、当の法均尼はプレッシャーに押しつぶされてしまった。
「ああ、頭が痛い。気持ちが悪い。吐きそう」
そして寝込んでしまったのである。

しかし、勇者はいる。
「姉は、私に代わりに宇佐へ行けと申しております」
和気清麻呂(わけのきよまろ)。近衛府判官(天皇親衛隊高官)をつとめる、姉にも劣らぬ人格者。名前からして、清い。10円札の肖像にもなっている。

「清麻呂なら、法均尼が行くのと同じことよ」
「まあ、そうですな」
道鏡も賛同した。が、出立前の清麻呂を接待しているあたりは抜け目ない。
接待を受けた清麻呂が館の外に出ると、通りすがりの老人が声をかけてきた。路豊永(みちのとよなが)、儒者である。
「惑わされるでないぞ。孤児が増えたのは女帝と坊主の政(まつりごと)が悪いからじゃ。仲麻呂どのなら、こうはならなかった。政を為すは人にあり。道鏡が天皇じゃと、笑わせるな!」

清麻呂、帰還

「清麻呂が帰ってきたぞ!」
「で、真偽のほどは?」
「わからん。このあと、みんなの前で女帝と法王に直接お伝えするそうだ。表情からは読みとれない」

一方、こちらは道鏡と弟の弓削浄人。
「託宣は打ち合わせどおり行ったそうです。それを聞いた清麻呂は、『しかと承りました』と答えたそうな」
「清麻呂はまっすぐな男だ。お告げどおりに報告するであろう。成った! 成ったぞ! わしは天皇じゃ! 」

天皇・法王の御前に閣僚たちが集まった。
「宇佐使い和気清麻呂、ご神託をもって参上いたしました」
「ご苦労であった。して、八幡大神はなんと仰せられた?」
「はい。八幡大神はこうおっしゃいました」
全員が身を乗りだす。
「おそれ多くも、大神はこう仰せられました。『わが国、天地開闢(かいびゃく)より君臣の道定まれり。いまだかつて臣をもって君と成したためしなし。天つ日嗣(あまつひつぎ)は皇孫を立てよ。無道の者は払いのけよ!』」

言葉を失う道鏡。一同は騒然とした。永手がニヤリと笑みを浮かべて人間百科事典に視線を投げる。
称徳天皇は清麻呂に訊き返さずにはいられなかった。
「・・・今、なんと?」
「天つ日嗣は皇孫なり。道鏡は払いのけよ!」
天皇の扇が飛んできた。
「黙れ、清麻呂! 八幡大神がそのようなことを言うはずがない! 誰か、清麻呂を取り押さえよ!」
道鏡も青筋を立てて絶叫した。
「こやつは神託を偽っているのだ! おそれ多くも、神のお告げを偽証しているのだ! なんという重罪!」
「偽っているのはあなたではないか! 八幡大神はあなたの無道にお怒りなのだ! それがわからないのですか!」
「キィーッ! 空気をお読み! なにが清麻呂よ! 全然清くないじゃないのよ! おまえなんか、今日から「別部穢麻呂」(わけべのきたなまろ)よ! 汚くなって、どこかへ行っておしまい!」
「意味がわかりません!」

結局、清麻呂は足の腱を切られ、「別部穢麻呂」に強制改名させられて配流となった。おまけに姉の法均尼も還俗させられ、「別部広虫売」(わけべのひろむしめ)と改名させられて処罰された。一国の君主ともあろう人物が、まるで小学生の悪口レベルのネーミングセンス。
しかし、流刑地の清麻呂を人知れず援助していた男がいた。道鏡に取り入っておいしい思いをしていた策士・藤原百川である。
姉弟は道鏡の失脚後に刑を解かれ、清麻呂はのちに桓武天皇に重用されて、平安京遷都の大功を残す。

称徳女帝の最期

事件の翌年となる神護景雲4年(770) 8月4日、称徳天皇崩御。宝算53歳だった。
ここに天武系皇統は終わりを告げ、白壁王の即位により天智系が復活して現在に至る。以降、およそ850年のあいだ、女性天皇が立てられることはなかった。
同年、道鏡は下野国(しもつけのくに/現在の栃木県)の薬師寺別当を命じられて下向、赴任地で没している。

称徳天皇の最期については、その年の春ににわかに発病したと伝えられているだけで、詳細は不明。医療行為や加持祈禱が行われた記録もない。鎌倉時代の説話集には、こんな艶っぽい記述がある。

「女帝は道鏡の男らしさでもなお不足に思し召されて、山芋にて男根もどきをお作りになり楽しんでおられたが、ある日、それが中で折れて取れなくなってしまった。女陰は腫れ上がり、大変なことになった。女官が言った。
『わたくしが手に油を塗って、取ってさしあげます』
しかし、それを偶然目にした藤原百川が 、『妖狐なり』と吐き捨てて女官を斬ってすてた。そのため女帝の病は治らず、崩御された」

百川はこのとき、女帝をも手にかけたのだろうか。歴史はなにも伝えていない。

令和の時代からみた宇佐八幡宮神託事件

称徳天皇と道鏡による前代未聞の野望は、あと一歩のところで崩れ去った。もし和気清麻呂が空気を読んで二人の望む報告をしていたら、庶民天皇が誕生していた可能性は十分にあっただろう。

ひとつ気をつけたいのは、この事件の内容は、あくまで『続日本紀』の記述にそった理解でしかないということだ。歴史書は編纂者(勝者)の都合によって事実が捻じ曲げられたり、バイアスのかかった表現になっていたりする。後世に生きる私たちは、そうやって印象操作された物語をとりあえず「史実」として受け入れるしかない。

宇佐八幡宮神託事件には、ある素朴な疑問を抱かずにはいられない。
それは皇祖神・天照大御神を祀る最高格の神社・伊勢神宮が完全に蚊帳の外におかれていることだ。古来、日本には「二所宗廟」(にしょそうびょう)いう考え方があり、かつて宇佐八幡は伊勢神宮と同格、いやそれ以上の格式をもつ名社だった。宗廟とは、祖霊の祭祀を行う聖地のこと。つまり、天皇家の祖神を祀る社である。

なぜ「二所宗廟」なのか?
なぜ伊勢神宮に並び立つ聖地が宇佐神宮だったのか?
このあたりにも古代史の謎を解くカギが隠されているにちがいない。

featured image:日本語: 住吉広保English: Sumiyoshi Hiroyasu, Public domain, via Wikimedia Commons

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