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虚舟の正体は江戸時代のUFOだった!?

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あなたはUFOを見たことがありますか?私は子供の頃人工衛星を未確認飛行物体と見間違えた経験があります。今回は江戸時代に記録されたUFOの雛型こと、虚舟の謎に迫っていきたいと思います。

目次

日本の民俗伝承に登場する虚舟

虚舟(虚船・空穂船)とは主に江戸時代に日本各地で目撃された、架空の船の総称です。その形状は巨大なハマグリ、あるいはアダムスキー型UFOに酷似しており、江戸時代に日本に飛来したUFOと信じる人も多いです。
最も有名なのが常陸国の例。常陸国は現在の東海道に位置し、茨城県を含みます。
これはのちに江戸の好事家が集まる怪談会「兎園会」で語られ、参加者の曲亭馬琴が『虚舟の蛮女』を執筆しました。

以下、要約です。
享和3年(1803年)、常陸国鹿島郡の浜辺に奇妙な舟が漂着しました。舟の上部にはガラスを嵌めた丸窓が設けられ、底部は鉄板でできており、見た目は香盒(お香を入れる蓋付きの箱)に似ていたと言います。
なめらかな外装には謎の文字が書かれ、船内からは水と食料、二尺四方(60センチ四方)程の箱を抱えた異相の女が出てきました。

漁村の長老は「アレは蛮族の姫で、箱の中に愛する男の首を入れてるに違いない」と恐れました。
かぐや姫とサロメを足して割ったような話ですが、フィクションではなく史実として記録されているのが凄いですね。
村人たちは言葉の通じない娘の扱いに困り、再び舟に押し込んで沖に返してしまいます。
幕府や領主に告げた場合長崎への護送費を捻出せねばならず、苦肉の策だったのでしょうね。
舟に刻まれた記号は浦賀に来航した英国船にも書かれていたらしく、この情報が正しければ、本当に欧州の女性だったのかもしれません。

舳先に晒し首を掲げたウツホ舟

虚舟の目撃談は他にもあります。こちらはさらに時代が古く、常陸国のケースから100年ほど前の出来事。
元禄11年(1698)5月、三河国渥美郡吉田浦にウツホ舟が着岸しました。その船は舳先に男の生首を括り、異相の女が乗っていました。やっぱり言葉は通じず、詮議もできないとの理由で長崎に送還されてしまいます。
形状以外に共通項を挙げるなら、「言葉の通じない異邦の女が一人乗り込んでいた」こと。一体何者なのでしょうか、好奇心をくすぐります。100年以上経過している事を考えると同一人物の可能性は低いでしょうが、断言はできません。

虚舟に書かれた謎の記号

虚舟に記された謎の記号は何なのでしょうか?現存する資料曰く、それは地球上のどの言語体系にも属さない言葉でした。形状は直線や三角形、四角形などを組み合わせたもので、「古」「王」に似た字も含まれていたと言います。

From “Hyoryu-ki-shu (Archives of Castaways)”, Public domain, via Wikimedia Commons

虚舟の正体考察

虚舟の伝説は対馬にもあり、有識者が様々な考察をしてきました。対馬市久原の伝承では、虚舟の中にいた娘は朝鮮王族の末裔で、第一発見者の村人たちは彼女を殺して財宝を奪い、その祟りで集落は滅んでしまったそうです。
この説を証明するように、久原に程近い地に宣祖の娘(李昖王姫)の墓とされる遺跡が存在します。
上対馬町の三宇田にも似た伝説があり、花宮御前(はなみごぜ)と名乗る高貴な姫君が浜に漂着するも、三宇田村の者に惨殺され財宝を奪われたと語り継がれています。

花宮御前の正体は黒田藩出身の姫とも言われ、切支丹に転んだ咎で故郷を追放された、とする説もありました。
豊玉町貝口に流れ着いた高貴な姫と侍女の一行も皆殺しの上、財宝を着服される憂き目に遭っています。こちらは竜宮伝説の亜種ともとれる話。とすれば、常陸国の蛮女が持っていた箱は玉手箱でしょうか?謎は深まるばかりです。

虚舟と補陀落渡海の関係

前述のケースにおいて発見時の虚舟は動力源が失われており、飛行能力の有無がわかりません。実際は未確認潜水物体、USOであるかもしれないのです。
『遠野物語』の著者の柳田國男は虚舟に懐疑的で、どれも作り話であると断言しました。
虚舟とは本来は木を刳り貫いて彫り上げた舟の名称で、『平家物語』や『荘子』にも登場する古い言葉。虚ろ・空っぽ・無人の意味で使われていたのは明らかです。
勘の良い方なら、虚舟の伝承と補陀落渡海(ふだらくとかい)の史実を結び付けたくなるかもしれません。
補陀落渡海は日本の中世に行われた捨身行の一環。30日分の水と食料を積み込んだ舟に僧侶を生きたまま封じて流す、聞いただけで恐ろしくなる修行です。

古来より日本人は海の彼方に極楽浄土があると信じていました。故に僧は舟の中で読経と瞑想と断食を続け、即身仏になるのが理想とされます。この船には櫂や櫓が備わっておらず、一度沖に出たら生還はほぼ不可能でした。
虚舟と補陀落渡海を結び付ける発想はオカルト好きの鉄板と見え、2007年フジテレビノイタミナで放送されたアニメ、『モノノ怪』のエピソードにも取り入れられています。
片や人の身で海の向こうの楽園を目指し、片や人ならざる身で穢土に追放されたと考えれば、虚舟の伝承は一種の貴種流離譚として解釈できます。
『平家物語 壇ノ浦~安徳天皇入水~』において、二位の尼は幼い安徳天皇を抱き締め、「浪の下にも都の候ぞ」……「波の下にも都はございますよ」と慰めました。虚舟がUSOだとすれば、女官の方便を否定する根拠もないのです。

虚舟と関連あり?養蚕の女神・金色姫の逸話

虚舟との関連が有力視される伝承に、養蚕の女神・金色姫の逸話があります。
初出は享和2年(1802年)に出版された『養蚕秘録』。作者は兵庫県養父郡の養蚕家・上垣守国。
曰く、紀元478年頃の天竺・旧仲国のリンエ大王には、金色姫と名付けられた美しい娘がいました。
早くに母を亡くした金色姫は父王の後妻にいじめられ、獣の多い山に捨てられてしまったものの、獅子に背負われて帰ってきました。

別の日には猛禽の巣窟に捨てられますが、今度は鷹狩りに送り届けられます。
次こそはと草木すら生えない島に流すも何故か戻って来てしまい、激怒した継母は遂に金色姫を生き埋めにし、夫には「知らない間にいなくなった」と嘘を吐きました。
後日、リンエ大王は瀕死の娘を救出。国にいる限り惨い仕打ちが続くと悲観し、桑の木で作った虚舟に乗せて逃がします。

荒波を乗り越えた舟は茨城県豊浦に漂着。そこで漁師・権太夫と妻に助けられ、手厚い看病の末に息を引き取ります。
夫婦は異国の姫の遺体を唐櫃に納めました。すると夢枕に立ち、「食べ物を恵んでくだされば恩返し致します」と乞うではありませんか。驚いて唐櫃を開けた所、姫の亡骸は沢山の小さく白い虫に変わり、夫婦が与えた桑の葉をムシャムシャ食べました。

やがて餌を食べなくなった事を心配すると、虫に変身した姫は「故郷で四度継母に苦しめられたので、四回休んでいるだけです」と答え、四度目の眠りの後に繭を作り、それはそれは美しい金色の糸を紡ぎました。
対馬の伝承では異国の女を殺し、財宝を奪った村人たちが報いを受けました。豊浦の権太夫は不憫な少女を看取り、金の糸(財宝)を得ています。虚舟伝説の真偽はわかりませんが、相手が異邦人やよしんば宇宙人でも、誠意をもって接するのが大事と説かれているようです。

虚舟が気になる人におすすめの作品

以上、日本各地に残る虚舟伝説をご紹介しました。もっと深掘りしたい方には、2023年12月6日にNAYUTA STUDIOが発売した和風ホラーゲーム『ウツロマユ – Hollow Cocoon -』をプレイしてください。

本作は1980年代の日本の田舎を舞台に、養蚕で栄えた祖母の家を訪れた学生が怪異に追い回される話で、物語の核心部分に虚舟や金色姫の伝承が絡んできます。グラフィックが大変美しくストーリーも面白いので、オカルト好きなら必ず満足できます。

featured image:Nagahashi Matajirou (Artist), Public domain, via Wikimedia Commons

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