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『自衛隊ベトナム戦記』という名の都市伝説、あるいは架空戦記?

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「ベトナム戦争には秘密裏に自衛隊が派遣され、実際の戦闘に参加していた」。この都市伝説は、囁かれて久しいようだ。

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戦争の犬たち

1980年、『戦争の犬たち』というタイトルの戦争映画が公開された。おなじタイトルである、フレデリック・フォーサイスの冒険小説を映画化したものではない。赤塚不二夫、泉谷しげる、所ジョージなど、錚々たるアーティストのバックアップを得て製作された日本映画である。この映画の冒頭には、密かにベトナム戦争を視察に訪れ、戦闘に遭遇して応戦する自衛官が登場する。

このシーンを観た筆者は、「ベトナム戦争に自衛隊が派遣され、戦闘に参加していた」といった都市伝説が囁かれるようになったのは、いつ頃からなのかと疑問に感じた。映画を観たのは2004年だが、それまで似たような都市伝説を、出版媒体やネットなどで見かけた記憶はある。明確な出典は思い出せないが、キャラクターのひとり―キャラクターは動物を擬人化しているので、正確には「一匹」―に自衛官が登場、ベトナム戦争を舞台とした小林源文の架空戦記マンガ『Cat Shit One』に言及した記事を、『戦争の犬たち』と同じ2004年前後に読んだ筈だが。

2023年の夏だった。ウクライナ戦争が勃発して以降、この類の都市伝説が思いのほか信じ込まれていることが、時おりオンライン上では指摘される。代表的なものでは、「日本政府は、米軍の在庫整理のために型落ちした兵器を買っている」といったもの。要するに発言者の認識不足なのだが、意外にも著名な人物が信じているのだから、なかなか手強いタイプの都市伝説であるようだ。筆者が「ベトナムの戦場へと飛んだ自衛隊」の都市伝説を思い出したのは、こうした動向を眺めていたときだった。

そして怪談や都市伝説とは無関係な調べものをしていた矢先、たまたま件の都市伝説の起源と思しき文献に辿りついた。時に1968年、ベトナム戦争の渦中にさかのぼる。

昭和四十年八月・Hさん(仮名)の証言

とくに戦争や政治と関わるわけではなく、商用のために戦時下のベトナムに滞在していた日本人は、それなりにいた。東京銀行、丸紅、伊藤忠などの事務所がサイゴン市内にはあって、貿易や開発事業、大学などの仕事のためにやってきた一般市民や、その妻と家族などが暮らしていた。
もちろん戦争と無縁でいられた筈もなく、アメリカ大使館の爆破テロに巻き込まれる事態や、最悪の場合、北ベトナムの兵士に拉致された末、射殺された人物もいた。

Hさんは、そのような仕事でベトナムに滞在した日本人のひとりであったらしい。どのような仕事に携わり、なんの理由でベトナムに訪れたのか。具体的な情報は定かではないが、当時の軍事境界線であった北緯17度の周辺、クアンチ省の公官庁を訪れた。最前線である。

クアンチ省の役人が暮らす家へと招かれたHさんは、とある日本人を紹介された。「この町にいるジャパニーズ・アーミーのキャプテンだ」。
Hさんは驚いたが、役人に呼ばれた「ジャパニーズ・アーミー」である通称「マチダ」もたまげた。マチダは20代後半の男性で、中背、兵士らしい太い身体を戦闘服で包んでいた。マチダいわく「日本ではアメリカへ留学したことになっているが、米軍事顧問師団の情報収集の仕事をしている」。

マチダはHさんを、てっきり政府関係者とでも考えていたのか、ずいぶんと正直な自己紹介をした。が、すぐに話す相手を間違えたと悟ったか、マチダはさっさとHさんの元を去った。サイゴンへと帰ったHさんは日本大使館に問い合わせたが、知る者は誰もいない。
1965(昭和40)年の夏の出来事である。それ以降、Hさんとマチダは再び顔を会わせることはなかった。

マチダの行方―1965~2023

都市伝説などを語った書籍に書かれた証言ではない。れっきとした老舗通信社が取材と編集をおこない、1968(昭和43)年に出版された、ベトナム戦争のルポルタージュの一節である。日本列島の各地に点在する在日米軍基地、安保条約で結ばれた自衛隊、関連事業、そして戦時下のベトナムについて―。

のちに明らかとなったが、自衛官ではなく米軍の兵士としてベトナム戦争に赴いた日本人は確かにいた。『週刊朝日』昭和48年8月10日号にて、『輝ける闇』の作者・開高健は、横内仁司という名の元米軍兵士と対談する。そのとき横内は、片目と片足を戦闘で失っていた。1980年、横内は角川書店から自叙伝『ドッグ・タッグ ベトナム戦争日本人志願兵の手記』(文庫化に際して『サムライYの青春』に改題)を出版する。

横内は日本政府の関係者ではない。1960年代後半という「政治の季節」らしく、政治信条ゆえにベトナムへと向かったわけでもない。アメリカに滞在していた折、誤って送付されてきた徴兵用紙が切っ掛けで冒険心に突き動かされ、ベトナム戦争へと参戦した人物である。では、未だに素性の明らかではない「Hさんが出会ったジャパニーズ・アーミー、マチダ」とは、何者なのか。

北ベトナムと交戦した軍隊は実のところ、国家や人種が多様であった。米軍側だけでも白人や黒人、ヒスパニックだけではなく、アジア系、すなわち日系アメリカ人などがいたのだ。ミスター・マチダは、そのような日系の米軍兵士であり、自衛官ではなかったので…これでは「、日本では留学したことに…」という証言と整合性がつかない。だいたい、Hさんやマチダは、実在した人物なのか。

ああでもない、こうでもないと想像を重ねても、実証できる検証材料がない限り無意味である。マチダなる人物が「ベトナム戦争に加わった自衛官」、そんな都市伝説を醸成したであろう登場人物だという点を除けば。

結論からすれば

自衛官・マチダは未だに熱帯雨林の奥地で、ほかのMIA(作戦行動中行方不明者)と共に、遺体の発掘を待ち続けているのか。それとも案外、アメリカの何処かに件のマチダ老人が居て、戦争の記憶を固く封印したまま、ひ孫を膝に乗せてテレビの前に陣取ったりしているのか。

参考文献
共同通信社社会部 編著『この日本列島 在日米軍・自衛隊・ベトナム戦争』p231~232 現代書房 1968年
横内仁司 著『ドッグ・タッグ(認識票):ベトナム戦争日本人志願兵の青春』 角川書店 1980年

※画像はイメージです。

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