昭和の終わりごろに、戦争中の話を色々聞かされた中で印象に残った話です。
太平洋戦争中と言えば、物がないと返ってくるくらいで、色々と困ったことばかりと昭和の終わりに散々聞かされましたです。
司馬遼太郎氏のエッセイか対談集では、若き司馬氏は戦車隊におられたということで日本は鉄が不足しているために、出来るだけ薄い鉄板で作った戦車に乗っていたそう。
その戦車は攻撃を受ければひとたまりもないが薄くても鉄板なので脱出は出来ない、乗っている兵隊さんにとっては動く棺桶と言われたということ、また鉄がもったいないので木で同じ強度の戦車が作れないかと軍で検討されたという・・・笑えない話が忘れられません。
そして、よく由緒あるお寺の梵鐘とか狛犬、偉い人の銅像やハチ公の像とかも戦争中に供出されたという話を聞きますが、供出は個人の家庭にも強制されたということなんですね。
今、検索してみると昭和16年の国家総動員法に基づく金属回収令というのがあって、戦争中に個人所有の貴金属なども国に差し出すことになったそうです。
まあ隣組とかありましたし、こういうときは日本人の常として、憲兵とかが家のなかまで探しに来るような勢いがあったということで、真面目なお家の方こそ正直に、なけなしの指輪をお国のために供出したと聞いています。
しかし私の聞いたなかでは、遠い親戚の田舎の庄屋さんレベルのお屋敷で昭和の終わりにはかなりおばあさん、戦争中は現役バリバリのお嫁さんの機転で、大事な装飾品などは全部壁の間のすきまに隠して供出を免れたということなんですね。
お嫁さんのおかげで助かったと、しっかり者のお嫁さんはかなり株が上がったという手柄話になったのは敗戦後のことでしょうが、私は会ったことはないけどかなりしっかりした女性だったよう。
お金持ちとしっかりした女性と言うのは、いつの世にもこうやって身を守るものだとなんとなく思いました。
もうひとつ、戦争中に飼っていたジャーマン・シェパード犬を軍用犬として供出された方の話も聞いたことがあります。
飼い主の方はわんこのために慰問袋を作って送ったと笑い話のように話してくれましたが、この方は朝鮮半島から引き揚げてこられたということなので、わんこが帰って来たかどうかは聞けませんでした。
勝ち目のない戦争をやらかす・・・国民に無理を強いる=供出までさせる、と日本だけの問題と思っていましたが、最近ネット検索で戦争になれば外国でも国民の財産を供出させるということを知り、考えさせられましたです。
※写真はイメージです。
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