日々の生活が退屈だったり嫌気がさしたりすることは誰にでもあると思います。けれど、それは日常が日常であるから感じられる贅沢です。何気ない毎日が繰り返されるのは健康に生きている証でもあります。
そんな日々からちょっとズレてしまうだけで、取り返しがつかなくなってしまうこともあるんですよ。
夏休み前
小学校三年生の時、両親共働きの家庭だったので、私はいわゆる鍵っ子でした。
中学二年生の兄がいましたが、部活をやっていたため帰宅はいつも夕方で、私が学校から帰って来る時間には家に誰もいません。
夏休みまでもう間もない七月初旬、授業が午前中で終わった日の学校帰り、田んぼと畑が続く田舎道を歩いていました。
長期休み前なので、ランドセルには学校に置きっぱなしにしていた教科書を詰め込んでいたのを覚えています。
あともう少しで
友達と別れて家まであと五分程の所に来た時でした。突然、ランドセルを後ろから強く押されたような衝撃を感じ、私は吹き飛ぶように転んでしまい、あまりの衝撃に倒れ込みました。
起き上がりながら後ろを振り返りましたが、誰もいません。自転車や車も見当たりません。一体何だったんだろうと思いながら砂埃を払って立ち上がった時・・・聞こえていた蝉の声がいつもと違い、半音低いというか歪んだような音に聞こえたのです。
あたりを見回してみましたが、他に変わった様子はありませんが、それでもやはり普段と違う音に聞こえています。
耳がおかしくなったのか?と思いながら、とにかく家に帰ろうと歩き出し、家の斜め向かいにある畑の前を通りかかりました。そこには私が「畑のおじちゃん」と呼んでいる近所の人の畑があって、毎日、学校から帰って来るとおじさんが「おかえり~今日も暑いなぁ」等声をかけてくれますが、その日はおじさんの姿がありません。
珍しいなと思いながら、門を開いて玄関の前で鍵を取り出し、いつも通りに帰宅。
見知らぬ冷蔵庫
「ただいま」と声をかけて家に入りますが、誰もいないので当然返事はありません。
荷物を居間に置き、お昼ご飯に母が作って置いてくれている、お弁当を取りに台所に行きました。
いつもはテーブルの上に置いてあるのですが、その日はありません。作るのが面倒なときがあり、そういう場合は冷蔵庫にパンやおにぎりが入っているのです。
冷蔵庫を開けて中を覗き込み、探してみましたがそれらしきものは見当たりません。
それ以前に私は違和感を覚えました。
朝も冷蔵庫を開けたのですが、中身がまったく違っていたのです。
私や兄が食べるヨーグルトやチーズ、ジュースなどが入っているはずなのに、そういった物が一切ありません。
普段から冷蔵庫の中はいっぱいに詰められていましたが、今は隙間が目立つ程の量しか入ってなく、まるでよその家の冷蔵庫を見ているような気分でした。
とりあえず、いつも通りだった麦茶を取り出しましたが、洗いカゴの中に母が洗って置いてくれている、私のコップはありません。食器棚にしまったのかと棚に向かいましたが見当たりません。
さらに置いてあるはずの私の茶碗や汁椀すらもなく、納めてある食器は普段とは少しずつ違っているのです。
仏壇に置かれていたもの
なんだか変な気分になって麦茶を冷蔵庫に戻し、自分の部屋に行くことにしました。
ランドセルを手に取り、居間を出たところで和室が目に入り、「お仏壇にご挨拶しなきゃ」。
学校に行く前と帰宅後、仏壇に手を合わせるのが私の日課ですが、お腹が空いていたので忘れてしまっていたのです。
仏壇前の座布団に座りって顔を上げると、信じられない物が目に飛び込んできました。
なんと仏壇には二年前に亡くなった祖父の写真と共に、存命している祖母と私の写真が置いてあったのです。
祖母の遺影には見覚えがありませんが、私の遺影に使われている写真は五月の連休に家族旅行の際に撮ったもの。
現像された写真を見て、母と一緒に「いい顔で写ってるね」と話し、とても気に入った写真だったので間違いありません。
なぜその写真が遺影として飾られているのか、私にはさっぱりわかりませんが、仏壇に写真が置かれている意味はわかっていました・・・ここには亡くなった人の写真を置くのです。
私は恐怖で叫び出しそうになりました。
自分の家のはずなのに、ここは自分の家ではない。その証拠に食器棚や冷蔵庫の中身が違う。
けれど、目の前には知っている人と自分の遺影があるのです。
なぜ逃げる?
わかのわからない状況にパニックになりかけたその時、二階から階段を下りてくる足音が聞こえてきました。
帰宅した際に「ただいま」を言った時に返事はなかった・・・それなのに誰かがいる。
私は絶対に見つかってはいけないと思いました。
自分の家族がいてもおかしくないはずですが、なぜかそう思ったのです。
外に出ようと立ち上がったものの、玄関へ行こうとすると階段から下りてくる人に見つかってしまいます。
そこで私は庭につながる窓から出ていくことにして、ランドセルをひっつかみ、窓から飛び出しました。
重たい荷物など持って行かない方がいいはずなのに、その時は当たり前のように手に取っていたのです。
庭を靴下のままで玄関の方に走り抜け、門を飛び出したところで、はっとしました。
どちらへ行けばいいのかわからない。
わからないというか、なぜ私は逃げようとしているのだろう・・・と。
そして、あれほど恐ろしさを感じていたのがうそのように、私は家に戻りたくなりました。
ここは私の家なんだから、出ていく必要はないじゃないか、階段を下りてきているのは家族に決まっているのに。
重い荷物を持って、靴も履かずにバカみたいだ・・・そう思って振り返って家に戻ろうとすると、門の前に祖父が立っていました。
おじいちゃん
二年前に亡くなってしまった、大好きだった祖父。
死んでしまった人が目の前にいるのに、「あっおじいちゃんがいる」と普通に受け止めていたのです。
そして、階段に足をかけようとしたときでした。
祖父が眉をしかめた厳しい表情で首を振って、左腕を水平に上げ、まっすぐと指差しました。
私はポカンとしながら祖父を見つめました。とても優しかった祖父は私を怒ったことがありません。
けれど、間違ったことや悪いことをしたときはいつも眉をしかめたあの表情で首を振っていた。
そして「そんなことをしてはいけないよ」と私をたしなめてくれたのです。
そんなことを思い出し、私は祖父がこっちへ来ては行けないと言っているのだと思いました。
祖父はもう一度同じ行動をとりました。私は階段を上ろうとした足を下ろし、祖父が指さす方向を見ました。
そうか、私は家にいてはいけないんだ、来た道を戻ろう。
もう一度、祖父を見つめると、祖父はにっこりとほほ笑んでいました。
大好きだった祖父・・・おじいちゃんにもう一度会えた。
今すぐそばに行って話がしたい、「ずっと会いたかった」と伝えたい。けれど、その気持ちをグッと押さえ込み、あふれそうになる涙をこらえていると、祖父は深く頷き、優しさでいっぱいの笑顔をしながら手を振っている。
私は大きく一つ頷いてから、走り出しました。
「おじいちゃん会えてうれしかったよ、ありがとう」と思いながら。
戻る場所
蝉の鳴き声が先ほどよりも歪んで聞こえ、狭い空間の中で不協和音を聞かされているような不快感がこみ上げます。
足を止めて耳を塞ぎたくなりましたが、ここで足を止めてはいけない。
振り返ってもいけない。転んだあの場所まで全速力で走らなければ。
ふと田んぼの方を見ると空が藍色に染まり始め、お昼に帰ってすぐに家を出たはずなのに、もう夕方を過ぎて夜になろうとしているのです。急がなきゃ、とにかく急がなきゃと私はもつれそうになる足を必死に前に出し、家からたった五分の道を走っているはずなのに、もう何時間も走っているような感覚でした。
それでも私は足を止める気にはなりません。
「大丈夫。きっと戻れる。おじいちゃんが教えてくれたから。だから絶対に大丈夫」
転んだ場所が見えてきました。
一本道を走っていたのだからとっくに見えていてもよかったはずでしたが、なぜか今まで気づきません。
そしてあと少しだ! と気が抜けたのでしょうか、私はつまずいてしまいました。
あっ転ぶと思った瞬間、ランドセルをグッと強くけれど優しく押される感触がしました。
その感触に触発され手を大きく振り、その勢いに乗って体が大きく前に飛び出します。
そして、先ほど転んだのと同じ場所にダイブ。転んだはずなのに全然痛くないな・・・と思った瞬間でした。
学校帰りに
何気なく目を開けようとしますが、思ったようにうまく開きません。
視界に入って来たのは見たことのない蛍光灯の光。
ぼんやりと見つめ、起き上がろうと思いましたが、体が全く動きません。
「あれ?」と思いながら、体に力を入れようとするのですが、まったく言うことをきかないのです。
何度も体を動かそうとしていると、突然母の顔が目の前に現れました。
私は驚きましたが声を出すことはおろか、表情を動かすことさえできません。
「XXX! XXX!」
「あぁ! XXXが目を開けた!」
「先生呼んできて!」
「ナースコール!ナースコール押して!」
急激に騒がしくなったせいで私は頭が痛くなり、そのまま目を閉じました。
そこから記憶がありません。
私はあの日の帰り道で居眠り運転をしていた車に追突され、生死の境をさまよっていたのです。
たくさんの教科書が入ったランドセルが追突の衝撃をやわらげ即死を免れたといいます。
しかし、その衝撃は凄まじいもので、私は全治六か月の重傷でした。
もう二度と目を覚まさないかもしれないと医師は言ったそうですが、私はその日のうちに目を覚ましました。
それから二、三日は起きたり寝たりを繰り返し、時折呼びかけに応じたりしていたそうですが、私はまったく覚えていません。はっきりとした記憶があるのは、母がマッサージをしてくれていたときに、とても痛かったので「痛い!」と声を出したときです。
私は普通に言ったつもりでしたが、母は心底驚いたそうです。
その言い方があまりにいつも通りすぎて、一時意識不明の重体だったとは思えない言い方だったのだとか。
それから
それからの日々はとても大変で、あちこち骨折していて、リハビリをしなければなりませんでした。
体の自由は利かず、不味い病院食に、見たいテレビすら見られないストレス。
それでも私が治療に前向きになれたのは、一刻も早く祖父の墓前でお礼を言いたかったからです。
あのとき祖父が首を振って指をさしてくれなければ、私は家に戻っていました。
そうしていたら私は死んでいたのだと思います。
きっとあの家は私が亡くなり、そして何年後かに祖母もなくなった世界の自宅だったのでしょう。
そう考えると冷蔵庫や食器棚がいつもとは違っていたこともうなずけます。
当時はそこまでは考えておらず、とりあえず祖父にありがとうを言おうとそれだけを想っていました。
そんな強い想いと医療関係者のおかげで、私は後遺症など一切なく、事故に遭う前とほぼ変わらない健康体になって退院することができました。
そして、帰宅後に仏壇に直行し、祖父にお礼を伝えることができました。
あの事故に遭ってから、私は家に入ったらまず最初に仏壇に手を合わせることにしています。
結婚して実家を出てからも、その習慣は変わっていません。
子ども達にもあの時の出来事を伝え、「大じいちゃんが助けてくれなかったら、あなた達は生まれて来られなかったよ」と言っています。
もちろん、夫と子ども達も一緒に手を合わせています。
※画像はイメージです。
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