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三重県に実在する売春島 渡鹿野島の全貌

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皆さんは三重県に実在する売春島こと渡鹿野島(わたかのじま)をご存じですか?この島は江戸時代から遊女を集め、性産業で経済が回っていた過去があります。
今回は売春島として映画・漫画・小説など様々なフィクションにも登場する、渡鹿野島の歴史と実態を解説していきます。

目次

知られざる渡鹿野島の成り立ち

渡鹿野島は三重県志摩市沖に存在する小さな離島で、伊勢志摩国立公園内に位置しています。
面積は周囲約7キロ、現在は約170人が暮らしているそうです。
江戸時代、渡鹿野島は「風待ちの島」の異名で知られていました。

渡鹿野島周辺は波が穏やかで、漁師の一時寄港場所として最高の条件を備えていたのです。
漁師が集まるようになれば、当然彼ら目当ての商人や女たちも渡ってきます。
船乗りがあちこちに現地妻を作るのは有名ですよね。海に出て長く漁をする男たちにとって、性欲処理は大きな問題でした。
渡鹿野島はもともと伊雑宮の神領に属していました。江戸時代には江戸と大坂を往復する菱垣廻船・樽廻船が増え、船乗りの為の宿場や娯楽施設が栄えます。

この時渡鹿野島に集まった水上遊女は、把針兼(はしりがね)と呼ばれました。
海の天気はとにかく変わりやすいもの。場合によっては1か月以上の長逗留を強いられます。
その間船乗りたちを慰め、夜の相手をしていた遊女たち。把針兼の異名は船乗りたちの着物を縫うなど、針仕事を任されていた事に由来します。宿場町の飯盛り女が夜の相手を兼ねていたのと同じ理屈です。

遊廓街として隆盛を極めた渡鹿野島は、別名女護ヶ島(にょごのしま)としても知られました。
女護ヶ島とは日本の伝説に登場する島で、女性のみが暮らしていると語り継がれています。それが転じて男子禁制の場所や花街をさす隠語となりました。

島の観光名所としては、江戸時代の灯台の史跡の石柱なども挙げられます。
島の名前渡鹿野(わたかの)の由来は、海の中を示す海中(わたなか)が転じた説が有力。
渡鹿野島対岸の人々が島に渡り、焼畑農業を行ったことから「渡火野」が由来ではないかともいわれていますが、真偽は不明です。

渡鹿野島を訪れた華々しい著名人たち

渡鹿野島には様々な業界の著名人が多く訪れています。
1931年には俳優の上山草人が、映画『唐人お吉』の撮影で訪れました。この際上山は島民と親交を深め、「草人漁荘」なる門を建てています。
さらに別荘を造る計画もあったのですが、こちらは完成前に頓挫しました。

上山は渡鹿野島を「東洋のモナコ」と称し、知人を招いて乱痴気騒ぎを目論んでいたようです。
ちなみに「草人漁荘」の額を書いたのは文豪・谷崎純一郎。耽美派の心を惹き付ける何かがあったのでしょうか。

第二次世界大戦中は島内に予科練の基地が設置され、激しい空襲に見舞われています。
1954年には島を舞台にした伴淳三郎主演の映画、『この恋!五千万円』が撮影されるなどして、渡鹿野島の存在が一般に知れ渡りました。

渡鹿野島は危険?最盛期の様子は?

江戸時代から売春で栄えた渡鹿野島は、周辺の住民に長い間タブー視されてきました。
渡鹿野島で売春が行われている事は暗黙の常識であり、船乗りたちはしばしば島に立ち寄り女を買っています。
明治以降把針兼が禁止されても、島を支える性産業は形を変え継続しました。

渡鹿野島の最盛期はバブル真っ只中の期は1970年代半ばから1990年にかけてといわれています。
島の景気が最高潮を迎えたのは1981年頃で、当時は人口僅か200人の島内に、パチンコ店・居酒屋・カラオケ・ゲーム喫茶・ホテル・ヌードスタジオ・裏カジノが密に犇めいていました。

表向き売春は禁じられていたので、自由恋愛を装った同泊が推奨されたそうです。
当時の置屋の数は13軒。コンパニオンに扮した風俗嬢が宴会を盛り上げるなど、華々しい様子が伝わってきました。
好景気が徐々に衰退していった1986年頃から、渡鹿野島には外国人の風俗嬢が増え始めます。

きっかけとなったのは一軒の置屋が台湾人女性を雇用した事。以降低賃金で働く台湾人やフィリピン人、タイ人の女性が流れ込んで男性の相手を始めました。
風俗嬢たちは6畳一間の部屋をあてがわれ、自分たちが生活する部屋で客をとっていました。

宿泊が長引けば一緒に食事をとり、客を港に送っていくなど、サービスも充実していたようです。
上記はいわゆる宿泊を含むロングで、値段は夜11時から翌朝7時までの4万円。ショートは1時間2万円でした。
利用者は西日本在住の農業・土建業の団体客が中心で、島内の神社への参拝を建前に来ていたといいます。

ミイラとりがミイラになった内定調査の顛末

そんな売春島の実態を暴こうと、渡鹿野島に潜入した刑事がいました。ところが彼は風俗嬢の女性と関係を持ち、その事がもとで免職されます。

刑事をクビになった捜査官は内縁の妻とともにスナック経営と売春斡旋に乗り出し、相当な荒稼ぎをしました。
1977年10月、警察の手入れにより逮捕された元刑事の店から未成年の売春婦が数多く保護されました。
当時の渡鹿野島にはだまされて連れてこられた家出少女がたくさんいました。彼女たちは多額の借金を負わされ、部屋に住み込みで働かされていたといいます。中には島から泳いで脱出を企てた少女もおり、島の暗い側面を物語っています。

とはいえ、渡鹿野島の経済が性産業に依存していたのは事実。最盛期を知るマンションの管理人は、すっかり寂れてしまった島の現状を憂います。
現在の人口は170人余り。その大半が50代以上の高齢者で、若者の姿は見当たりません。

クリーンなイメージを前面に打ち出す、現在の渡鹿野島

そんな渡鹿野島ですが、2000年代に入ってからは衰退著しく、既に売春島の異名は過去のものとなっています。
2009年時点で渡鹿野島に残る置屋はたった3軒、風俗嬢は20人しかいませんでした。
これは警察の取り締まりが激しくなったこと、わざわざ島に渡らなくても本土の風俗店で女性を買えることが影響しています。

さらにはインターネットで安易に情報を入手できるようになったのも、島の性産業に打撃を与えました。
不況が続く日本では従来の箱型風俗よりもデリヘルが流行り、わざわざ高い渡航費を払ってまで島に来る物好きが減ったのです。

2013年9月、わたかの島観光協議会は「性産業で成立した島のイメージを払拭し、健全な観光地を目指す」と発表しました。
2021年には修学旅行生たちが訪れ、現在は女性の観光客の比率の方が多くなっているそうです。
最盛期に風俗嬢をおいていたホテルやマンションは老朽化し、廃墟となって島内に残されています。

航空写真を見るとよくわかりますが、渡鹿野島はハート型の地形をしており、それ故関係者は恋愛が成就する「ハートアイランド」として宣伝を打ち出しています。

数々のフィクションに影響を与えた渡鹿野島

売春島が終焉を迎えて久しいものの、そのイメージは今もフィクションに受け継がれています。
2019年の映画『はるヲうるひと』も売春島をモデルにしており、島で生きる住民たちの赤裸々な人間模様が視聴者の心を掴みました。

他、『無限の住人』『波よ聞いてくれ』で有名な漫画家の沙村広明も売春島をモチーフにした作品『ベアゲルター』を描いています。
沙村広明の本領であるエログロアクションが詰まったとても面白い漫画なので、興味がある人はぜひご覧ください。

※画像はイメージです。

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