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アフガニスタンでなにが起きている?いまさらながら「タリバン」とはなんなのか?

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2021年8月30日、20年に及んだアメリカ軍のアフガニスタン派兵が完全撤退を迎え、翌日31日にはバイデンアメリカ大統領が国内向けの演説で公に戦争の終結を宣言した事が大きく報じられました。
このアメリカ軍の完全撤退によって現在のアフガニスタンの正式な政権掌握者となった組織が「タリバン」であり、同国内で活動を継続してきたイスラム教の多数派たるスンニ派の流れを汲むものであります。
イスラム教の過激派・テロ組織としては「アルカイーダ」や「イスラム国(IS)」の名もよく耳にするが、「タリバン」はアフガニスタン最大のそうした組織であり、アメリカ軍の介入前にも政権を担当していました。
よって今回の事象は正確には「タリバン」政権の復権であると言え、以前と同様に現在のアフガニスタンの正式な国名は「アフガニスタン・イスラム首長国」へと回帰した状況にあるのです。

目次

「タリバン」がアフガニスタンに生起した経緯

アフガニスタンに「タリバン」が生起したのは比較的近年の1990年台前半であり、当時旧ソ連軍の1989年の撤退後に内戦状態に置かれていた同国において、厳格なイスラム法「シャーリア」を行う組織として生起しました。
生起時の「タリバン」の指導者層は隣国のパキスタンに逃れ、その地のイスラム系宗教学校で学んだアフガニスタン最大の人口を占めるパシュトゥーン人が主流で、初代の最高指導者は故ムハマンド・オマスであります。

1996年に「タリバン」は当時アフガニスタンの最大勢力であった組織「ムジャーヒディン」から政権の奪取に成功、そこから2001年にはアフガニスタン全土の約75パーセントの地域を支配下に収めるに至りました。
故ムハマンド・オマスと彼が開設していた神学校の生徒20名程で始まった「タリバン」が、僅かな期間でそこまでの勢力となった背景には「ムジャーヒディン」の圧政に抵抗する、ある種の義賊的な支持を民衆から得た事が大きいのです。

「タリバン」とはアフガニスタンの公用語・パシュトー語の「神学生達若しくは求道者」を意味する言葉であり、旧ソ連の自動小銃AK-47に由来する「カラシニコフ文化」とも呼ばれた荒廃した世界からの脱却が期待されたのです。

Amber ClayによるPixabayからの画像

反政府勢力としての「タリバン」の台頭と政権奪取

前述のように1990年台初めに故ムハマンド・オマスの元で軍閥の「ムジャーヒディン」に対する抵抗活動を始めた「タリバン」は、1994年頃から治安の回復を望む民衆の支持を得て急速に台頭し、そこから僅か2年程で急成長を遂げたのです。

1992年に「ムジャーヒディン」政権の「アフガニスタン・イスラム国」が成立していたが、1996年に首都カブールを占領しした「タリバン」は「アフガニスタン・イスラム首長国」の設立を宣言し、政権の座を奪取した事を示しました。
但し政権の座を追われた旧「アフガニスタン・イスラム国」勢力も他の反「タリバン」勢力と協力しつつ抵抗を継続、国内の内戦状態は尚も収まる事は無く、1997年・1998年と北部の都市マザーリシャリーフを巡る激しい戦いが続きます。

「タリバン」は1998年にこのマザーリシャリーフの戦いを制したが、前年の敗北時の報復としてウズベク人やハザーラ人への虐殺行為を実行しており、パシュトゥーン人対これら少数民族の対立と言う構図が浮き彫りとなります。

「タリバン」政権の政策から見た特徴

「タリバン」の政策としてよく知られているものに、我々のような西側の民主国家の常識に照らせば明らかな「女性蔑視」・「女性の権利の侵害」に該当する行為が、当然のように強制されていると言う点があります。
具体的には女性は目の部分以外を除き、全身をすっぽりと覆い隠すイスラム教伝統の衣装「ブルカ」の着用を厳格に義務づけられ、教育や労働に従事させないことが女性を守る事だと言う理論でその権利を剥奪しているのです。

また娯楽は人間を堕落させる行為だと見做され、酒や煙草等の嗜好品の規制はもちろんの事、音楽やテレビも原則的に禁じられており、当初は民衆に支持された「タリバン」政権も次第に求心力を失っていったとも言われています。
民衆への娯楽を禁じた「タリバン」だが、その代償行為として自政府への反逆者や、一般の殺人犯へのその加害者遺族による報復の処刑を公開するなど、偏狭なイスラム世界以外からば常軌を逸した行為とも捉えられています。

Amber ClayによるPixabayからの画像

「タリバン」の掲げる理想

まず1996年に軍閥の「ムジャーヒディン」から政権を奪取した「タリバン」だが、ここで「アフガニスタン・イスラム首長国」の設立を宣言、その後アメリカの介入で駆逐されたもののその撤退で、2021年に再び政権に帰り咲きます。

「タリバン」が「アフガニスタン・イスラム首長国」として体現しようとしているものは、厳格なイスラム法「シャーリア」と多数派のパシュトゥーン人の部族間の掟「パシュトゥーンワーリー」を融合した独自のイスラム主義と見られます。
「シャーリア」はイスラム教の聖典であるコーランと預言者ムハンマドの言行を源流とする法律で、社会生活における身近な民法・刑法等から、国家に関する国際法的な観点までも包括した非常に広範な範囲に及ぶものです。

前述したように「女性蔑視」・「女性の権利の侵害」や民衆への娯楽を禁じるなど、西側の民主主義的な観点からは到底許容できないような内容を含むが、現状のアフガニスタン国民の大多数はその道徳的価値を支持しているとも言われています。

「タリバン」による「アフガニスタン・イスラム首長国」が復活した今後の世界の動向は?

そもそも1996年にアフガニスタンを掌握し「アフガニスタン・イスラム首長国」を打ち立てた「タリバン」政権に対して、アメリカが20年にも及ぶ軍事介入を続けた理由は、9・11テロの首謀者である「アルカイダ」を国内に匿った事にありました。

アメリカを始めとする西側諸国は、これに対して「イラク戦争」を始め自らの国々を脅かす「テロとの戦い」をスローガンに中東の民主化と世界平和の確立を唱え、「タリバン」をそれを阻害するテロ組織と位置付けて来ました。
そうした動きの中で西側諸国は「タリバン」が推進する「女性蔑視・権利の侵害」やバーミヤンの遺跡の破壊などを名目に、西側の民主主義的な価値観と相いれない偏狭なイスラム主義だと見做してきたのです。

しかしイラクなどの内情と同様にイスラム世界の価値観も一つではないとは言え、西側諸国の強制的な軍事介入で「タリバン」等のイデオロギーを根絶する事は出来ず、どう共存を図るかを考え直す必要に迫られたと言えるのが今でしょう。

※画像はイメージです。

eyecatch source:ErikaWittliebによるPixabayからの画像

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