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独ソ戦ってなんだろう?

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毎年5月9日、ロシアの各都市で第2次大戦でのドイツに対する戦勝記念日を祝う軍事パレードが開かれます。

2018年のモスクワでは、新型兵器の極超音速ミサイルを搭載した戦闘機や、最新鋭の地対空ミサイルシステム「S400」も登場しました。そのとき通算で4期目となるプーチン政権は軍備の増強を内外に誇示して、国民の支持を高めたい狙いがあります。

そんな訳で、今回独ソ戦を振りかえって見たいと思います。

Tatyana KazakovaによるPixabayからの画像

目次

独ソ戦(どくソせん)とは?

第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけてドイツを中心とする枢軸国とソビエト連邦との間で行われた戦争を指します。大戦の当初は共にポーランドを占領していたドイツとソビエトでしたが、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がバルバロッサ作戦を発動、ソ連に侵入したことで戦争状態となります。
当時のソ連は国民の士気を鼓舞するために、ナポレオンに勝利した祖国戦争に擬え、「大祖国戦争」と呼び、ドイツ側では主に東部戦線呼ばれました。

■ 大祖国戦争戦勝60周年を祝う飾り
No machine-readable author provided. Karel Anthonissen assumed (based on copyright claims). [Public domain], via Wikimedia Commons

開戦後の動きとナチス・ドイツの思考

開戦当初にソ連軍が敗北をしたこともあり、反ソ感情が強かったバルト地方や、ウクライナ地方の住民は、当初ドイツ軍を「共産主義ロシアからの解放軍」として歓迎しました。こうした意識からドイツ軍の支配に協力する住民も多数存在していました。

しかしスラブ人を劣等民族と認定していたヒトラーは、スラブ人による独立を認めず、親衛隊や東部占領地域省によってドイツ系民族を占領地に移住させ植民地にする計画が行われました。

甚大な犠牲者の発生

独ソ戦は甚大な被害が発生した戦いでした。特にソ連側の死者多く、犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1470万人、ドイツ兵が1075万人と言われています。民間人の死者含めると、ソ連は2000?3000万人が死亡、ドイツも約600~1000万人は犠牲になりました。

ソ連の軍人・民間人の死傷者の合計数は、第二次世界大戦における全ての交戦国中で最大と言われています。ソ連・ドイツ両国ともの捕虜・民間人に対する扱いも苛烈なものとなり、占領地の住民や捕虜は強制労働に従事させられる事が大半で極めて過酷な環境に置かれました。

※一部の写真はイメージです。

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