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銃の犠牲者の呪いが生んだ迷宮!ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの謎

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ウィンチェスター・ミステリー・ハウス。
ここは銃のビジネスで巨万の富を築いた実業家ウィリアム・ワート・ウィンチェスターの未亡人、サラ・ウィンチェスターの屋敷で、彼女が38年間増築を続けた事で知られています。

今回はウィンチェスター・ミステリー・ハウスの血塗られた歴史と、おぞましい呪いの実態をご紹介したいと思います。

目次

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスのはじまり

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスを語る上で外せないのがウィンチェスター社の血塗られた歴史。
ウィンチェスターといえばアメリカを代表する銃器メーカー。1850年代にオリバー・ウィンチェスターが創立し、その後二代目のウィリアム・ワート・ウィンチェスターが受け継ぎました。

ウィンチェスター社の銃は西部開拓時代から需要が多く、アメリカではレミントン社やコルト社と比肩する銃メーカー。別名「西部を征服した銃」ともいわれ、ウィンチェスターライフルの犠牲者は数えきれません。
1862年、サラ・ウィンチェスターこと旧姓サラ・パーディーはウィリアム・ウィンチェスターと結ばれました。

結婚当初の彼女は「ニューヘブンの鐘」の愛称で親しまれる語学堪能な美女で、幸せな家庭を夢見ていました。ところがなかなか子宝を授からず4年が経ち、1866年に待望の子どもを出産。母になった喜びを噛み締めるも束の間、一人娘のアニー・パーディー・ウィンチェスターは生後数週間で亡くなってしまいました。

不幸はまだ終わらず、1880年に先代にあたる舅のオリバーが、翌1881年には夫のウィリアムが相次いで死亡。
高齢のオリバーはともかくとして、まだ43歳の若さのウィリアムが肺結核を患い、あっけなく逝ってしまったのは些か不自然でした。夫の急逝によって未亡人サラは2050万ドル、現在の価値に直して5億4300万ドルを相続。その上ウィンチェスター社の株50%を受け取り、1日約1000ドルの利益を約束されます。
とはいえ天涯孤独の悲しみからなかなか立ち直れず、夫の喪に服すうちに鬱病を患いました。

塞ぎ込むサラを見かねた友人は、彼女に「ボストンの霊媒師」の異名をとる人物を紹介します。
霊媒師は「あなたの不幸の原因はウィンチェスター銃の犠牲者の呪いだ」だ」とサラに告げ、「霊を鎮めたければアメリカの西へ行き家を建てろ」と命じます。
即ち、悪霊を封じ込める為の屋敷です。

工事を止めたら夫の二の舞になると予言され、恐怖に駆られたサラはただちにカリフォルニアに引っ越し、悪霊に捧げる洋館を造り始めたのです。

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスは本当に呪われてるのか?

1885年、サラはカリフォルア州サンノゼに移住します。
ウィンチェスター・ミステリー・ハウスは、もともと未完成の状態で放置された2階建ての納屋でした。
サラはこの納屋に惜しみない費用と人手を注ぎ込み、日々増築と改築を繰り返して拡張していきます。
ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの外観と内装は大変豪華で、当時としては珍しい温水シャワーや暖房が完備されていました。
関節炎で歩行が困難なサラの為、階段の段差は通常よりかなり低く設計されていたそうです。

サラは建築家を雇わず、現場に出入りする22人の大工に直接指示をだしました。
それ故ウィンチェスター・ミステリー・ハウスには、天井に続く階段や屋根に届かない煙突、開けても壁しかないドアなど、用途不明なものが数多く存在します。
特にサラは13の数字に強くこだわり、階段は13段にしました。
西洋における13は最も不吉な数字とされています。ジェイソンが大暴れする名作ホラー『13日の金曜日』を思い出してください。

北欧神話では12人の神の宴に殴り込んだ招かれざる13人目、邪神ロキを意味し、このエピソードがきっかけでラグナロクが引き起こされます。
キリスト教ではサタンを13番目の天使とする説があり、13は「悪魔のダース」(devil’s dozen)の別名で呼ばれていました。
さらにイエスを売ったユダは最後の晩餐で13番目の席を与えられた、13番目の弟子であったともいわれています。
上記の逸話とサラのこだわりは関係あるのでしょうか?

真相は不明ですが、階段のみならず浴室も13個、クローゼットのフックの数も13、台所の排水溝の数も13と徹底しているあたり、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスには悪霊の上位に君臨する悪魔が巣食っていたのかもしれません。
日々広がり続けるウィンチェスター・ミステリー・ハウスは地図がなければ脱出不可能とされ、サンフランシスコ大地震発生時には実に7階建て、部屋数160以上の威容を誇っていました。

地震が原因で4階建てに縮んでからも、複数の塔が地上を睥睨する、異様な雰囲気は健在です。
さて、ウィンチェスター・「ミステリー」・ハウスというくらいなのですから、もちろん幽霊の目撃談も後を絶ちません。
サラが住んでいた頃から、工事中の大工や招待客は頻繁に幽霊を見かけていました。

女主人のサラも夜毎降霊の儀式を開いていたと噂され、ウィンチェスター邸が迷宮化したのは悪霊を迷わせる為だったのではないか、と人々は囁きました。
屋敷の奥には「降霊室」と呼ばれる開かずの間があり、サラはこの部屋にこもり、霊と相談しながらインスピレーションを得ていたそうです。

他にも邸内では方位磁石が狂い、ボールが上へ転がる、ラジオがひとりでに鳴りだすなどの怪現象が多発。
心霊写真が撮れるのは序の口で、地下室には決まって同じ霊が現れるのだとか・・・。
サラの奇行を案じて訪れた精神科医や医者も幽霊を見ているあたり、本当に何かが出るかもしれません。

現代のウィンチェスター・ミステリー・ハウスは?

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの工事は38年間、24時間265日続きました。
1922年9月5日、サラ・ウィンチェスターは睡眠中に心不全で他界。一日も休まず屋敷を建て続けた努力が報われ、大往生をはたします。

以来ウィンチェスター・ミステリー・ハウスは一般公開され、13日の金曜日やハロウィンには肝試しが行われるようになりました。
見た目は赤い屋根とベージュの壁が瀟洒な豪邸。邸内に一歩踏み込めば、金銀のシャンデリアや寄木細工の床がお出迎え。壁に嵌めこまれたゴシックなオルガンや蜘蛛の巣の模様が入ったステンドグラスは、オカルトマニアにはたまらないのではないでしょうか。

地元で人気の観光名所でもあり、一説によるとディズニーのホーンテッドマンションのモデルになったのではないかと言われています。
公式ホームページも開設されており、こちらからツアーの申し込みができます。

入場料はアメリカドルで36ドル、見学時間は9時から19時まで。入場料さえ払えば何時間でも見学が可能です。希望者は結婚式もできるそうで、一生の思い出になりますね。

『ソウ』シリーズのマイケル&ピーター・スピエリッグ兄弟が監督した映画、『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』も、当時の雰囲気を知る上で参考になるかもしれません。

サラが愛用していた降霊室はまだ見付かっていないそうです。
はたして本当に実在するのか、サラの正気を疑った人々が生み出した妄想なのか・・・。
もし実在するのなら、禁断の扉を開けてみたくなりませんか?

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ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷 (C) 2018 Winchester Film Holdings Pty Ltd, Eclipse Pictures, Inc., Screen Australia and Screen Queensland Pty Ltd.All Rights Reserved.

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