下山事件はいつまで戦後最大のミステリーといわれ続けるのか?

現代法医学では真相は見えているのに、いつまでも黒い噂がささやかれる未解決事件がある。
昭和のミステリーを問われて、下山事件と答える人は少なくないだろう。

占領下で起きたこの事件は、下山総裁の奇妙な行動、共産党の躍進、国鉄職員大量解雇という背景があいまって、メディアやジャーナリストのかっこうのネタになった。
どのみち殺人事件としては時効が成立しているし、このさき公式に決着がつくことはないのだから、謎めいた怪事件にしておくほうが都合がいい人々がいるのは確かだ。
けれども、その全容は本当に複雑怪奇な事件だったのだろうか。

生体轢(れき)断か、死後轢断かのガチバトル

下山総裁を轢いた機関車 D51 651 の捜査Unknown author / Public domain

昭和24年7月6日未明、下山定則国鉄総裁が北千住駅―綾瀬駅間で轢死体で発見された。
下山は1か月前に発足した日本国有鉄道の初代総裁に就任したばかり。
5日の出勤途中に行方不明になり、すでに失踪事件として捜査中だった。

現場検証の結果、0時19分に同地点を通過した機関車D51-651号に轢かれたことが判明。当時、国鉄は対日占領政策による10万人規模のリストラを迫られており、下山は労働組合との交渉の矢面に立つ人員整理の責任者だった。

警視庁捜査一課と二課は自殺と他殺で見解が分かれ、法医学者たちも生体轢断、死後轢断と見立てが対立。自殺説の根拠が生体轢断であり、他殺説の根拠が死後轢断だった。

まだ法医学は発展途上にあり、テレビもない時代。国鉄総裁の怪死事件は各紙にとって売り上げアップのまたとないチャンス。
主要紙はこぞって他殺説を推し、センセーショナルな報道合戦を繰り広げる。

そんななか、両説を検証しつつ、自殺説を主張したのが毎日新聞だ。

「無責任なデマは流すな。取材を重ね、事実を記事にあげる。それをやらなきゃ報道マンの名折れだぜ」
by毎日新聞「下山事件」取材班キャップ・平正一

ところが、報道のあるべき姿を貫いた毎日新聞の販売部数は激減。大衆が食いついたのは他殺説だった。
やがて社会派マエストロ・松本清張先生が『日本の黒い霧』でGHQ首謀論を展開し、さらに話が大きくなる。
「よし、わかった! やつらは米軍施設で下山を殺害し、死体を1201列車で現場に運んだのだ!」

けれど先生としたことが、1201列車についてはあまり調べなかったらしい。1201号は確かに進駐軍の軍用ではあったけれど、先生が言うような貨物列車ではなく、国鉄職員が乗務員の旅客列車。上野―水戸間はノンストップ運行だった。

目立つ死体をいつどうやって搬入し、どこに隠して、どう降ろしたのか、筆者の脳みそでは想像もできない。
てか国鉄も共謀したわけですか先生。なにげにスゴイこと言ってんだけど。

しかし『日本の黒い霧』は名作として売れ続ける。
世間の他殺説祭りが続くなか、自殺説支持者の救世主がようやく現れた。
ザ・錫谷テキストだ。

オス! オラ、錫谷テキスト! オラを倒してから行け!

他殺説支持者がそろってスルーする錫谷テキスト。
飛躍的に進歩した現代法医学が出した答えがここにある。同書の再検証にしたがい、昭和24年7月6日0時19分を再現するとこうなる。

土砂降りの雨の中、列車が来る方向を向いて線路に立っている下山。
なぜ身体の向きや立ち位置がわかるかというと、つぶされたのは身体の前面で、肋骨が背中側へ折れており、死体と着衣の残骸が線路内におさまっていたからだ。
横から列車に飛び込んだり、巻き込まれたりした場合は残骸が広範囲に飛び散ってしまう。
だから下山は線路内にいた。

最初に激突した「広い面積の巨大な質量体」はD-51の前端梁、高さは立った人間の胸の位置にあたる。
この部分と正面衝突した人間はどうなるか。
衝撃の圧力で胸部がひしゃげ、肋骨は折れる。胴体内腔が限界まで圧縮されて心臓は破裂。
一瞬で破壊された下山はショック死したと思われる。

だからここからは死後の出来事になる。
真後ろにはじき飛ばされた下山は線路に叩きつけられ、頭部がレールの上に。そこへD-51が追いつき、右先輪の排障器が激突。
顔面は、排障器か蒸気排出管の突起物でそぎ取られ、お面を外したような状態に。
下山はD-51の下に巻き込まれ、何十両も続く貨物車の車輪につぎつぎと轢断されていった。

無惨にも、ごくわずかな時間差で二度轢かれたことになる。
最初は生きている人間として、二度目は死体として。これが死後轢断と判断された理由だ。
錫谷書は、内臓の損傷や外傷の状態から、下山は立位だったと結論づけている。立った状態で衝突したということは、その時は生きていたということで、生体轢断を意味する。

たとえ死体を運んだという人物が現れようと、殺害の首謀者を知る人物が登場しようと、まずはこのハードルをクリアしなければならないだろう。

節子、それは謎やない。それはただのまやかしや

下山の失踪直後、まだ遺体が発見される前、名刑事・平塚八兵衛が下山邸を訪れている。夫人はこうもらしたという。

「ひょっとしたら自殺なんじゃ……」
家族の最初の直感。
平塚が病院の診察記録を調べると、下山は神経衰弱を発症しており、睡眠薬が手放せない状態であることがわかった。

当時、初老期躁うつ病という病名はまだない。
下山事件は、真犯人は神経衰弱とした臨床医の指摘がもっと重要視されていれば、よけいな論調や冤罪リスクが生まれることはなかったと思う。
警視庁が公式の捜査結果を発表せずに捜査の幕を引いたのをいいことに、「真相究明」という大義名分のもと、陰謀論が科学的根拠を駆逐してしまったケースといえるだろう。

事件の関連本もネット上のコンテンツも、圧倒的に多勢なのは他殺の検証および他殺説だ。
有名な血抜き殺害説も信憑性が高そうにみえる。解剖所見に手を加えた他殺説本が出回っているうえに、Wikipedia先生までが遺体には血液がほとんど確認されなかったとおっしゃっているのだから。
一方で、執刀医の桑島博士が肺に大量の血液を確認し、失血死を否定したことはあまり知られていない。

ある謀殺説書籍を読んでいた時、著者のこんな思いが透けてみえた気がした。
「どうせ今の人間は下山事件なんて知らないし、とことん調べもしないだろうし。だいたいこういう本は陰謀論好きが読むんだから、楽勝楽勝」

これほど謀殺説に有利な情報が氾濫すれば、「こんなに謎だらけで複雑なんだから、自殺じゃないはず」と思いたくなる。
書籍になっているのだから真実にちがいないと思う読者もいるだろう。

けれどそれは謎ではなく、謎のようにみえるだけかもしれない。
人の不幸で商売をしてはいけません、などと聖人ぶるつもりはさらさらない。そちら側に行くか行かないか、それだけの話。
もちろん純粋に謀殺説を支持して検証している人もいるだろう。

下山事件は、情報の玉石を見極める眼を研ぎすます叩き台として他の追随を許さない。
それならば、「いまだ多くの謎に包まれる」という枕詞がいつまでついて回るのかを見届けるまでだ。

それでも7月6日が近づくと、この出来事で一人の男が死を選び、遺族がうまれた現実を思い出す。


世界の未解決事件やシリアルキラー、歴史のミステリーを追いかけています。
『BILLY BAT』で下山総裁を描いた浦沢直樹さんの画力にホレボレ。

参考文献:『生体れき断 下山事件の真相』平正一著/『 死の法医学 下山事件再考』錫谷徹著/『下山事件全研究』佐藤一著
※画像は一部イメージです。

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