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あの世のものを食べるとどうなる?「黄泉戸喫」の詳細、「千と千尋の神隠し」との関連を解説

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死んだ人が行くとされる世界。天国や地獄が有名ですが、古来より日本には、黄泉(ヨミ)の国という概念が存在します。

黄泉は、私たちが生きる現世とは全く異なる世界。独特の決まりがある、暗く、恐ろしい世界です。そして黄泉の国の決まりの一つが、今回ご紹介していく「黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)」です。

黄泉戸喫とは、一体どんなものなのでしょうか。その内容や、その概念が使われている「千と千尋の神隠し」との関連性について解説していきます。

目次

「黄泉戸喫」とは?

そもそも、「黄泉戸喫」とは何なのでしょうか。その意味を見ていきましょう。

黄泉戸喫はヨモツヘグイと読み、日本神話をまとめた最古の文献である「古事記」に登場している概念です。その意味する所は、「あの世の食べ物を食べると、この世に戻れなくなる」というものです。「黄泉竈食ヒ(本来は全て旧かな遣い)」と書かれることもありますが、意味はおおむね同じです。

食べ物とは、体を構成する大切なものです。そして、現世とは異なる黄泉の国の食べ物を食べるということは、黄泉の国に取り込まれるということです。

もし、黄泉の国から戻りたいのであれば、黄泉戸喫を犯さないようにしましょう。

神話・民話に見られる黄泉戸喫

黄泉戸喫は確かに、日本神話に登場する考え方です。しかし、世界の神話や民話を読んでみると、同じような概念を持っていたことがうかがえます。

ここでは、日本神話で表現されている黄泉戸喫や、それに似た概念を持つ世界の神話や民話をご紹介していきます。

日本神話~イザナギとイザナミ~

黄泉戸喫が登場する代表的な神話といえば、国生みをした二柱の神・イザナギノミコトとイザナミノミコトの物語です。以下に、具体的なストーリーを書いていきます。

『男神であるイザナギと女神であるイザナミは結婚し、多くの国土と神々を生みました。やがてイザナミは火の神であるカグツチノカミを生み、下腹部に火傷を負って亡くなってしまいます。

イザナギは妻を亡くしたことを悲しみ、黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)を下り、黄泉の国を訪れました。イザナギは建物の門越しにイザナミと会うことはできたものの、イザナミは黄泉の国の食べ物を口にした後でした。それでもイザナミは、イザナギと現世に帰るため、黄泉を治める神と交渉すると言います。そして、その間イザナギはイザナミの姿を決してみてはならないとも。

イザナギは我慢できず、妻の姿を覗き見てしまいました。そこにあったのは、体中に蛇巻き付いた、変わり果てた妻の死体でした。イザナギは恐れおののき、急いで現世に戻ろうとします。イザナミは約束を破られたことに怒り、現世に戻るイザナギを妨害しようとしました。
やがて黄泉平坂を登り切ったイザナギは、入り口に大きな岩を置き、蓋をしてしまいました。

イザナミは怒り、「現世の人間を1日に1000人殺す」といいます。イザナギはそれに応じて「1日に1500人産ませる」と返しました。こうして、人間は1日に1000人死に、1500人生まれることとなったのです。』

この物語は、一般的に「黄泉平坂」というタイトルで知られています。ちなみに、今の島根県(出雲)には黄泉平坂と呼ばれる場所が現存しています。興味がある人は、一度訪れてみてください。

ギリシャ神話~ハデスとペルセポネ~

世界的に有名なギリシャ神話にも、黄泉戸喫に似た概念が存在しています。その概念が登場しているのが、ハデスとペルセポネの物語です。

簡単な説明として、ハデスは主神・ゼウスの兄であり、ギリシャ神話においての黄泉である冥界を治める王でもあります。そして、ペルセポネは豊穣の女神・デーメーテールの娘にあたります。

『ある日のこと。冥界を視察中だったハデスは、エロース(美の女神・アフロディーテの息子で愛の神)によって、愛の矢を打ち込まれてしまいました。愛の矢は、打ち込まれて最初に見た人に、熱烈に恋をするという作用を持ちます。

矢を打たれたハデスは、花を摘んで遊んでいるペルセポネを目にします。その途端、ハデスはペルセポネを好きになってしまい、そのまま彼女をさらい冥界へと帰ってしまいました。

デーメーテールは嘆きながら、娘を探して世界中を回ります。そんな彼女の元に、ペルセポネがハデスと結婚し、冥界の女王になっているという情報が入りました。
デーメーテールはペルセポネを地上に戻すよう、ゼウスに相談します。ゼウスの答えは、「ペルセポネが冥界の食べ物を口にしていない場合」に限り、デーメーテールの願いを叶えるというものでした。

デーメーテールはペルセポネを連れ戻すため、ヘルメスを使者にたてました。しかし、ペルセポネはザクロの果汁を口にしてしまっていたのです。
デーメーテールはハデスと話し合いました。その結果、ペルセポネは1年の半分を地上で、残りの半分を冥界で過ごすこととなったのです』

読んでみると、黄泉平坂の物語と似た構造をしていることが分かります。この物語は、ギリシャ版黄泉戸喫と言うことができるでしょう。

小話:イギリスの妖精物語

先に挙げた神話のようにはっきりした形はとっていないものの、イギリスに伝わる妖精物語にも、黄泉戸喫に似た考え方が現れています。

妖精は独自の世界を持つ(「常若の国」などと呼ばれます)、人間とは全く異なる存在です。勿論食べ物も異なっており、彼らの食べ物には魔法がかけられている場合が多いとされています。

例えば、一見美味しそうに見えるごちそうが、ただの草で作られているかもしれません。もしくは、もっとひどいものが原材料に使われている可能性もありえます。最悪なのは、「妖精の世界から出られなくなる魔法」をかけられているものを食べてしまった場合です。

イギリスには、妖精が育てた果物を食べて、彼らの世界に連れていかれてしまった少女の民話が残っています。少女は、妖精と同化してしまったのかもしれません。

「千と千尋の神隠し」に見られる黄泉戸喫

黄泉戸喫の概念が象徴的に使われている映画作品の一つに、スタジオジブリの名作「千と千尋の神隠し」があります。
ここでは、黄泉戸喫に関連する「千と千尋の神隠し」のシーンを紹介し、解説していきます。

千尋の両親が食べた屋台の料理

映画序盤に、千尋の両親が屋台の食べ物を食べ、豚になってしまうシーンがあります。まさに「貪る」という言葉がぴったりくるような恐ろしいシーンであり、トラウマになった人も多いのではないでしょうか?

このシーンにも、黄泉戸喫の概念が反映されています。

千尋の両親が食べた屋台の料理。これは、人間のための料理ではありません。千尋たちが迷い込んだ世界に住む(人間界とリンクはしているようですが)、神々たちのための料理です。
黄泉戸喫を「異世界の食べ物を摂取することで、異世界にとどめ置かれる」ものとして考えた場合、千尋の両親は料理を口にした段階で、異世界(神々が住まう国)の住人となってしまったのです。

そして、その不思議な世界にはルールがあります。それは、働かないもの・役割を持たないものは動物になってしまうというものです。
千尋の両親は、神々の食べ物を口にしてしまいました。その行動は不敬であり、その上、働くわけでもありません。だからこそ、食べ物として供される「豚」の姿をとって異世界の住人になってしまったのでしょう。

ハクが千尋に飲ませた赤い粒

「千と千尋の神隠し」にはもう一つ、黄泉戸喫が使われているシーンがあります。それはやはり映画序盤の、体が透けかけている千尋にハクが赤い粒を飲ませる場面です。

この段階で、千尋は異世界の食べ物を何も食べていませんでした。それは、彼女の存在があくまでも人間界にあることを表します。そして、人間界に生きている存在は、その世界にいることはできません。とはいえ、戻ることはできませんから、透明になる=消えるという表現になったのでしょう。

千尋が生きていくためには、両親とは異なる方法で、異世界の存在となる必要がありました。それを可能にしたのが、ハクが持つ赤い粒です。異世界のものを取り込むことで、千尋の存在が落ち着いたのです。

これは、意図的に黄泉戸喫を起こしたと考えて良いでしょう。

「お供えものを食べる」ことは、黄泉戸喫になるのか

おそらく多くの人が、仏壇や神棚にお供えした食べ物を食べたことがあると思います。この行動は日本の文化に根付いたものですが、死者の食べ物を口にしている、と考えることもできます。では、「お供えものを食べる」ことは黄泉戸喫になるのでしょうか。

これは、黄泉戸喫が敬遠される理由を考えるとわかりやすくなります。

そもそも、黄泉戸喫が敬遠されるのは「穢れ」の概念が深く関係しています。「穢れ」とは、不浄なものや良くないものを指し、その代表は死や病気です。
黄泉の国とは死者の国。つまり、穢れた世界です。穢れた世界の食べ物は同様に穢れており、口にするべきものではないのです。

では、お供えものはどうでしょう。

神棚のお供えをした場合。その食べ物には神様の良い力が宿るとされています。それを食べるということは、神様の力を分けてもらうことになります。そして、仏壇にお供えをした場合は、仏様やご先祖様に対する感謝を表すものとなります。これを食べることは、先祖供養の一環にもなるのです。

つまり、黄泉戸喫とお供えものを食べることは、似ても似つかない行為なのです。むしろ、お供えものは食べた方が良いと考えることもできるでしょう。

まとめ

ここまで、黄泉戸喫という概念について考えてきました。

現代においてはあまり馴染みの無い言葉ではありますが、決して知っておいて損の無い概念の一つです。映画やゲームなどに使われることも多々あり、知っているか知っていないかによって、物語を理解する深さが異なるからです。

もし、あなたが黄泉の国に行ったとき、その世界の食べ物を食べないようにしてくださいね。

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