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財宝伝説と呪いと言い伝え

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私は九州北部の山奥の小さな山村で育ちました。
村を通過する街道の抜け道として、今は人も通ることもかなわない山道が使われていた話。

目次

山道の言い伝え

徳川のより少し前だそうですが、詳しい時代は解っていません。
本街道の抜け道として利用されていた山道は、様々な事情で表を歩けない者の交通の要所だったと言われています。

私の聞いた言い伝えによると、ある武将が荷物を秘密の場所まで密かに運ぶという、重大な命を受けました。
荷物と言っていも金銀財宝で、一説によれば命をねらわれていたその家の殿が、隠し財産として子孫に残そうとしたとか。
しかし山道を通っている途中、武将とその一行は賊におそわれ、抵抗むなしく皆殺、遺体はその場に捨てられてしまったそうです。

賊たちは財宝奪い逃げようとしますが、なぜか足が全く動きません。
必死になって動かそうとしてみると、その足元には殺したはずの武将たちが手首を掴んでいるのです。
必死に逃げようとするのですが手は離れません。
しかたなく自分の足を刀で切り落とし、財宝すら放り出し命からがら逃げ出したそうです。

それからというもの、その道を行くものは通るだけで気が狂ったり、突然死を迎えたりするという噂が広まり、だれも気持ち悪がって通ることは無くなってしまったのでした。

財宝伝説

いつしか残されたという財宝は近辺で有名になり、探しに行く者が後を絶たないのですが、発見できないどころか全員がロクな目にあわないのです。

私が学生の頃、郷土史を研究しているという自称研究者が村へやってきました。
おそらくですが、研究したいとかいうのは名目に過ぎなかったと思います。

曰く付き以前に、山の奥のはるか昔に使われなくなった山道なんて危険でしかありません。
周りも散々止めたのですが、制止を振り切るように山に入っていったそうです。

しかし数日経っても、その方は帰ってきませんでした。
仕方ないので村人たちが探しに行くと、暗くなった山道の入り口で倒れていたのを見つけました。
幸い命に別状はありませんでしたが正気は失われていて、財宝があったのか、何が起きたのか解らなかったそうなのです。
またその方は、まともな城谷戻ることはなく、村を去っていったという事です。

あれからかなりの時間が経ち、過疎化で村は無くなり、山道の位置を覚えている方もこの世にはいなくなり、すべてが全く解らなくなってしまいました。

※画像はイメージです。

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