第2次世界大戦下、戦争に参加した多くの国々が生物兵器の開発を目論み、戦争捕虜や罪なき人々に人体実験を行っていた。日本における731部隊の存在もよく知られた話だろう。
しかし、日本軍の中では731部隊だけではなかった。
歴史の闇に埋もれかけた日本軍の闇を掘り起こしていこう。
第2次世界大戦と生物兵器
第2次世界大戦の戦争の「やり方」は先の第1次世界大戦とは大きく異なるものとなっていた。
戦場には航空機や長距離ロケット、レーダーといった新兵器が投入され、戦車や潜水艦の能力も飛躍的に進歩していた。
さらには原子爆弾という未だ類を見なかった大量破壊兵器までが誕生し、第2次世界大戦の兵器の進化は科学の進化と同じといってもおかしくないほどだった。
一方で列強各国は生物兵器の研究や開発にも力を注いでいた。
生物兵器といえば、紀元前から戦争で用いられてきた古典的な兵器だ。
有毒植物を人々が生活で使用する川に流す。
蜂やサソリを詰めた爆弾を作る。
死体を敵陣地に投げこんで故意に疫病を発生させる。
ここだけ切り取ると幼稚な戦術にも思えるが、生物兵器には長年戦争に利用されてきただけの大きな利点がある。
まず、生物兵器は戦車や航空機、ミサイルや化学兵器を作るのの比べて非常に安価にできる。
金属資源やエネルギー資源といった兵器開発に必要な資源を持たない国でも製造が可能であることも相まってコスパがいい兵器なのだ。また、細菌やウイルスといった目に見えない兵器は、爆弾やミサイルといった目に見える兵器とは異なった恐怖を煽る。
見た目にはいつもと同じ川が赤痢に汚染されていたら、今、吸っているこの空気中に炭疽菌が撒かれていたら。
見えないからこそ人々は疑心暗鬼に陥り、心理的なダメージを与えることができる。
そして、一度生物兵器を使用すれば、その時の攻撃対象となった人間にダメージを与えるのみならず、土地を汚染することによって大規模かつ持続的に被害を与えることも可能なのだ。
こうした様々な「利点」を持つゆえ、生物兵器は1928年に発行されたジュネーブ議定書によって使用を禁止された。
しかし、禁止されているのはあくまで「使用」。
しかも締約していない国に対しては、使用禁止とされていないなど抜け穴が多かったため、各国がその後も研究の手を止めることはなかったのだ。
日本陸軍と生物兵器
生物兵器の重要性は自国内の資源と国民の数に乏しく、一国で戦争をするには圧倒的ディスアドバンテージを背負っていた日本も同じことだった。
日本陸軍は特に近隣敵国であり、広大な国土と多数の国民を抱える中国やソ連に対して、生物兵器が切り札になると考えていたのだろう。
日本陸軍は生物兵器の研究と開発の拠点として満州に専門部隊を設置。それが関東軍防疫給水部、かの有名な悪魔の部隊、731部隊だ。
731部隊は中将・石井四郎の指揮の下、ペスト菌、炭疽菌、コレラ菌、チフス菌などの病原体やウイルスを研究し、実戦利用にむけて多数の人体実験を繰り返し、多くの犠牲者を生み出した。
しかも、日本陸軍は731部隊だけでなく、いくつかの関連部隊を生み出していたのだ。
731部隊の弟分 1644部隊
1644部隊は731部隊の南京支部として設立された、文字通り731部隊の弟分の部隊だ。
正確な設立年ははっきりとしていないものの、1941年頃だとされている。
当時の日本陸軍は、中国で繰り広げられる日中戦争の泥沼化と長期化に直面しており、戦況を好転させ、迅速に戦争終結させるための一手として、生物兵器の実用化を急務としていたのだ。
731部隊が満州で生物兵器の研究、実験、開発に勤しむ中、1644部隊では生物兵器の実戦使用に関する研究を行っていた。例えば、1644部隊でもペスト菌を保有したノミを意図的に村に撒いて集落全体をペスト菌に汚染させたり、より直接的に捕虜や現地住民に意図的に病原菌を摂取させたりして、感染に至る経緯や致死性について観察するといった研究が行われていた。
こういった731部隊と同様の研究・実験に加えて、1644部隊では感染源となる病原体を含む爆弾や散布装置の開発や感染症の拡散を助けるための運搬手段の研究が進められていたのだ。
そして研究・開発に伴って実施されたのが実戦実験、いわばフィールドテストだ。
病原体をどのように空中散布すればより広範囲を汚染させることができるのか、どこに感染源を設置すれば敵の水源や食料供給ラインを断つことができるのか、実際に生物兵器を戦場で使用する際の有効性の検証と運用方法の確立のための実験が1644部隊では繰り返されていたのだ。
フィールドテストにあたっては1644・731両部隊で情報共有がなされ、731部隊の研究結果やノウハウが存分に生かされたことは言うまでもない。1644部隊はなにより731の濃い血が流れる兄弟だったのだ。
小さな731、100部隊
100部隊(ひゃくぶたい)は、満州に設置された関東軍に属する部隊の1つだ。
100部隊という名称は日本陸軍の全部隊に割り振られていた通称号「満州第100部隊」に由来しており、正式な名称は関東軍軍馬防疫廠という。
この部隊は軍用動物の衛生管理、研究などを目的としており、一見すると生物兵器や人体実験といった物騒な事案とは無関係に思える。
実際に100部隊に所属していたのも医師ではなく獣医師であったようで、軍馬などの軍用動物の衛生管理のために、動物の感染症研究や血清の製造、軍馬移動時の検疫作業なども担っていたようだ。しかし、軍用動物の研究はあくまで表向きの目的であり、「動物の感染症研究や血清の製造や検疫」という活動内容は転じて「敵国の軍用動物や家畜に対する生物兵器による攻撃方法の研究」となっていた。
第2次世界大戦で活躍した陸の乗り物と言えば戦車を思い浮かべる人も多いだろうが、アメリカを除く主要各国は戦地でまだ軍用動物、とりわけ軍馬を利用していた。
日本軍も事情は同様で、物資を運ばせたり兵を背に乗せて戦う戦力の一端として軍馬を徴収し、戦地に送り出していたのだ。
そんな軍馬に対して生物兵器を用いて被害を与えることができれば、相手の戦力を削ぐことができるし、現地住民の家畜に対して被害を出すことができれば現地住民の生産能力を落とし、食糧源を断って口減らしを狙うことができるかもしれない、という意図があったのだろう。
また、研究対象の「動物」には人間も含まれていたようで、100部隊においても731部隊同様の人体実験が繰り返されていた。その上、どうやらお互いの実験結果は共有され、相互の研究の向上に役立てられていたようだ。
つまり、一皮剥いてみれば実状は731部隊とほぼ同じ、100部隊もまた生物兵器の実用化に向けて人体実験を繰り返す組織だったのだ。
第2次世界大戦と化学兵器
化学兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれている。
化学兵器とは、化学兵器の王様・マスタードガスをはじめとし、オウム真理教が製造、使用したことでも一躍有名になったサリンやVXガスなどの毒性化学物質を兵器に転用したものを指す。
生物兵器同様に殺傷能力も高い上に被害者に長い後遺症を強いたり、周辺環境にも大きな影響を及ぼすことから、例え使用せずとも所有しているという事実だけで、相手に対して心理的恐怖を与えることができる兵器だ。
ある程度の化学工業水準、知識が必要ではあるものの、同じく大量破壊兵器である核兵器よりも安価かつ開発が容易であることから、資金に乏しい国でも生産可能な兵器でもあり、第2次世界大戦下、生物兵器同様にジュネーブ議定書で使用が禁じられていたものの、多くの国が開発や研究に精を出していた。
ジュネーブ議定書に署名はしたものの、批准はしておらず、化学兵器を使用できる余地を残していた日本も他国と同様に化学兵器を重要な戦争手段と考え、研究を進めていた。
登戸研究所や731部隊も一部の化学兵器研究に関与したが、化学兵器研究において最も大きなウエイトを担ったと思われるのが516部隊だった。
化学兵器研究の要 516部隊
516部隊とは、満州のチチハルに設けられた日本陸軍の化学戦研究機関であった関東軍化学部のことだ。
516部隊は1937年8月に創設された関東軍技術部化学兵器班を前身とし、1939年5月に技術部から化学部として独立した。
731部隊が生物兵器研究の要であるなら、516部隊は化学兵器研究の要であったとみられている。
516部隊の設立は化学兵器の研究や開発、そして実戦利用に向けて化学兵器の生産を目的としていたのだ。
マスタードガスやルイサイトなどのびらん剤(皮膚や気道、眼球などに爛れを生じさせ、肺水腫や結膜炎、水疱、皮膚などの壊死を引き起こし、死亡する場合もある)や青酸ガスなどの毒ガスを戦場で使用することを想定した研究がなされ、実際に動物、そして人体に対しても実験が行われていた。
また、自身の部隊内での研究の基づいた実験だけでなく、日本国内に拠点を置いていた機関が開発した化学兵器を実験の任も担っていたようだ。
実験対象を獲得しやすく、実際に化学兵器を使用することになるであろう満州で実験を行った方がより正確なデータを得られると考えられていたのだろう。
さらには、運搬や散布に適した形態で、つまり実戦に向けた毒ガスの製造が行われていたとされている。
516部隊で行われた実験もまた、731部隊で行われた人体実験同様のおぞましいものだった。
狭い部屋にいるなにも知らない人々に突然、毒ガスを浴びせたり、強制的に毒ガスを直に吸入させたりその結果は言うまでもない。
このように戦時、516部隊は人体実験や実戦に近い形で化学兵器を使用して多くの被害を出したのに留まらず、戦後が終わった後も現地に影響を及ぼし続けた。
516部隊をはじめとする化学兵器を扱っていた各部隊は終戦までに生産した化学兵器やその原材料などを満州や中国各地に遺棄。
そのため、現地ではこの残された化学兵器に由来する事故が頻発しているのだ。
比較的最近起きたのが戦後50年以上が経過した2003年の事故だ。
2003年8月、中国黒竜江省チチハル市の建設現場で見つかったドラム缶から黒い液体が漏れ出した。このドラム缶を撤去した作業員や建設現場の作業員らが液体に触れてしまい、内1人が死亡する事態となったのだ。
この液体こそが旧日本軍が遺棄した化学兵器だったというのだが・・・。
黒い液体がなんであったのか、半世紀以上もの間も腐食しないドラム缶、もしかしたら旧日本軍の放棄したものではないのかもしれない。
戦争が終わって半世紀以上が経過してもなお、化学兵器は人々に深刻な被害と恐怖を与え続けているというのだ。
なぜ731部隊だけが有名なのか
このように日本陸軍は731部隊をはじめとして中国各地に生物兵器や化学兵器の研究・実験機関を設置していた。
そのうちの多くが、戦時であるという状況を隠れ蓑にして、人体実験などの残虐非道な行いをしでかしたことに違いはない。だが、戦争終了から半世紀以上を経て、私たちがよくその名を耳にするのは主に731部隊ではないだろうか。
なぜ、731部隊だけが有名になり、他の同様の研究を行ったはずの部隊は歴史の陰に埋もれることになったのだろうか、考えてみたい。真っ先に考えられるのが部隊の規模の関係だ。
時期によるものの、731部隊は3,500人以上の隊員数を抱える大所帯だったとされる一方、2022年に公開された516部隊の留守名簿(各部隊に所属する将兵らの氏名、生年月日、編入年月日などが記載された名簿)によれば、同部隊に所属していたのは約400人。規模が全く違うのだ。
そして所属人数の違いは、その所属する部隊の設備や人員が生活する宿舎などの規模にも影響したはず。
大規模な建物や設備はそれだけで外から見て目立つ。
実態はわからなくとも、大きな存在はいやがおうにも周囲に意識されたはずで、これが戦中・戦後、特に満州に暮らしていた人々に強い印象を与え、731部隊が際立って記憶に残る存在となったのではないだろうか。逆に731部隊の存在が強烈だったからこそ、他の部隊の存在がかすんでしまったという面があるのではないだろうか。
もう一つ考えられるのが活動内容の混同だ。
実戦利用研究に特化した1644部隊、軍用動物いう観点からの生物兵器研究に特化した100部隊、化学兵器研究に特化した516部隊。
いずれの部隊の研究もそのすべての研究をカバーしていた731部隊と情報共有されていた。
戦後、731部隊の石井四郎は通常の倫理的な科学研究では得られないような人体研究情報を欲したアメリカと積極的に取引しており、石井はいわば生物・化学兵器研究の日本代表のようになっていたのだろう。
石井が渡した研究結果の中には731の研究だけでなく1644・100・516部隊での研究も恐らく含まれており、石井四郎という存在は731とほぼイコールだ。
他部隊の研究も731部隊の研究と混同され認識されてしまい、すべては731部隊のものであるかのような認識になってしまっているのではないだろうか。
生物兵器・化学兵器研究部隊はこれだけなのか
第2次世界大戦中、人体実験に関わった日本軍の部隊は731部隊以外にも多数あった。
特に今回とりあげた3つの部隊は731部隊の次点に有名で、ある程度研究がなされている部隊でもあると思うのだが、気になるのがいずれの部隊も731部隊と関りがあった部隊であり、中国の地で活動していた部隊ということだ。
日本国内にも当然、生物兵器・化学兵器研究をしていた機関があり、なおかつ日本軍としてそれらの兵器研究の方針を決める上位機関があった。では、満州、中国以外の東南アジア方面にあった当時の日本の植民地や各戦地においてはどうだったのだろうか。
太平洋戦争末期になると東南アジア方面の各戦線で日本軍は苦戦を強いられていた。
物資の補給がままならなくなり、武器・弾薬の類はもちろんこと食糧の供給も断たれたため、日本軍は飢餓状態に陥り、赤痢やマラリアといった感染症に苦しめられていた。
マラリアとは、蚊が媒介するマラリア原虫が病原体となって引き起こされる感染症だ。マラリア原虫は熱帯から亜熱帯にかけて広く分布していて、感染すると高熱を引き起こし、熱が上がったり下がったりを繰り返しながら、重症化すると死に至る恐ろしい病気である。
戦時、劣悪な衛生状態に置かれていた兵士が罹ればひとたまりもなかっただろう。
兵士は軍隊にとって貴重な資源だ。
その兵隊の健康を守るためという名目で熱帯・亜熱帯地域に多い病原体を研究する部隊、転じてマラリアといった地域特有の病原体を生物兵器にとして利用できないか研究する組織や、自然流行に見せかけて赤痢などを流行地で散布実験するなどの組織があってもおかしくないのではないだろうか。
東南アジア方面の戦地において、こうした生物兵器・化学兵器研究機関が「ある」と断定されるほどの研究は現時点でなされていないようだが、今後の調査で存在が明るみになる可能性もまだ残されている。
悪魔を風化させないために
人間を人間とも思わない倫理観で、戦争を隠れ蓑に人体実験を繰り返した731部隊。
規模は小さかったものの、同じような悪行に手を染めていた1644・100・516部隊。
研究機関の数だけ、残忍な所業の餌食となってしまった被害者がいたということを意味ししている。もしも、歴史の狭間に忘れ去られた部隊がいるのだとしたら、犠牲者の数はもっと増えるだろう。
今の私たちにできることがあるのだとすれば、悪魔の存在を忘れずにこうした所業を生み出すきっかけとなってしまう戦争というものを否定し続け、第2・第3の組織が生まれないよう、戦争を忌避し続けることだ。
確かにこれらの部隊は存在したが、日本は敗戦国であり、戦後のプロパガンダかもしれないという事を忘れないで欲しい。
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