第二次世界大戦のドイツ軍の主力戦車として作られたⅢ号戦車でしたが大戦を通じて第一線を戦ったのはⅢ号を支援する戦車とされたⅣ号戦車でした。
果たしてⅣ号とⅢ号との違いは何処にあったのでしょうか?
Ⅲ号戦車とⅣ号戦車の開発

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1931年に自動車化部隊総監であったハインツ・グーでリアンは2種類の新型戦車の開発方針を表明します。
1つは主力戦車となる戦車、もう1つは火力支援の戦車です。
1934年にドイツ陸軍は2種類の新型戦車の開発を決定します。
グデーリアンの構想が実現する段階に移ります。
この主力戦車となるタイプがⅢ号戦車で火力支援戦車タイプがⅣ号戦車となるのです。
同時に開発されたⅢ号とⅣ号は1936年から1937年には形になり量産されます。
1939年9月の第二次世界大戦勃発時にはⅢ号戦車は98両でⅣ号戦車は200両がありました。
主力である筈のⅢ号がⅣ号よりも少ないのは1938年12月から始まったⅢ号の生産が遅れた為でした。
Ⅳ号戦車が主力になる

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1940年のフランス侵攻ではⅢ号は349両でⅣ号は280両とⅢ号は主力戦車の位置を保てるような数にはなりました。
しかし1941年6月からの独ソ戦でソ連軍の装甲が厚く火力の強い戦車であるT-34やKV-2との戦いや同時期に展開していた北アフリカ戦線に現れたイギリスのマチルダⅡやアメリカ製のM3中戦車を相手にしてⅢ号の力不足が否めなくなった。
Ⅲ号は当初の3.7cm砲から長い5cm砲に替える改造はされたが米英ソの戦車と戦う火力は今一つ足りない。
対してⅣ号は短砲身の7.5cm砲から長砲身の7.5cm砲に替えた事でT-34もM3中戦車とも十分に戦う事ができた。
火力向上の限界を迎えた事によりⅢ号戦車が主力戦車と言う座をⅣ号へ譲る結果となりました。
Ⅲ号の限界

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Ⅲ号戦車の火力向上に限界が生じたのは車体に砲塔を載せるターレットリング(砲塔リング)の大きさがⅢ号では3.7cm砲から5cm砲を搭載する事で設計されたからだ。
グデーリアンは最初からⅢ号に5cm砲装備を望んだが陸軍兵器局は3.7cm砲装備で押し通した。
仮にグデーリアンの求めに応じて5cm砲で最初から登場しても7.5cm砲を装備できなければⅢ号の限界は史実と変わらない時期に来たでしょう。
戦車として改造の余地が少ないⅢ号戦車でしたがⅢ号の車体に固定の戦闘室を設けたⅢ号突撃砲は短砲身7.5cm砲から長砲身7.5cm砲を装備したG型やF型が優れた対戦車戦闘車として活躍しました。


eyecatch source:Pavel Troshkin [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由
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