第四次川中島合戦は上杉、武田側誰一人として予測していなかった遭遇戦だった。

ここ近年唱えられている、第四次川中島の戦いが、「上杉側、武田側双方にとって、予測していなかった遭遇戦説」を取り上げたいと思います。
そう聞くと意外な感じもするかもしれませんので、一般に知られている同合戦について簡単におさらいをしておきたいと思います。

第四次川中島の戦いとは?

武田側軍師山本勘助の進言で、キツツキの戦法と言われる妻女山への攻撃の後勝敗いずれにせよ、戦いを済ませて根拠地に引き上げる上杉軍を武田軍本隊が待ち伏せて叩くという二段構えの作戦です。
しかし本作戦は武田軍から立ち上る炊煙により謙信によって看破されます。

夜半にかがり火を焚いたまま上杉軍の全軍移動により同山への別働攻撃軍は空振りに終わり、武田軍本隊は霧の晴れた上杉軍全軍と対決する事になります。
最高司令官武田信玄は負傷、次席指揮官の信玄の弟武田典厩と軍師山本勘助は督戦中に討ち死に。このまま武田軍総崩れかという所へ、同山がもぬけの殻と気づいた別働隊が駆け付けて辛うじて敗戦は免れました。

しかし急行してきた別働隊も、朝方から死闘を繰り広げてきた本隊も、整然と撤退していく上杉軍に追撃をかけるだけの力はなく、夕暮れが迫り、合戦は終わりました。
戦い自体は先に戦場から引き揚げた上杉側の敗北ですが、作戦的には最高司令官が負傷。次席指揮官と軍師は戦死。作戦を看破されたこともあって作戦的には上杉側の勝利です。

不審な点

ここで冷静になって考えてみますと、かなり不審な点が多々出てきます。
その中でも最大の物は、死傷率が三割にも達するという激戦で、通例一割も死傷者が出れば、十分なのです。

従来の説では「両軍が必死に戦ったため。」とされてきましたが「本当にそうか。」と疑念を抱いた人達がいます。
上杉、武田共に戦下手とは知られていません。それは両軍の死傷者率を見れば一目瞭然です。

調べてみると、あの川中島合戦の前も後も、両軍の死傷者率に大した違いがありません。
従って合戦自体に、あれだけ死傷者を出した原因があるに違いありません。

それは何か?

答えから先に言ってしまいますと「上杉武田両軍ともに、濃霧の盆地内で不慣れな所に、不意に遭遇してしまった結果、あの死傷者数になってしまったのだ。」と、言います。
どちらの方の士気が高かったとか、よく訓練されていたとか言う前に、気が付いたらなし崩し的に戦いになっていたのではないか?

私達は、俯瞰的に全体を見ることに慣れています。
敵味方は方言で認識できます。しかし、わかるのはそこまでで文字通り五里霧中。

出会い頭に戦いが始まり、統率も統制もできないまま、ただ近くの敵と殴り合うしかありません。霧の中で金属等がぶつかり合う音と、こだまする怒号。
慎重に探りながら近づいてくる恐怖。よほど肝が据わっていないと、耐えられません。

このような説をご紹介して、本論を終わりたいと思います。

※画像はイメージです。

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