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「七人ミサキ」高知県に伝わる怨霊集団!

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高知県には人々にたいへん恐れられている怪異、物の怪が存在します。
それは、ひとたび取り憑かれれば恐ろしい目にあうといわれている怨霊の集団です。

ある武将のとある言動から、合計八名の命がこの世から消えてしまったという事実を説明しながら、それを元に恐怖の怨霊集団について紹介していこうと思います。

目次

跡継ぎ問題から切腹へ

昔、四国で活躍した長宗我部元親という武将がいました。その武将の弟の子である吉良親実という武将は、ある出来事が原因で元親から切腹を命じられてしまいます。
ある出来事とは、元親の跡継ぎ問題。
吉良親実はなぜ切腹しなければならなかったのでしようか?

吉良親実と家臣達の無念

元親は、長男を戦で亡くした後、跡継ぎをどうするか考え、四男を推します。
その意見に真っ向から反対したのが親実でした。
親実の言う意見は正論でしたが、このことがきっかけで元親に切腹を言い渡されます。

元親の側近に久武親直という武将がいたのですが、この久武親直と親実は日頃から仲が良くありません。
久武親直は、元親の跡継ぎの件に関しても間に入り、元親に取り入ります。
久武親直も跡継ぎに四男を推し、反論する親実のことを悪く言い、貶めようとしました。

元親は、久武親直からの話を聞きつつ、反論する親実に対し怒りを持ち、このことが親実への切腹命令につながったのです。
親実の切腹後、親実の七人の家臣達も斬られ、彼らは無念の死を遂げたのでした。

怨霊となり怪異をもたらす

彼らの死後、とても恐ろしい出来事が起こるのでした。

親実の切腹の場である親実の屋敷や親実の墓周辺では、火の玉が頻繁に目撃され、裏で悪事を働いた久武親直の家族が次々と変死し、元親の周囲でも怪異が続きました。
怪火、首のない亡霊などが目撃され、様々な怪異が長く続いたのです。

親実とその家臣達は怨霊となりさまよい続け、人々はたいへん恐れました。

春野町の吉良神社(木塚明神)

元親は僧侶に読経をさせ供養しようとしましたが、それでも怪異が続いたため、吾川郡木塚というところに親実を祀る木塚明神を造りました。そのおかげか怪異は減りましたが、彼らの亡霊はその後も人々からたいへん恐れられます。

高知市春野町にある吉良神社は、親実を祀った木塚明神のことです。
本殿の脇には、親実の家臣七人を祀った七社明神があります。

もうひとつの吉良神社

親実の屋敷は高知市越前町にありました。
怨霊集団による怪異が続く中、この場所に葛岡神社が建てられましたが、明治時代の学校建設の際に、高知市山ノ端町にある若一王子宮の境内に移され吉良神社となりました。

現在、親実の屋敷跡は学校ではなく市の施設になり、石碑が建っていて、若一王子宮の境内の吉良神社には、親実の首を洗ったという石鉢が残されています。

高知県の物の怪「七人ミサキ」

高知県でたいへん恐れられている物の怪「七人ミサキ」。
この七人ミサキは、元親や久武親直と敵対し、無念の死を遂げた親実の家臣七人。
親実も怨霊となっているので実際は八人なのですが、どうしてなのか?七人ミサキという名の怪異で知れ渡っています。

この怨霊集団に遭遇し取り憑かれると、命を落とすか大病になるといわれています。

七人ミサキは誰かに取り憑いて恨みを果たすと、その霊一人が成仏し七人ミサキは六人になります。
しかし、その取り憑かれた者が亡くなり霊となって六人の後につくようで、結局また七人になる、その繰り返し。

怨霊集団七人ミサキに終わりはない、そこがまた、たいへん恐ろしいポイントです。

※画像はイメージです。

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