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半世紀近く日本を守った74式戦車

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2024年春に陸上自衛隊から74式戦車が実働部隊から全て引退します。
1974年から半世紀近く日本の守りを務め、役目を果たした74式戦車はどんな戦車だったのでしょうか。

目次

本格的な国産戦車を

戦後日本初の国産戦車となった61式戦車でしたが、当時の自衛隊が仮想敵としていたソ連軍は61式戦車が正式採用された1961年(昭和36年)から3年後、新型戦車のT-62戦車が姿を現します。
T-62は61式の90ミリ砲を上回る115ミリ砲を装備していた。開発段階から100ミリ砲を装備するソ連のT-54と砲火力で負けるのは分かっていたものの、西側では105ミリ砲搭載戦車が西側では開発中で、アメリカ軍では90ミリ砲装備のM-47戦車やM-48戦車しかありませんでした。

61式戦車は西側戦車には追い付いていたものの、対抗する相手となるソ連軍戦車には遅れてしまいました。
そこで61式戦車の開発が終わるとすぐに新型の主力戦車開発が始まります。
終戦後のブランクから戦車開発の技術を回復させた61式戦車に対して、74式戦車となる新型主力戦車は仮想敵の戦車に対抗できる戦車として開発されます。

74式戦車の特徴

74式戦車は三菱・日本製鋼所など民間企業が集まり開発されました。
1969年(昭和44年)に一次試作車が完成、翌年には二次試作車が作られ、1973年(昭和48年)には防衛庁と陸上自衛隊の審査に受かり、翌1974年(昭和49年)に74式戦車として正式採用されました。
10年近くの時間を費やして完成した74式戦車
武装はイギリスのヴィッカース社が開発した105ミリライフル砲L7A1を日本製鋼所がライセンス生産した物を装備
この戦車砲の射撃はレーザーで距離を測り、弾道計算機で命中する弾道を計算する機器を内蔵した射撃統制装置(FCS)によって命中率を高めています。

また夜間戦闘が出来るように開発され、照準と操縦の為の暗視装置を装備し、74式戦車のトレードマークと言える砲塔左側に装着してある箱型の赤外線投光器が赤外線を放ち目標の熱源を捉える。
何より74式戦車の特徴は自衛隊戦車の特徴となった姿勢制御能力を初めて装備した事でしょう。
地形に合わせて、前後6度・左右9度に傾きさせる事ができます。

世界水準に達した74式戦車

完成した74式戦車は105ミリ砲とFCSを装備し、当時の主流となっていた第二世代戦車の性能を満たしていました。
これはアメリカのM60パットン戦車やドイツのレオパルト1、ソ連のT-62戦車など当時の世界で第一線の主力戦車と並ぶ性能を持つ戦車である事を意味します。

終戦から30年ほどで日本の戦車を開発する技術は世界水準に追いついたのです。
74式戦車は873両生産され、全国の陸自戦車部隊に配備されました。

参考文献:
JGROUNDEX No.16「陸上自衛隊AFV図鑑」イカロス出版
JGROUNDEX No.17「徹底研究!74式戦車」イカロス出版
JGROUNDEX No.20「陸上自衛隊戦車列伝」イカロス出版
陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版

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