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戦中体験者からのちょっとした話 その8 ~内地編 その3~

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以前掲載いただいた「内地編」第3弾です。
私の周囲の人達が聞かせてくれた、国内の様子を集めてみました。

目次

空腹は最良のコック・・・とはいかない

戦時下での、現代なら口にすることもなさそうな食材に関する話です。

コーリャン

言わずと知れた、戦時中の食材代表です。
御多分に漏れず、私の両親ともども
「戦時中であることを差し引いても不味くてたまらない」

「戦争が起きると生活状況はどう変わるのか」を思い知らされる、当時を象徴する食べ物だったそうです。

オオバコ

道端に生える、ハート形の葉でお馴染みの雑草。

母曰く「野菜が無いから、湯引きにして食べていた」とのことですが、戦時下では悠長に料理も出来ません。
「とにかく苦かった」のだとか。

アカエイ

父からの話。
朝鮮半島では珍重されますが、日本では馴染みの薄い魚です。

しかし、戦時中は食料も漁船も軍へと回されますし、まして空襲が始まると小舟すら戦闘機の銃撃に遭い、漁もままなりません。
結果、普段食べようとも思わなかった魚が食卓に上りますが――自分達が飢えていたにも拘らず「恐ろしく不味い」としか思えなかったのだとか。

エイの肉は強いアンモニア臭を持ちます。
それを上手に処理する方法もあるのですが、当時の状況下でその様な手間を掛ける余裕は無かったのです。

イシガメ

父からの話。
なにせ食べるものが無いものですから、悪友たちと悪ふざけ半分、ヤケ半分の気持ちになりました。
「スッポンが食えるんやったら、これも食えるやろ」
そう言いながら池に赴き、亀を捕って煮物にしたそうです。

その結果
「硬くてカメまへん」
駄洒落で気を紛らわすしか無い程に、燦々たる結果だったとか。

都合の悪い話

戦中の報道や教育に関する話です。

いなくなった顔

私の母は開戦時小学1年生でしたが、真珠湾攻撃翌日の新聞掲載写真をはっきり覚えているそうです。
集合した10人の中で、ひとりだけ顔をくり抜かれていることを。

それは真珠湾攻撃時に全滅した、特殊潜航艇部隊隊員の集合写真です。
消された顔は、坂巻少尉。ひとりだけ生き延び、太平洋戦争捕虜第1号となった人物。
戦死した他の隊員が軍神として掲載されたのに対し、米軍に捕まったことで国の恥とされました。

その坂巻少尉は戦後、トヨタのブラジル支社長に収まっています。

英雄と極悪人

私の父は小学生の頃、歴史の授業で、こんな風に教えられたそうです。。

「この人達は、お前らも模範にすべき理想の人物だ」
「逆にこいつらは、憎むべき極悪人だ」

前者は、楠木正成、真田幸村、山中鹿之介。
後者は、足利尊氏、井伊直弼。

前者は、主君のため勝ち目のない戦いに赴き、散華した人物。
後者は、天皇に弓引いた男と、アメリカへ屈服した男。

それらによって、授業での人物評価をなされたのです。

昭和40年代の大阪ミナミ生まれ、「ウォーゲーム」世代。
好きな作品は『アラモ』(『月刊 Tactics』付録)
最近、高齢者の方々との付き合いが出来たため、新たなネタを引き出せないかと画策中。

※画像はイメージです。

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