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白米しか食べたくない!

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小学校の宿題で「戦争経験を聞く」というものがあった時に、祖母から聞いた話です。

祖母は現在生きていれば90歳、戦争当時は小学生でした。
祖母はお城がある町の、丸の内と呼ばれた城下町のど真ん中で、四人兄弟の長女として育ちました。祖母の母親はさる方のお妾さんだったようですが、姉弟は何不自由なく裕福な暮らしをしていたそうです。

そんな中にも戦争の影が迫ってきて、暮しもそれなりに厳しくなっていったと言います。あまり贅沢な格好もしないほうがよかろうということで、きれいな着物は着ないようにして、地味な目立たない着物ばかり着ていたとか。生活は全く苦しくなかったようですが。

食料も配給制になりました。野菜などは田舎から貰っていたので困らなかったのが、祖母が唯一嫌だったのは白米が食べられなかったこと、だそうです。精米されない玄米で来たので、それを瓶にいれて棒でつついて精米するのが子供たちの仕事でした。それでも力のない子供のやることですから、人力で精米するには限界があって、炊いたご飯はほぼ玄米だったとか。その時、ちゃっかり者の祖母は考えました。白米の時は、弟たちにとられるのが嫌で、自分の分を先によそって確保していました。しかし、今それをやると、玄米は釜の上の部分に浮いてくるので、自分が玄米ばかり食べることになる。そうだ、と思って、「先によそってあげるわね!」と親切を装って弟たちに大量に玄米をよそり、自分は辛うじて精米されている白い綺麗な部分ばっかり食べていたとか。

祖母の弟2人は祖母より前に亡くなりましたが、祖母が玄米を押し付けていたことは、ついぞ知らないままだったとか。
祖母はもともとグルメな人で、実家も裕福だったことから、食べ物に不自由しなくてもその品質が落ちるのが絶対嫌だったそうです。

祖母はその「きれいな白米が食べられなかった」ことが戦争のトラウマだったそう。三つ子の魂百までというのか、戦争が終わった平成の時代でも、彼女は白米信仰が物凄い人でした。

一時期、健康にいいからと五穀米や玄米が高級食材として流行った時がありました。それまでは高級な物とあればよく確かめもせずに買っていた彼女でしたが、この時だけは「戦時中を思い返すから嫌だ」と言って、絶対玄米を食べようとしませんでした。むしろ「玄米なんか貧乏人が食べる物だ」という偏見があり、体のことを思って買って来た母(実娘)を叱っていました。ごはんを炊いても、最初に上に浮いている玄米や雑穀の部分をすくって、私や祖父によそって、自分はやっぱり綺麗な白米ばかり食べていました。戦争の影響って大きいんですね。

※画像はイメージです。

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